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遂にこの日が来た。丸6年間続けてきたラジオ番組はここで一旦終える。番組内でも伝えたが僕自身が旅に出ると決断した。新しい新天地を探しに行こうと考えたのだ。何かを得るためには何かを捨てる覚悟がなければいけない。ここまで続けてきたラジオ番組を終える決断をするまでは本当に迷った。ただ決断を決意したその日からもう迷いはない。前だけを見て進むだけだ。
こう固く心に誓ったはずが、長年続いたこのコラムも今日で最終回となると、正直言ってちょっと寂しいかな。(笑)ただ、「人生ちょっと寂しいくらいがいいのよ」という父 春山 満の言葉どおり、寂しさや悔しさをしっかり心に刻み、後ろを振り向かず進んでいく。 6年間ラジオをお聴きいただいたリスナーの皆様、またコラムを毎週楽しみに見ていただいた方、本当にありがとうございました。
そして、コラム企画を一緒に立ち上げ、2010年から毎週寄稿し続けてくださった僕の兄貴こと宮内 修さん、感謝を込めて、ありがとうございました。
いつかまた“一番弟子とドラ息子”は皆さんの前に登場します。その日までしばし二人は旅に出ます。
それでは、またお会いする日まで。お元気で!!

   

父 春山 満の代表的な言葉『常識にだまされるな!』がテーマである。改めて考えてみると難病を宣告されてから起業したことでさえ常識外れの行動だ。そのバイタリティはその後のビジネスの根幹となり、常識を疑い続け新しい価値を創り続けた。父は「どんなビジネスでもやればいい!たこ焼き屋でもお好み焼き屋でも!儲かるならな!」と我々に言った。父にとって医療と介護というテーマは自分のモチーフだと表現していた。常に常識を疑い『常識の裏の非常識』に気付いたら、そこに全精力を注ぎこみ狭く深く徹底しなさいとメッセージを残している。
常識をひっくり返すビジネスは相当難しいだろうがチャレンジしていきたい。今は正直まだまだ成功と言える実績はない。しかし、思いだけではなく行動に移しトライする。父のメッセージに徹していく。

   

僕が、父 春山 満のもとに弟子入りしたのが20代前半。今から考えてみると夢を持って弟子入りしたわけではなく、ビジネスを徹底的に学びたいという気持ちだけで入社した。当時僕は挫折を繰り返していたが、振り返ればそれは大した挫折ではなかったと気づく。ただその真っ只中では何をどうしてどう立ち上がったらいいのか分からずもがいた。もがきまくって、乗り越え、次のステージに立つことができた。「自分が変われば世界は変わる」と父が言っていた。正にこの事だ。他人や環境は自分の都合のいいように変わってはくれないと学んだのも20代前半ではなかっただろうか。
今、30代に入りまだ明確な夢というものはない。ただビジネスを通じ健全に稼ぎたいという野望はある。稼ごうと思えば当然ながらお客様の満足度がなければビジネスは成り立たない。父からはよく「脳から血〜でるほど考えろ!」とよく叱られた。それほど考えなければビジネスを語る資格もないのだろう。
20代、30代、40代、それぞれのステージで感じることは違うだろうが、この30代を大いに暴れるステージにしたいと思っている。時代と環境の変化をしっかり捉え、不易流行を胸に、更に突き進んでいく。

   

今回のメッセージも非常に難しい。頭ではわかっていても“足るを知る”までにはまだまだ時間がかかりそうだ。健全な野心として、まずしっかり儲けたいと僕は思っている。儲けて何がしたいのかと聞かれても的確に答えられないが、その領域にまずは到達してみたい。その一方、儲けるだけではなく今の日本の介護業界をとにかく変えたいと考えている。理想は儲けながら変えていくこと。父 春山 満の言葉に置き換えると正に「ロマンとそろばん」だ。最近つくづく思うが、企業にとってロマンだけを語り儲けがないのは一番最悪だ。そして儲けだけを追いかける仕事にも僕は興味がない。そろばんをきっちり弾きながらロマンを追いかけ、そして弊社の商品、サービスの満足度をきっちり上げていきたい。ビジネスをする上で当たり前のことだが、意外と両輪駆動している企業は少ない。
野心と野望を抱き、理想へしっかりと前進していきたい。

   

今回は300回記念イベントの2回目の放送である。テーマは「ニコニコ顔で命がけ。しかめっ面してたら貧乏神がとりつくぞ!」である。僕が一番大事にしている言葉と言ってもいい。どんな状況であっても、周りの環境が悪くなったとしても、不運が連続したとしてもニコニコ顔でいれば必ずチャンスがくると僕は信じている。もちろん信じるだけでなくチャンスを掴むための行動をしなければいけない。
父が亡くなり会社の状況は大きく変わった。大きな取引先との契約がそこで終わったり、これまで長年やってきた事業を止めざるをえなかったり、従業員が辞めたり、良くも悪くも大きく環境が変わった。ただ、今となって思うことは止めるものがあったからこそ次の新しい展開ができたことも事実である。従業員が減ったからこそ新しい組織に変化したともいえる。物事をどの角度から見るかが重要で、一般世間ではネガティブに捉えられても、考え方を変えるだけで世界が変わる。環境は、自ら創ることもあり、周りの方が創ってくれることもある。チャンスはどこに転がっているかわからないからこそ、人生は面白いとつくづく感じる。だからこそ、どんな状況になってもその一時は苦しくても「ニコニコ顔で命がけ!」と心に刻み行動すると楽しくなる。心から「楽しい、おもろい!」と思えることが、何よりの活力になる。まだまだ険しい道が続くだろうが僕は突き進む。

