更新日:2009.5.13
尊厳ある死生観とは 其の一
たまたま難病から介護を受ける立場になって「患者」ではなく「客」の視点から、日本の医療介護の
プロたちを見るにつけ「コイツら狂ってる!」と思った。
■ 医療制度を検証する
私は体が不自由だが、決して「お恵み」を受けているわけではない。彼らは、われわれにサービスし
て飯を食い、しかも値切られることのない対価を受けているのだ。日本の病院では、値切るどころか
窓口で言われるまま支払うのが常識になっている。それは支払う側が、極めて少ない自己負担で
医療を受けられたからだ。
保険によって国から支払われる金には、まったく注意を払わない。競争もなく、医者が「提供する」
と決めたらそのまま医療も薬もまかり通る。これは、正常なマーケットとはいえない。そのツケが
いま医療制度改革という形で突きつけられている認識が、医者にも患者にも国民にもない。
と、言っても「医療費が高過ぎる、安過ぎる」などという議論をしようというのではない。
私が実際に訪れて見聞きしたデンマークを例に挙げて「医療と国策」について考えてみたい。
最初に訪れた時はテレビや新聞などでもよく紹介される「バラ色の福祉」しか目に入らなかったが、
三回目の時にようやく気づいた。あの国は医療と介護はどこまで行っても永久にタダ。教育も
大学院までタダ。つまり福祉と教育は国として責任を持ってコストを掛けて行う。
その代わり、所得税は51%、消費税は25%。小泉内閣で議論されている最低課税基準なんて
ほとんど存在しない。あたり前のように年収二百万円なら、百万円、一億円なら五千万円は税金で
持っていく。ただしそれ以上は取らない。
国は国民に必要なインフラをキチンと整備し、国民は残った収入で生計を立てている。私は資本主義が
行き着いた成熟社会とは、やはり全体主義的にならざるを得ないと思っているので、こういう政治感覚が好きだ。
そしてデンマークで感じた驚きに「命の見切り」という視点がある。暮らす環境と医療、そして栄達が
豊かになると「死なない、死ねない」時代が来る。しかし、日本だけは、それに加えて
「死なせない」という現象がある。
デンマークでも、日本という県単位で特別養護老人ホームが整備されている。日本と同じように
どこも満員だ。ところが、平均すると六週間も待てば、希望者は全員入所できる。日本は同じような
状況で三年から五年は軽く待たされる。その違いは、日本の特別養護老人ホームは、入所者が
「生き過ぎる」から空きが出ないのだ。ここに日本の「死なせない」医療の現実がある。
(次回に続く)
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