第20章「人生は、ニコニコ顔で命がけやで〜!しかめっ面してたら貧乏神がとりつくで〜!」
私の忘れられない出来事・・もう何度もコラムにも書かせてもらっているが、今回のラジオのテーマ「ニコニコ顔で命懸け」を聴いてまた思い出した。あの時、ある人間がそばにいなければ私は間違いなく会社を閉めていた。
これは私の一人の部下の話である。意気揚々と三人で始めた会社も、立ち上げ直後に資金がまわらなくなっていた。やがてもう駄目だと私も辞める覚悟をし、一人の部下には既に就職活動をさせていた。そしてある日、私は残ったもう一人の部下と今後のことを話すことになった。しかし、こともあろうか窮地であるにもかかわらず、彼は会った瞬間からゲラゲラ笑っていたのである(笑)。私は死にそうなのに・・。彼は話しても話してもずっと「なんとかなる」と根拠がないことをいい笑っていた。挙句の果てに彼はお酒を飲みはじめ・・・そしてまた何度もこう叫ぶ「なんとかなる」と・・(笑)。結局その日は彼に従うまま5件のお店をはしごすることになる。何度も同じ言葉を聞いているとなんか耳に残り、これが俗に言う洗脳というものでしょうか?その後、良いように洗脳された私は様々な人の協力を得て、おかげさまで結果二年で単年ではあるが、黒字がだせるまでの会社になった。あの時彼のような人間と出会わなければ私は今何をしているかとても考えられない。彼はいつも笑っているが仕事は命懸けでやる。本当にいつも頭がさがる。人を喰うような怖い顔で仕事をしているが、他の時はいつも笑っている。『笑う門には福きたる』というが、彼は正に「ニコニコ顔で命懸け」の典型的な例であった。こういう人間がいるからいつも明るく厳しい会社であれる。
そういえば弊社が最近落ち着いたと周りから言われる事が多々ある。たしかに私が怒る事が少なくなったような気がする。彼を含め、いつも笑顔で命懸けで戦ってくれる部下がそばにいてくれるからなのであろう。今日は私の勝手ながら、素晴らしい部下に感謝をしてこのコラムの締めとさせて頂きたいと思う。
宮内 修 プロフィール
アイシーズ株式会社 代表取締役 1973年3月に父 宮内 義彦(現オリックス株式会社 取締役兼代表執行役員・グループCEO)の次男として生まれる。 |
春山 満 プロフィール
株式会社ハンディネットワーク インターナショナル 24歳より進行性筋ジストロフィーを発症。現在首から下の運動機能を全廃。1991年ハンディネットワーク インターナショナル設立。幅広いネットワークと体験を通した独自の視点と着眼で、オリジナル商品の開発や大手医療法人・企業等のコンサルティングなど幅広く活躍。2003年、米国ビジネスウィーク誌にて『アジアの星』25人に選出。 |
ドラ息子企画 編集者 春山 哲朗
編集者 略歴 |