   

父 春山 満がこのラジオ番組を始めた当初、誰も300回の放送を迎えるなんて思っていなかった。そして何人の人が300回記念のイベントに息子のこの僕が立っていると想像しただろうか。僕ですらそんな想像はしていなかった。
改めて思うが運命って本当に面白い。父が亡くなった後、番組を継続していなければこんな経験をすることさえなかった。「継続は力なり」と言葉では簡単に表現できるが、実際やってみると継続の難しさに僕は鍛えられたかもしれない。ただ単純に継続することは誰にでもできるが、そこに新しい「自分らしさ」を入れることに勇気がいる。そしてその評価はきっちりと数字で表れた。当然ながら父の時の聴取率よりも落ちた。しかしそこから少しずつ上がり父には敵わなかったが曜日単独トップの聴取率となった。数字だけが全てではないが、ビジネスマンである以上この数字は大きなモチベーションとなる。

新しく始めるということはどこかで必ず終わりはくる。終わりがあるということは、また何か新しいことを始められるということでもある。300回記念を迎えリスナーの皆様と交流し決断したことがある。ここで一度番組を終わろうという決断だ。後日の発表となったが300回継続したからこそできた決断なのかもしれない。

   

このメッセージは奥が深く難しい。僕はそういった意味ではまだそこまで人間を好きになれていないと思う。父 春山 満が亡くなった後、恩を仇で返す人間がいた。この人間をかわいいものだとは到底思えない。こんな人間は一握りであり、また心底信頼できる人間も一握りである。信頼できる人間と出会うためには、できる限りいろんな人と出会い、時には騙されながらも自らの“見る目”を成長させていかなければならない。そうしなければ、見極め出会うことはないだろう。
父は若かりし頃、強烈な経験をたくさんしてきている。だからこそこのメッセージを理解できるのだろう。人間関係も人生も綺麗事だけでは前へ進まない時がある。時には人を恨み、またある時には恨まれることもあるかもしれない。こういうことを繰り返すことで結果的に人間を大好きになれるのだろう。

   

今、介護業界の環境が目まぐるしく動き始めている。一番の目玉は2018年にくる医療、介護報酬の同時改定だ。医療もそうだが介護業界もどの様な環境になるのか、関連事業者は目を凝らしてみている。一方で介護業界には、本格的に導入が決まった技能実習制度がある。介護現場に外国人がはいってくるのだ。大義名分は技能移転。しかし現状誰がどう見ても現場で働く日本人が少なすぎる。2025年には約38万人の介護士が不足すると言われているが、今でも不足している。
技能実習制度が導入され、渡りに船と人の補てんを考える事業者は増えるだろう。しかし、人を補てんしたからといって、現場が回るようになるとは思えない。国も文化も違う外国人をいかに教育するかと同時に、日本人に対してもしっかり教育しなければいけないと考えている。特に技能実習生を管理する中間管理職の教育が必須かつ急務である。
介護士が足りなくなると前述したが、技能実習生を増やすだけで解決する問題ではない。しかしこのことはお国の制度にのっとったいわばお試し期間に充てられていると僕は思っている。目先の人材不足を解消し、この数年間で起きる問題を検証し、本格的な移民政策へと入るのだろう。そして僕は、技能移転が日本と他国との本格的な国際交流につながり、将来Win - Winの関係を築くことができると信じている。

   

本日のゲストもリヤカーマンこと永瀬 忠志さんだ。永瀬さんのストーリーを聴いて本当に凄いなと感じる点がある。それは継続することだ。
このコラムを一緒に書いている宮内 修さんと改めて話をしたが、このコラムをスタートして軽く6年が経った。やり続けたからこそ見える世界は必ずある。そしていつか継続してきたことは終わる。終わりがあるから新しく始めることもできる。人間に平等に与えられた時間には限りがある。この時間をいかに活用するかで人生の濃さが変わる。創業者であり父である春山 満が亡くなり、僕が社長を引き継ぎ、新生ハンディネットワーク インターナショナルへ変化した。周りからは2代目と揶揄されバカにされることもあるが、僕にとってそんなことは関係ない。言いたい人には言わせておけばいい。
そんなことよりも、一時代を終えた会社は次にどこへ向け走り出すのかが重要である。継続するということがいかに難しいか。そして更に難しいことは継続してきたことに区切りをつけることだろう。
不易流行という言葉があるように、幹は曲げず枝葉はしなやかに変化させていきたい。

   

先週に引き続きゲストはリヤカーマンこと永瀬 忠志さんだ。先週のコラムでも紹介したが永瀬さんが旅をしながら見つけた冒険スピリット10の言葉がある。その中で僕が最も共感した言葉を一つ掘り下げたいと思う。

「たえて、たえて、悲しくなってもたえていけ。」

僕はこの言葉に本来人間が持っている力強さを感じた。旅を通じたメッセージではあるが、生き抜く中でも同じ様な状況があると思う。会社経営では、常に売上が伸びる時期があれば、坂を下るように落ちていく時期もある。厳しい時期があったとしてもどこかで厳しい現状を止め、売上を何とかして上げていかなければいけない。経費削減、赤字事業の撤廃、時には人件費カットなど厳しい選択を余儀なくされる。周りからは批判を買うこともあるだろう。それでも決断をしなければいけない時はある。その苦しく恥ずかしい状況を乗り越えなければ次の目標へ向かえない。きれい事では飯は食えない。まずは目の前の課題をしっかりクリアし、悔しさを耐え抜き、しっかり体力をつけなければいけない。当たり前のことだが、永瀬さんが旅を通じて発せられたこのメッセージは今を生き抜く全ての人にとって重要なことだ。

