更新日:2007.7.11
「勉強は何のためにするのだろう」(前編)
まず、大人に質問しよう。
中学、高校、大学と10年以上英語を学んでこられて、
いま英語が話せますか。
小学校5年生の漢字が全部書けますか?
英語が話せなくても、漢字が書けなくても、微積分ができなくても、
たいていの社会生活は送れる。
じゃあ、あなたは何のために学んできたのか。
なぜ子どもを「勉強、勉強」と追い立てるのか?
僕は年間百回以上の講演をする。
幼い頃、どうしようもないやんちゃだった僕が難病になり、
それでも中小企業のオヤジとしてしたたかに生きている、
その経験を話してほしいと企業や自治体から講演を依頼されるのだ。
不思議なもので、メモが取れなくなってからデータは一度ですべて頭に入れなければならないと思った。
辞書を引けなくなってから覚えたビジネス英語も今では丁々発止の会話さえできるようになった。
決して子どもの頃から記憶力がずば抜けていたわけではない。
貧しかった幼少の頃から一転、父が成金になり豪奢な生活を送った少年期。
目的が見つからず海外でプータロー生活を決め込んでいた青年期。
父が破産し、莫大な借金を背負い、26歳で難病宣告・・・。
どうやったら生き残れるかという危機感が、僕にふつうでは考えられない努力をさせた。
(つづく)
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