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春山 満の僕の元気 〜春山 満 コラム集〜

春山 満の僕の元気 〜春山 満 コラム集〜 



第十一章其の十一




更新日:2013.12.4.
第十一章 「限りある命を生きる」 其の十一


■ 「毎日がいとおしい」

 日本とデンマークの医療体制のあまりの違いを考えると寝つけず、翌日、再びプライエムヘ足を運び、担当者に尋ねてみた。
「ようするに、ここに入所するということは、死にに来るということなんですね」
私の直截(ちょくせつ)な質問に、担当者は苦笑いしながら、「そのとおりだ」と言った。入所すれば半年から一年半の間には確実に死を迎える。そのことをデンマークのすべての人びとは知ったうえで入所を希望するのである。

 映画にもなった小説『楢山節考』が頭に浮かんだ。貧しい百姓の息子が、口減らしのために年老いた母親を楢山に捨てにいくという“姥捨て”の話である。ある息子は嫌がる母親を引きずってでも捨てに行くが、主人公の母親は、従容(しょうよう)として息子の背におぷわれて楢山に向かう。死とは何かを問うた作品だったような気がする。
プライエムのお年寄りたちと、姥捨ての話をつい重ねてしまった。しかし、デンマークは楢山ではない。人びとが、自然に死ぬ権利を持っている国家と言ったほうがいいだろう。私は、日本の末期医療とデンマークのそれの、どちらがいいのかはわからない。

 デンマークから帰ってこの話を由子にすると、「でもね、あなたほど幸せな人はいないと思うわよ」と言って笑った。
「忙しい忙しい、しんどいしんどいと言ってるわりに、あなたは一日を結構楽しんでるよ。そんなあなた見てたら、仕事という名前を借りて好きなゲームを一日中やっている子どもみたいよ。好きなゲームをやれて、それで素晴らしい人たちに出会えて、お金も稼げる。そんな幸せな人、日本中探してもそういないと思うよ」
私は、由子のこの言葉を褒め言葉として受け取った。

 人生は一回きりの後戻りのできないゲームだと思う。もし、私が六〇歳まで働くことができたとしても、わが家のサンデッキから眺める新緑や、風の匂いを楽しむことができるのは、わずかあと一ニ回にすぎない。だから、毎日がたまらなくいとおしい。


(おわり)





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