   

初めて『リヤカーマン』と聞いた時、正直?が頭にいくつも出た。ラジオ番組のスタッフから「リヤカーを押しながら世界中を縦横断されている方です」と説明を受けたが、それでも頭から?が消えない。リヤカーマンの資料を拝見し、出演されたテレビも確認し、そこでようやく僕なりに理解できたことは“リヤカーを押して旅することが好きな人”だった。
ただ、話を聞くにつれ本当に不思議な人である。例えば、サハラ砂漠を縦断された時も2日目の朝にして「早く日本へ帰りたい・・・」と思ったそうだ。旅をしていて楽しいことより憂鬱なことの方が多いとも言われていた。それなのに41年間歩き続け総距離は4700kmとなり、これは地球1周分の距離に値する。
これをやり続けたからこそ見つけたリヤカーマン永瀬さんの冒険スピリット10の言葉がある。永瀬さんだからこそ見つけられた言葉であり、人間の本質をつくメッセージでもある。最後にこの10の言葉を紹介する。
1. 立ち止まっていても、何も動かない。
2. 自分にできることを、小さなことでも少しずつやってみる。
3. 先が見えないと不安だが、だからこそ、おもしろい。
4. いっしゅんの大きなよろこびが、あしたへの力になる。
5. 決断のとき、心の比重の重い方へ行け。
6. 自然が、自分でも知らなかった自分を教えてくれる。
7. 今日、何かいいことがあるかもしれない。そう信じて、朝の一歩をふみ
  出せ。
8. たえて、たえて、悲しくなってもたえていけ。
9. 一つのことをやりとげれば、新しい目標が見えてくる。
10. 野で食べ、野に宿り、野を歩く野人になれ。

『リヤカーマンって知ってるかい?』著者 永瀬 忠志より引用



   

青春時代がどの時期を指すのかは人それぞれの解釈だろうが、僕にとっては大学時代から社会人3年目あたりまでが青春ではなかったかと思う。海外へ留学したい一心でアメリカに行き3年ほど過ごした。明解な目標があり、そこへ向かって必死になり勉強した時期もあった。一方で、目標を見失いバイトのほかは遊びという時期もあった。何かを求め、ヨーロッパを一人放浪したこともある。そしてある光景に遭遇し、父 春山 満からビジネスを学ぶと決め、大学を中退し即帰国した。そして働き始めたのはいいが、1年経ったころ挫折し逃げ出したこともある。
青春時代を振り返ると、僕は楽しかった思い出より辛かった思い出の方が先に出てくる。ただ、今となっては悔しかったことや小さな成功の経験一つずつが確実に自分の身になっていると感じる。「20代は大いに練習しなさい。夢なんか叶えようと考えず、まず目の前のことに必死になりなさい」父は常々僕たちにこう言い聞かせてきた。今振り返ってみると20代前半より多少仕事はできるようになったが、あの新鮮な気持ちやなりふり構わない行動力を少し忘れていたかもしれない。こうやってコラムを書き続けていると自分の心が整理され、普段忘れていることにも気付かせてくれる。
気付いたら即行動。今日からまた新しい自分で動き始めよう!

   

毎日同じように日付が変わるにも関わらず、12月31日から1月1日になると「日に新た 日に日に新た 日に新た」このメッセージを思い出す。人は様々な環境のもとで宿命を授かり自らの力で運命を切り拓く。人智の及ばないところで皆平等といえる。
人類全体から見ると自分はたった一人の人間でしかない。しかし、そのたった一人の人間を中心に考えると、その人にはその人だけのストーリーがある。楽しいこと、辛いこと、悲しいこと、他の人と共有したくてもできないこと。山ほどある。時代の変化にもついていかなければいけない。これまでの道のりが成功であったとしても、明日踏み出す道に大きな落とし穴があるかもしれない。過去は振り返れても未来を知ることはできない。これでは人生面白くない。否、だからこそ大いに未来を描くことが大事なのだ。未来を明るくするのは自分自身でしかできない。国や会社、他人が明るいものにしてくれることはない。小さな一歩であっても自ら踏み出し、小さな燈火であっても自ら照らし進む。これを一燈照隅という。この力強い一歩を多くの人が歩み出すと万の燈火となり、万燈照国となる。
一日一日を大切に生き抜く者だけが未来を創れる。一つのチームであっても、共に未来を創造し、力強く歩みしっかりと根を張れるチームでありたいと願う。

   

昨年12月25日の放送をもって300回を迎えることができた。これもリスナーの皆様始め、パーソナリティの和泉 夏子さん、ゲストの皆様、そして番組制作に携わっているスタッフの皆様のお陰である。本当に感謝しかない。
父 春山 満が亡くなりラジオ番組を継続するか否か本当に悩んだ時期もあった。僕に務まるかどうかの不安が大きかった。一方で父の考え方をもっと多くの方に知っていただきたいという気持ちもあった。そして何よりも僕の背中を押してくれたのがリスナーの皆様からのお便りだ。「番組を継続してほしい」「もっと春山さんの大丈夫や〜!を聴きたい」などのお声をいただき僕は決心した。春山 満にはなれないけれど、一番近くで見てきたドラ息子として父の言葉を伝えようと。また各界のゲストをお呼びし、その人の“生き抜くヒント”をどんどん紹介し、継続しながらも新しい番組にしようとこれまでやってきた。
自らの覚悟と決断で継承した番組を毎週1回1回やり続けた結果、父の放送回を合わせ300回に到達した。“継続は力なり”という言葉があるように、やり続けたからこそ分かったこともある。
近日発表するがこれまでの経験を活かし更に飛躍したいという思いで既に舵を切り始めている。新たなステージが楽しみである。

