更新日:2013.7.3.
第十一章 「限りある命を生きる」 其の六
■ 「死にたい奴は死なせておけ 中」
「いいじゃないですか、物理や化学なんて勉強しなくたって。どうせ学校を出ればすべて忘れてしまいますよ。物理や化学が、ここの子どもたちの将来に何の役に立つんですか。英語や数学だって半分でいいんじゃないですか。それより高校の三年間コンピュータでみっちり職業訓練すれば、一芸を得るんです。そうすれば、ボクに質問した子どものように、就職の道も拓ける。通信の発達のお陰で、在宅勤務という道だって拓けるんじゃないでしょうか」
その後、学校のカリキュラムが変わったかどうかは知らないが、私の提案はけっして間違っていなかったと、今も思っている。実際、哲朗の数学の教科書の問題は、もう由子の手には負えないほどむずかしい。英語にしても、中学から高校、そして大学まで一〇年間も学んで、満足に会話一つできないのが日本の学校教育の現状だ。
もちろん、物理や化学や数学を否定しているのではない。しかし、それは健康と時間に余裕のある子どもたちの話だ。この養護学校の子どもたちには、時間がない。生きたくても、充分な時間を生きていくことができない子どもだちなのだ。
限られた命の中で学び、社会の一員として生きたいという子どもたちの願いを叶えるためには、子どもたちが自信の持てる職業を身につけさせることが先決ではないのだろうか。ささやかでもいい。金を稼ぎ、税金を払って生きていく。そんなチャンスを提供してあげることが最も大切なのではないのだろうか。
私も、あの小児病棟の子どもたちも、限られた命の中で、取り戻すことのできない時間を過ごしている。だからこそ……と思ったのだ。
(次回につづく)
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