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春山 満の僕の元気 〜春山 満 コラム集〜

春山 満の僕の元気 〜春山 満 コラム集〜 



 
第十一章其の一




更新日:2013.2.6.
第十一章 「限りある命を生きる」 其の一


■ 「小児病棟」

 大阪・豊中市にある国立病院は、私が進行性筋ジストロフィーの宣告を受けた病院である。
病院には、重度の筋ジストロフィーの子どもたちが療養する小児病棟がある。ほとんどの子どもたちが哲朗や龍二くらいの年ごろで、そのため小学校から高校までの養護学校が併設されている。

 私が「ハンディーコープ」をオープンしたばかりのころだから、もう一四年ほど前になるだろうか。その養護学校から講演を頼まれたことがある。私の福祉ビジネスが注目されはじめたころで、あちこちで講演をしていたので、評判を聞きつけたのだろう。
重度の進行性筋ジストロフィーを抱える私のような者でも、何とか社会の中で自立して生きている ― 私の話で子どもたちが少しでも希望を持てるならと、喜んで出かけることにした。

 午後の授業を潰して集まった子どもたちは、私のように車椅子に乗っている者ばかりではない。ストレッチャーに横たわったままの子どももいた。
私の進行性筋ジストロフィーはディスタル型で、比較的病気の進行が遅いのだが、子どもたちのほとんどはドゥシェンヌ型で、進行も早く、最後は呼吸器系が侵され、自力で呼吸ができなくなり、二五歳から三〇歳くらいまでに亡くなっていく。だから、ストレッチャーに乗っている子の中には、すでに気管支を切開し、喉に人工呼吸器をつけた子もいる。

 このとき、私は、「難病になったからといって失ったものを数えてはいけない。残された機能を一ニ○パーセント使うことができれば立派に社会に参加することができるし、希望も、人間としての尊厳も持つことができる」というようなことを体験を交えて話した。
講演は一時間ほどだった。長時間、同じ姿勢でいるのが、どんなに耐え難いことであるかを、私は充分知っている。私よりはるかに症状が悪化している子どもたちだから、なおさらである。しかし、誰一人、席を立たず、全員がじっと私の話に耳を傾けていた。


(次回につづく)





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