   

今こうしてコラムを書いているが、明日からまた1週間ベトナムに入る。日本の介護業界では人材不足を解消するために東南アジアの人を受け入れる体制を整えている。その中でも注目されているのがベトナム人だ。ベトナム国内の賃金水準は月給20,000円程度で日本と比較するとまだまだ低い。しかし、今まさに経済発展を遂げつつある国であり、年間約16%ずつ最低賃金が上がっていると言われている。また大きな問題になりうる宗教について、ベトナム人は基本的に仏教を信仰していることが多く、日本人と比較的似た感覚を持っている。
これからの日本では、多くの業種でより外国人に活躍してもらう場が増えると予測するが、その中でも深刻な人材不足を抱えているのが介護現場である。2025年には約38万人の介護職の人材不足が予測されている。ロボットの開発ももちろん進んでいるがこの数年で劇的な商品ができるとは思えない。
日本とベトナムの新しい架け橋を創り、世界に誇れる介護技術を持って帰ってもらいたいと願っている。そのためにはベトナム人への教育とともに、日本人への再教育も必要となるだろう。課題解決が急がれる日本の“介護職の人材不足”解消のため、国籍に関わらず適切な教育を受け、まずは日本の介護現場で大いに活躍してもらいたい。これが日本の介護が大きく変わるきっかけとなると僕は信じている。

   

前回のコラムでもお伝えしたが弊社のグッドタイム トラベルでは今まさに注目を浴びているクルーズ旅行をお勧めしている。しかし、僕たちは単なる旅行会社ではない。旅行に行ってもらうことが目的ではなく、旅行をきっかけに日々の生活に張りを戻してもらいたいと考えている。
これまでもグッドタイム トラベルはたくさんのお客様にご利用いただいた。ご家族の皆様から、お父様お母様にゆっくり温泉に入ってもらいたいとご要望をいただいたり、思い出のハワイへもう一度行きたいと強い意志をお持ちになり実現されたりと本当に素晴らしいご旅行をプロデュースさせていただいた。そして何よりも僕にとって嬉しいことは旅行後に日々の生活が変わり始めたとご家族からご連絡をいただくことである。
なぜかというと、諦めていた旅行に一度行けるとそれは自信に繋がり、「次に行くときはあそこに行きたい。次はあんなことがしたい」と具体的な目標が生まれる。そうすることで日々のリハビリにも力が入り、これまで何年も変化が見られなかった体の状態が改善され始めるからだ。あるお客様はベッドの上で体を15度程度しか起こせなかったが旅行当日には常時45度ぐらいまで起こすことができるようになられ、今ではベッドサイドで10分程度もお座りになれるようになったとご家族からご連絡をいただいた。
どの年齢であっても人間には生きるための役割や目標、目的が必ず必要である。なぜリハビリするのか?なんのためにするのか?誰のためにするのか?これが解決するだけで必ず日々の生活が変わると僕はグッドタイム トラベルを通じ確信した。旅行はあくまできっかけである。そこから日々の生活を変え、かけがえのないご家族との時間を思う存分楽しんでもらいたい。

   

弊社のグッドタイム トラベルでは今、クルーズ旅行を全面的に押し出している。まだまだ日本では高嶺の花というイメージや、世界一周旅行のように旅行日数が200日を超えるものを想像される方が多い。しかし、クルーズ旅行でこの様なイメージを持っているのは日本ぐらいだという。海外ではリーズナブルで短い航路の旅行もたくさんある。また一方で、一生の思い出に残る価値ある旅行とされている。どの客船を選ぶかでもちろん費用や行程も変わってくるが、僕が一番お勧めするのはプリンセス・クルーズである。船内はとにかく豪華な装飾でエンターテイメントの充実ぶりも申し分ない。また20室を超えるバリアフリールームを揃え、大浴場には車いすの方でも入浴できる設備が整えられている。 弊社が展開するグッドタイム トラベルは、要介護となったご本人だけが楽しむプランを取り揃えているのではない。ご家族も含め皆さまにお楽しみいただける旅行をご提案している。まだまだ馴染みのないクルーズ旅行ではあるが、昨年何度も視察を繰り返しグッドタイム トラベルのコンセプトにばっちり合う旅行だと確信した。

“あきらめていた「家族旅行」を、もう一度。”

一人でも多くの方にかけがえのない思い出を創ってもらいたいと願う。

   

今回のテーマは撤退する決断である。決断の中で最も難しい“決断”と言ってもいいだろう。新しいことを始める時は、目標を掲げ後ろを振り向かず勇気に満ち溢れているので決して難しいとは思わない。しかし、物事は自分の思い描いたように上手くいかないことの方が圧倒的に多い。その中で、我慢して継続するか勇気を振り絞り撤退と決断するか。ほとんどの場合が「もう少し・・・」と我慢をし続けることが多い。心の中でどうしようもないと思っていても撤退する決断ができないことがある。そこにはプライドやいろんなしがらみがありそうで簡単にこの決断はできない。
撤退する決断と聞くと非常にネガティブな表現に聞こえるが決してネガティブなだけではないと僕は思っている。撤退したことによって一時的には外部から批判を食らうこともあるだろう。しかし、それでも撤退したことによりそこで垂れ流していたお金や労力を他に使うことができる。そう考えると次のチャンスを掴む大きな一歩とも言えるだろう。

