第15章「人がどう見るかじゃない、自分の夢の光を信じて、しっかり追いかけていこう!」
本コラムでは幾度か紹介させて頂いているが、私は3年前に弊社「アイシーズ株式会社」を立ち上げた。始めは本当に仕事もなく苦しい日々が続き、一度は会社をたたまなければいけないような時期もあった。しかし、その様な時期を乗り越え、今私はこうやって日々忙しい毎日をおくっている。創業時の事を振り返ると、ただ自分の夢だけを追いかけてきたような気がする。とは言っても具体的な夢ではなかった。師匠である春山 満の下を去りはしたが、師匠の様な人間になりたいと憧れを抱き今の私がある。自分が信じた光だけを素直に追いかけてきた結果、ありがたいことに日々忙しく仕事を出来ている。
現在、仕事が決まらずにたくさんの若い方が生活に困っているという話をよく聞く。新卒でも景気が悪いせいか就職先が決まらずにいるらしい。私は本当に仕事はないのだろうかと疑問になる。なぜなら、仕事を選ばなければ日本中にたくさんあるからだ。例えば、夜中の道路整備やラーメン屋などの、一時期3K(きつい、汚い、危険)と言われた仕事は社員募集しているところが多い。3Kの仕事に就くのは嫌だから就職浪人し、就職が決まらないから国から生活保護をもらい実家で暮らす若者が増えている。まず自らの力で出来る限りの事をし、希望先に就職出来ないのであれば、悔しいけど食べていく為に何か仕事を見つけなければいけない。更に、親元を離れ一人暮らしを始める事も必要だろう。何故か?実家にいれば働かなくても食える、寝られる、生活が出来るからである。特にまだまだ若い方は夢を追いかけ自分の描いた通りに進んでいきたいことは良く分かる。ただ、世の中はそんなに甘くはない。自分の役割を果たすからこそ自分に権限が与えられる。いかなる状況でも夢を追い掛ける事ができるのだと考えるべきである。
さて、少し話は変わるが、最近「自分の役割は必ずある!」そう強く考えさせられる出来事があった。それは、日本中が悲しみの渦にのまれた東北大震災の時である。私は被災地に拠点を置く友人との連絡もつかず、ただただテレビに映し出される現実を目の当たりにし、呆然としているしかなかった。そんな私が今出来ることといえば、純粋なる自らの意志で募金や、被災地にて生産された物品の購入等、自己資金にて可能な限りの援助をする事であった。しかし、それに加えて関係多方面から山ほどいただく募金や支援物資の協力要請・・・。「ダメだ。全ての要請にはとても対応出来ない。こんなことでは社としても個人としてもつぶれてしまう。」このような情けない思いをした。
弊社は健全に業績をあげるべく、全員が一丸となっている。しかし、震災の悲惨さをわかっていても、結局小さな事しかできなかった。でも今の自分が出来る役割であったと思う。「ただ私は忘れない、何も出来なかった事を!必ず夢の光を追いかけて、いつか東北で事業をしたい。経済復興の役にたちたい!」日々そう思い、今日もおおいに働かせていただこう!
宮内 修 プロフィール
アイシーズ株式会社 代表取締役 1973年3月に父 宮内 義彦(現オリックス株式会社 取締役兼代表執行役員・グループCEO)の次男として生まれる。 |
春山 満 プロフィール
株式会社ハンディネットワーク インターナショナル 24歳より進行性筋ジストロフィーを発症。現在首から下の運動機能を全廃。1991年ハンディネットワーク インターナショナル設立。幅広いネットワークと体験を通した独自の視点と着眼で、オリジナル商品の開発や大手医療法人・企業等のコンサルティングなど幅広く活躍。2003年、米国ビジネスウィーク誌にて『アジアの星』25人に選出。 |
ドラ息子企画 編集者 春山 哲朗
編集者 略歴 |