第6章 「人生は、ちょっと淋しいくらいがいいのよ〜」
今回放送分は、皆様に是非とも聞いて頂きたい。
師匠『春山 満』が子育てを経て、どのような寂しさを味わい、そして強さを得てきたのかが本当によくわかる。
子育て、そしてビジネスでもそうであるが、共通したメッセージがここから読み取れる。それは、『無いものねだりをしない』という事だ。ラジオの中でも言っているが、師匠は自分にできない事、そして自分にしか出来ない事をはっきりと分けて考えている。これは、決して出来ないという諦めではなく、出来ないという現実を受け入れ、だからこそ自分に出来る事、自分にしか出来ない事をしっかり全うしようという事なのだ。
皆様もご存知の通り、師匠は昔から日本全国に留まらず世界中を飛び回っている。その中で普段は子供たちと接する時間が無いと言ってもいいくらいであった。しかし、師匠は春山家のルールを作り、春・夏・冬の年3回は家族で旅行へ行くという事を決めていた。今でこそ、師匠の身体の事情がわかるようになった息子たちであるが、子供の頃はそんな事関係なく、たくさんの疑問があったに違いない。
「なぜ、僕の手を持ってキャッチボールを教えてくれないのか」
「なぜ、休日は家でゆっくりしているだけで遊んでくれないのか」
たくさんの疑問があっただろう。ただ、春山家のルール、年3回の旅行では息子たちがやりたいように遊ばせたそうだ。これは私も聞いた話だが、沖縄へ旅行で行った時の事である。夏の沖縄といえば、一度は綺麗な海に入る。だが、師匠の場合、全身が動かないので、浜辺で見ているだけというのが一般的な発想だろう。しかし、師匠は自分も入ると言い出し、浮き輪に入りプカプカ浮いていたそうだ。ここで、友達のお母さんのように子供の手をとって、手とり足とりはできないけれど、旅行の時だけでも子供たちと遊んでやりたい、一緒に思い出を作りたいと思っていたのだろう。
我々も自分に出来る事と出来ない事をしっかり理解し、出来る事をやり抜く人生を歩むべきではないかと思う。
私は子育ての経験はないが、私の経験してきた寂しさ辛さの中から感じたささやかな幸せの事例がある。
私の会社は創業3期目を迎えることができた。今ではお客様から毎日ご相談の電話も頂戴し、本当にありがたい事である。ただ、何のコネも実績もなく挑んだ創業当初は、まさに閑古鳥が鳴くような日々が続いた。そして当然の如く、なけなしの資金はあっという間に底をついてしまったのだ。意気揚々と3人で起業した会社も、経済的窮地に陥り・・・ある時、断腸の思いで、創業メンバーの1人に別の道を歩むことを促した。その時の会話は今でも忘れられない。そのメンバーは・・・「わかりました。一旦、大阪に帰って働きます。そして、資金と知識を蓄え、また必ず一緒にやりましょう・・・」 と、笑顔で私に話してくれた。そして、もう1人のメンバーは・・・「給料も何もいりません。決して誰が欠けてもいけない。この3人でやらないと意味がないんですよ・・・」と、満面の笑みで応えてくれた。その時こそが、窮地の中でも心から信頼できる仲間を得たと感じた瞬間だった。
これまでも、そしてこれからも様々な人と関わっていくことにより、新しい出会いがあれば別れもあり・・・愛する事もあれば傷つく事もある。そして、人から守られる時もあれば、自らが人を守る時もある。
その経験の一つ一つが、私の生きる糧となっていくのだろう。これからも、新たなる出会いそして心から信頼のできる人を大切に、生きて、生きて、生き抜いていきたいと心から思っている。
宮内 修 プロフィール
アイシーズ株式会社 代表取締役 1973年3月に父 宮内 義彦(現オリックス株式会社 取締役兼代表執行役員・グループCEO)の次男として生まれる。 |
春山 満 プロフィール
株式会社ハンディネットワーク インターナショナル 24歳より進行性筋ジストロフィーを発症。現在首から下の運動機能を全廃。1991年ハンディネットワーク インターナショナル設立。幅広いネットワークと体験を通した独自の視点と着眼で、オリジナル商品の開発や大手医療法人・企業等のコンサルティングなど幅広く活躍。2003年、米国ビジネスウィーク誌にて『アジアの星』25人に選出。 |
ドラ息子企画 編集者 春山 哲朗
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