   

今回のゲストは準レギュラーの宮内 修兄貴だ。テーマは「いい会議と悪い会議」についてである。父 春山 満が代表であったときの会議はとてもシンプルだった。現状の報告、事業の方向性を担当から説明があり「そのまま進んでいけ!」と背中を押されるか「アホか!お前は何を考えてるんや!そんなんじゃあかん!」と怒られるかのどちらかであった。怒られる時も怒られて終わりではなく、「この道で行け」というロジックを怒りながら示してくれた。
僕が会議を仕切るようになって難しいと感じることは、“判断”することである。やるのやらないの?やるべきやめるべき?僕は父とは全く違う。だから父のような判断はできない。とにかく現場で動いているスタッフの意見を細かいところまで聞き、できるだけ尊重しようと考えている。但し、現場がどれだけ説得してきても、僕の独断と偏見でストップをかけたりゴーサイン出すことがある。
まだまだ大きなことは言えないが、何も決めず考えるだけで終わる会議には意味がないと思っている。
会議前に自分の考えをまとめ、会議でその内容をぶつけ決断し、直後から動き出さなければいけない。当たり前のことだが、案外できていない場合が多い。考える時間が長く沈黙が長い会議ほど無駄だ。発言しない聞くだけのスタッフはそもそも会議に出席する必要はない。こんな無駄な会議をするぐらいなら、この時間に別の業務をさせておいた方が会社にとって利益になる。しかしそれではいけない。だからこそ会議の質を上げ意味ある実のある会議にしなければいけない。

   

今回のテーマ「人を育てるということ」は、僕にとって一番難しいことかもしれない。なぜなら人を育てる前に自らが模範となり示さなければいけないからだ。実績と経験と知識を持ち合わせなければ人を育てることはまず無理だろう。
僕の会社の社員は僕よりもひと回り以上も年上のメンバーが9割だ。勤務年数も僕より遥かに長い。この会社で僕より多くのことを体験し経験し、会社の歩みを把握している。だから僕は時に社員の意見を参考にすることがある。自分に足りない部分を補ってもらっているのだ。但し、これまでの歩みがどうであろうと、新しいものを創出するために新しい考え方を入れる時もある。それは僕なりのロジックで説明する。これまでのやり方をガラッと変えたり、評価基準を変えることもある。
僕は先代社長が創り上げてきたこの会社を素晴らしいと心から思っている。しかし、新時代に突入し今後求められるものは、これまでと同様ではない。次の20年、30年を一緒に創り上げていくことを僕は考えている。どれだけ過去に素晴らしい実績を残していてもそれはあくまでも過去の実績。真実は未来を見据えた今のこの瞬間でしかない。教育という考え方も重要だが、共に学び、共に戦い、共に苦楽を味わうことが今必要なことではないかと、僕は考える。そしてこの経験が結果的に弊社の教育の原点となれば、この上なく嬉しい。

   

あけましておめでとうございます。本年も宮内兄貴と元気にコラムを更新していきたいと思います。よろしくお願いいたします。

今回も前回に引き続きゲストは“こひつじクリニック”の小松院長だ。「旅行の不思議な力」をテーマに放送させていただいたが、少し引いて考えると旅行に限ったことではない。今、日本は超高齢大国となっている。老いるということは、人間が長生きすれば誰もが通る道で、決して嘆くことではない。問題は高齢になるとしたいことができなくなるということにある。体力と気力は元気な若い頃よりも低下する。そして、その環境や状況に合わせたサービスが今の日本には少なすぎるためだ。中でも旅行が一番分かり易いだろう。旅行の楽しみは旅行中だけではない。旅行の準備期間に前向きにリハビリに専念されるようになったり、お洒落のために洋服を買ったり髪を整えに行ったりと、身体と心のリハビリになる。諦めていた旅行であっても1度旅行に行けるとその経験が自信となり、「次はあそこに行きたい」と新たな目標ができる。その目標のためにリハビリにも身が入り、何よりも日々の生活の張りに繋がる。

心躍る経験には年齢に関係なく不思議な力が湧くものだと僕は考える。老いは誰もが通る道であるからこそその環境に合わせたサービスが受けられ、結果的に最期まで輝き続けられる、そんな日本を創りたいと僕は考えている。

   

今回のゲストはこひつじクリニックの小松先生だ。小松先生は弊社のグッドタイム トラベルに協力していただいている。小松先生はクリニックを運営しながら、旅行がしたくてもできない患者様へ看護師を派遣したり先生自らが同行される事業もされている。僕は初めて先生の取り組みを聞いたとき「ドクターでもこの様な活動をされている方がいらっしゃるのか」と正直驚いた。
僕が先生に協力を依頼するときには、お客様のお身体を診察していただき、今抱えている病気や症状を一つずつ診ていただく。一般的にご高齢かつご病気があれば、それをリスクと考えるが、我々はそういう判断をしない。それぞれの病気、症状が旅行中に重大なリスクとなり得るのかという視点で確認する。例えば、胃ろうや尿道カテーテルを使用されていたとして、飛行機内での気圧の変化に耐えられるかなどを判断していく。結果によっては、交通手段を変更したり、同行する看護師と適切な情報を共有することで、安心して旅行を楽しんでいただくことができる。もちろん重大なリスクがあると判断した場合は、その内容をご本人ご家族に説明しご旅行を断念していただくこともある。

