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春山 満の僕の元気 〜春山 満 コラム集〜

闇に活路あり

第六章其の二


更新日:2008.9.3
価値観とルールを変える 其の二

■ 大分に見る明暗

先日、大分の商工会議所に招かれて特別講演した際に「どうしたら観光客誘致に悩む別府温泉を再生できますか?」と質問された。私は、別府から山2つ隔てた湯布院温泉を例に出して逆に質問した。

別府は海に面して魚も新鮮で、しかも温泉の質もわが国最高水準。一方の湯布院は山に囲まれて気候も厳しい。なのに、湯布院は物価は東京と大差なく、今でもホテルが新設され、客単価は別府の3倍といわれる。

「なぜこうなったんですか?」と問うた。すると「あそこは若者に人気があるから」という答えだった。「いったい、いつから若者に人気があるんですか?」とさらに聞くと、「ここ20年。いや、本格的に湯布院がブランドになったのは、ここ10年です」という。しかし、その内容分析がまったくできていない。

現在の湯布院を開発したのは、食えなくなった旅館の若い三代目たち。別府のような魅力を持たないデメリットばかりの中で、彼らはまず「この風景をミニヨーロッパに例えよう」という概念をつくった。

次に別府が全然相手にしていなかった若者層に絞り込んでターゲットにした。具体的には、今から20年くらい前に「キャリアを持っている、あるいは持ちたいと願っている女性」に狙いを定め、そういう女性が好んで読む情報系の雑誌を使って、女性グループのあこがれの場所にしてしまった。

バブル経済下で別府が相手にしていたオヤジたちが団体で来る福利厚生的な客は相手にしなかった。都会人にとって「田舎の中の田舎」はちょっとつらい。そこで原宿や渋谷を知っている女性があこがれる軽井沢的な田舎を演出した。その絞り込みが成功してバブル崩壊の影響をまったく受けていない。

一方、別府がやったことは最初に客単価を下げること。いま日本中で流行している値崩れ競争。次は「いずれ去った客は戻る」という待ちの姿勢。しかし別府、宮崎、沖縄と移行していった新婚旅行のメッカの地位は今や外国に取られてまったく戻っていないのに、そうした情勢が全然読めていなかった。

(次回につづく)





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