更新日:2007.9.12
「生きるって、どういうこと?」(前編)
人は皆、母親の狭い産道を通って生まれてくる。
そしてオギャーと産声をあげたところから、
やがて迎える死という最大のストレスへ向かって生きていく。
そう考えてみると生きるってこと自体がストレスの固まりのようなものだ。
例えば、走るのが遅い子にとって、
かけっこはヒリヒリするような恐怖とストレスを伴う事柄かもしれない。
でも、逃げなくたっていいんだ。
足の遅い子もいれば手の不器用な子もいる。
だからストレスにタフになって生きていこう。
そうした生き方の向こうに喜びがみつかる。
僕には大学1年と高校1年の息子がいる。
彼らが生まれたときからキャッチボール一回肩ぐるま一度すらしてやったことがない。
でも僕にできることは精一杯してやろうと毎年、春・夏・冬の家族旅行は欠かさなかった。
運動会や発表会にも必ず参加した。
家族できざみ合った沢山の思い出があると、
いざという時それが絆となって支えあえると思ったからだ。
そんな僕にも大きなストレスがあった。
それは次男が小学校1年生の運動会の前夜。
ふだんは活発な次男がその日は妙に沈んでいる。
(次回につづく)
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