多くのご高齢の方やご家族は不安を覚えると旅行を諦める傾向にある。単純に諦めるのではなく適切な情報をお伝えすることで諦める必要がないこともある。
“あきらめていた「家族旅行」を、もう一度。”
ご高齢の方の身体と心を支え、ご家族の心も支える、そんな事業にしていきたいと考えている。

   

仕事を円滑に進め、そして成功へ導くために最も力を注がなければいけないのは準備段階である。これを改めて気付かせてくれたのが弊社のグッドタイム トラベルでプロデュースしたハワイ旅行であった。
お客様は脳梗塞の後遺症により麻痺があり、ベットから起き上がることも困難な方。お体の状態は要介護度5、胃ろう、バルーン、言語障害と一般的には旅行そのものを諦めざるをえない方であった。我々はハワイに現地法人を持つ大手旅行会社と組み、飛行機やホテル、上下可動式ベッドのレンタル手配など全てを行った。海外旅行となると特に制約が厳しかったのが飛行機への持ち込みである。看護師同行の今回の旅は医療器具や薬剤などすべて事前申請が必要であった。万一のために持ち込みを希望しても許可を得られなかったものもあった。また現地でも数台しかないリフト付タクシーを事前にリサーチし手配するなどあらゆるシチュエーションで多くのハードルがあり、一つひとつクリアしていった。

ここで大事なことは、どんなに大手旅行会社と組んでいても、相手の話を鵜呑みにしてはいけないということだ。納得できなければ納得できるまでとことん調べ上げなければいけない。多くの人が諦めてしまう仕事だからこそ、成功すればそこに大きな価値が生まれる。ハワイ旅行中大きなトラブルなく安全にお楽しみいただけたのは、まさに「段取り七分、仕事三分」が生きたからだと僕は考えている。

   

父 春山 満のように強烈な経験をしたことがないので、このメッセージをどこまで理解できているか分からない。レベルは違うが僕の経験を一つ事例に挙げたいと思う。父が他界し来年2月で丸3年になる。新しく始めたビジネスもあれば、廃止したビジネスもある。社内での人の入れ替わりもあった。ビジネスパートナーと縁が切れたりと、様々な環境の変化があった。正直、時には嘆いて恨んだこともあった。しかし、その気持ちからは何も生まれなかった。
そして、今どういう気持ちでいるかというと「去る者は去れ。終わるものは終われ」という気持ちでいる。ここには嘆きも恨みもない。この環境をどう活かすかだけを僕は考えている。なぜ割り切るのか、それは次の道を拓くことだけが僕の使命だからだ。あの時のビジネスが継続していればとか、あのメンバーで仕事ができていればとか、こんなことを100万回嘆いても戻ってくるわけではない。

この3年間突っ張って進んできた。これまでは点と点でしかなかったものが、細い糸で繋がり始めたと最近実感できるようになった。周りの環境が常に変化する中でも、タフにならなければ時代の波に飲み込まれていく。豪華客船のような悠々とした航海はまだまだできていないが、ボロ船でも味があり機動力のあるチームで仕事をしていきたいと思っている。

   

自分の身の丈を知るということは意外に難しい。よく勘違いして身の丈を理解できていない人もいれば、消極的に出すぎてこじんまり収まってしまっている人もいる。
僕の結論は、一度思い切って身の丈なんて考えず行きつくところまでいくべきだということ。要は調子に乗る時期があってもいいと思っている。振り切れるからこそ痛い目に合うのだ。それをゆっくりブレーキをかけながら恐る恐る進んでいても小さく収まってしまうだけである。真剣に調子に乗ることができれば、気付くときが必ずくる。それは自分の周りから人が離れていったり、結果がでなくなったりと、状況が大きく変わり自分の判断の不味さに気付く。
身の丈を知るというのは、それなりにいろんな経験をしなければ知ることはできない。知識と経験を積み上げ、身の丈が少しずつ理解できるようになれば、人生しめたものだと僕は思っている。だから僕はもっと振り切ろうと思う。

   

『不易流行』という言葉は父 春山 満が大切にしていた言葉であり、また僕も父から会社を受け継ぎ大事にしている言葉でもある。『不易』とは、「絶対に変えてはいけないもの、ことの本質」。『流行』とは、「時代と共にしなやかに変化させること」。
この相反する言葉を取り入れていくことは非常に難しい。弊社の基本理念では“望まれていながら提供されていなかったものを提供する”や“会社は小さく、ネットワークはでかく、利益はしっかり”というものがある。ここには介護や福祉という仕事内容の制約は一切ない。ということは、その時代に合わせた“ニーズの裏のウォンツ”を狭く深く徹底していくまでである。広告宣伝でいうと、ラジオや新聞広告がこれまでは一般的であったとしても、ネットマーケティングに変えていくことも重要だろう。

僕は基本理念を曲げるつもりはない。それは父がそうしていたからではない。僕はこの軸<理念>をビジネスとすることに興味がある。そして面白みを感じている。理想だけでは上手くいかないが、理想を掲げ一歩ずつ近づくことが重要だと思う。厳しい北風が吹きつけてきたとしても耐えなければいけない時期もある。しかし、春の日差しが差し込んできたとき、一気呵成に打って出る。

『不易流行』

どんな状況であっても心の片隅においておくべき言葉だと僕は思う。

   

クルーズ旅行と聞くとどの様にイメージされるだろうか?僕が真っ先に頭に思い描いたのは、映画タイタニックのような豪華客船だ。一般庶民には到底手の届かない世界だと思い込んでいた。しかし、実際に見学し説明を聞いてみると、決して高いハードルではなかった。むしろスーツケースを開け閉めすることなく荷物を広げたまま、各地を旅できるのはクルーズならではだろう。
グッドタイム トラベルでのお客様は車いすで移動される方が多い。そうすると最も高いハードルは何度も移動が生じることだ。しかし、クルーズは乗ってさえしまえば次の目的地まで連れて行ってくれる。また体調を崩したときでも、船内常駐のドクターがいる。安心して旅ができる環境だと僕は確信を持てた。

まだまだ日本では根付いていないクルーズ旅行ではあるが、この魅力を発信し、時間にゆとりのある高齢者層にこそ僕はお勧めしたい。

   

事実を受け入れることは当たり前ではあるが、時にはそれは非常に厳しく、否が応でも受け入れざるを得ないこともある。父 春山 満がいい例だろう。父は24歳で進行性筋ジストロフィーを発症し26歳の時に医師から宣告された。それまでは健康であることを疑うこともなく、ましてスポーツマンの父にとって受け入れ難い事実であったことは、僕にも容易に想像がつく。
例えば、仕事上、営業成績に目を背けたくなることがある。上手くいっている時はいいが、状況が悪くなり成績が伸び悩んだとき、その事実を受け入れたくないのが人間ではないだろうか。
難病であれ営業成績であれ、事実を受け入れないとどうなるか。それは人に責任を押し付けたり環境のせいにしたりと、自分以外に責任転嫁することになる。事実を受け入れるということは当事者にとってとてつもなく苦しいこともある。しかし、事実を受け入れることができれば人間は更に強くなるだろう。父の場合、原因が解明されていない難病だった。検査したって治るわけではなかった。お金を稼がなければ生きていけない、家族を養えなかった。だから自分が歩けなくなったとしても手が使えなくなったとしても、その代わりをする者を雇えばいいのだと切り替えたのだ。

事実を嘆き、恨んだところで何も生まれない。責任転嫁をすることで事実から逃げたとしても心の安らぎは一瞬でしかない。その後もまた同じことで悩まされるに違いない。目の前で起こる、または自身に降りかかった事実はそれが全てだ。結果、自らが変わらなければ何も変わらない。僕にとっては父であり師匠である春山 満、彼から人生においてとても大事な教えを学んだ。

   

田村先生から初めて聞いた「フレイル」という考え方に、僕はかなり共感できるものがあった。詳しくはラジオのバックナンバーでまずは聴いてもらいたい。
弊社の新事業「グッドタイム トラベル」でもたくさんの事例を見てきたが、身体の元気は若い時に比べ落ちたとしても、心の輝きをいかにもつかで第三の人生(65歳以上)は大きく変わる。例えば、身体機能の回復もしくは現状維持を図るため高齢者施設などではリハビリを行う。若い時はある一定期間のプログラムをこなせば、元気な時と同様の身体に回復するだろう。しかしながら高齢になると、筋力面からしても回復することはかなり困難な状況だが、なによりも一番の問題点は目標がなくなるという精神的なことだと僕は考える。我々のサービスをご利用いただき旅行された方の中に、高齢者施設で丸二年間寝たきりの状態でベッドもリクライニング機能で上体を10度ほどしか起こせなかった方がいらっしゃる。しかし旅行が決まり、たった半年でベッド脇に腰をかけられるようにまでなられた。なぜなら明解な目標ができたからだ。

今の日本の高齢者は、身体が不自由になると目標がなくなり張りのない生活しか送れないと諦められている。実際に提供されているサービスから考えてもそう思われることは仕方がない。目標をもつことは機能回復を目的とするのではなく、第三の人生を最期までいかに輝かせるかというための手段なのである。若い時みたいに血気盛んな行動はできなくても、その世代に応じた楽しみ方をもっと増やせば生活に張りが出る。この第三の人生が輝くことこそ、日本の新しい大きな価値となると考える。

   

父 春山 満が名付けた新種の病名「弱りたがり病」。多くの方がこれにかかったことがあると僕は思う。僕自身もこのどうしようもない病に侵されたことがある。具体的にはラジオ内容を聴いてもらいたい。
この病は、現実を受け入れられなくなることから始まる。「なぜ自分だけが」とか「こんなはずではなかったのに」とか周りの人や環境のせいにしてしまう。ここで気付かなければいけないのは、自らが変わらなければいけないということだ。僕の経験からお伝えすると、他人が支えてくれようと周りの環境が変わろうと、自らの心の中は変えることができない。まずは現実を素直に受け止め、そして受け入れる。この一歩を踏み出すことができれば周りの見え方が変わり、自らの行動も自然と変わってくる。このコラムで何度も繰り返し伝えているが、「自分が変われば世界は変わる」。僕はそうやって病を克服できたと思っている。

   

裏を見せ、表を見せて散る紅葉。
改めて聞いても深い言葉だ。この言葉を心底理解することは今の僕ではまだまだできないであろう。人生論を語るにはまだまだ早いかもしれないが、できるならば自分が納得できる人生を歩みたい。納得できないことを妥協し流されるような人生は歩みたくない。誰もがそう思うかもしれないが、本当に実現できた人は何人いるのだろうか。そう思っていたとしても目先の利益だけに左右されることもある。周りの環境を理由に諦めた人もいるだろう。
オリックス(株)シニアチェアマンである宮内義彦氏は「会社は唯一の自己実現の場である」と言われていた。僕も全くその通りだと思う。自己実現を果たすために社会的圧力や環境、あらゆる高いハードルを越えていかなければいけない。逆にハードルがないような自己実現であればそもそも目標となりえないと僕は思っている。高いハードルを越え続けるからこそ力をつけていける。そうやって目標と理想を掲げ、前を向き進み続けていけば必ず活路が拓けると僕は思う。
そして、最後には良寛さんが残した「裏を見せ、表を見せて散る紅葉」を本当に理解できればと願う。

   

今回が蓑さんの最終回になる。3回に亘り貴重なお話をいただいたが、今回の若者へのメッセージは是非聴いてほしい。
「自分の道は自分で創る。そしてその道を自分一人で歩いても仕方がない」
正に、蓑さんが創られた道を、多くの方が共有しそして新しい価値を創り上げている。そこにはたくさんの大きな壁があり、越えることさえ難しいこともあるだろう。しかし、曲げないものは曲げないと心に誓い、パッションを伝え結果を出し世の中を変えてきた。ここで重要なのは結果を出したことだ。よく結果が出る前のプロセスを評価してほしいと言われるが、結果を出したものしかこのプロセスは評価されない。言い方を変えれば頑張ることは誰にでもできる。仕事では頑張りが成果に繋がれば評価され、売上に繋がり、そして個人の給与に跳ね返ってくる。プロとはこうでなければいけない。
ラジオのスタジオでは非常に優しく分かり易く説明してくださった蓑さんだが、メッセージの裏に隠された本質を探ると非常に厳しくもある。ただこの厳しいメッセージに触れるからこそ自らの心が奮い立つ。蓑さんの言葉を一つの生き抜くヒントに是非していただききたい。

   

今回も蓑さんのお話を伺ったが、若い世代に重要なメッセージを発信してくれている。
「他の人には絶対負けないことを1つ持つこと。そのためには小さなことでも上手くいけば、それを自信に繋げること」
僕もこの言葉には凄く共感できる。人と同じことだけをやっていたら自分自身のスペシャリティは創れない。例えば、誰よりもプレゼンが上手いという能力があったとする。プレゼンが上手いということは話すことが上手なだけではない。話の組み立て方やオーディエンスの心情をいかに掴みプレゼンに挑むかなど、いろいろ能力が必要となる。その1つのことを愚直に紐解き、研究と学びを繰り返せば、人には負けない能力になり得るだろう。他人には理解し難いことであっても、狭く深く徹底して突き進むからこそ自分だけのスペシャリティとなる。
父 春山 満が進行性筋ジストロフィーを発症してから、自らの身体をセンサーに色んな商品やサービスの開発・販売をしてきた。難病をきっかけに身体が不自由になった方の気持ちが誰よりも理解できるからこそ、NO1でありONLY1のブランド力を発揮することができた。僕は難病でもなければ身体が不自由であるわけでもない。その真逆のまだ弱冠31歳の元気な若造だ。しかし、29年間超重度の障がい者を家族にもっていた。その経験を活かし自分だけのスペシャリティを築きあげたいと考えている。

   

今回のゲストは美術館の革命家「蓑 豊(みのゆたか)さん」だ。海外の数多くの美術館の館長を務められ、日本でも大阪市立美術館や金沢21世紀美術館などを大成功に導かれた。正に常識の裏の非常識をいき、常識を打ち破り続けている。詳しくはポッドキャストで是非放送内容を聴いてほしい。

改めて蓑さんのお話を伺いながら考えさせられたことがある。それは日本を愛しているなら文化の違う海外で学ぶことが重要だということだ。日本の中だけを見ていると本質が見えないことがある。これまで深く考えることもなく当たり前だと思っていたことが、実は我々の不満となっていることがたくさんある。海外で生活すると良くも悪くもカルチャーショックを受ける。蓑さんの事例で言うと、海外の美術館では、子供たちが大はしゃぎしながら美術館で楽しんでいる。一方で日本の美術館は大人たちが静かな空間で楽しむため、子供たちがうるさくすることがタブーとなっている。この状況が続くと子供たちの美術離れが続き、大人になっても興味を持たなくなるのではと蓑さんは危機感を持っている。そこで子供たちが美術館へ行きたくなるような仕掛けをした結果、金沢21世紀美術館では年間150万人の来場者を達成し、今も尚来場者数が減ることがないという。

日本は小さな島国であり独自の経済発展を遂げてきた。もちろんこれは素晴らしい功績である。しかし世界と比べて、非常識がまかり通っていることもたくさんある。これはアメリカ流やヨーロッパ型を導入しなければいけないということではなく、もっと上手くやっている国を真似することが重要だということである。
現状に満足するのではなく、常識の裏の非常識を見つけ、新しい価値を創出できれば日本は更に豊かになるだろう。

   

今回はお金の話である。お金が重要か否かと問われると間違いなく必要であり重要である。特に会社を経営していく中で利益をしっかり出さなければ、どれだけいい理念を掲げていても意味がない。別の表現をするとしっかり利益を出しているからこそ、大きな理念を掲げ新しい道にもチャレンジできる。 父は「右手にロマン、左手にそろばん」とよく言っていた。これがなかなか難しい・・・。経営しているとどちらかに偏りそうになることも多々ある。しかし、憧れと理想をしっかり持つことができれば「いやいや待てよ」と踏みとどまることができる。今も悶々と悩み苦しむ日も送りながら小さな光に向かって進んでいる。ただこうやって進めるのも憧れや理想が自分の心の中に明快にあるからだ。この小さな光に向かうためには会社の体力をしっかりつけなければいけない。我慢すると決めたらとことん我慢する。それは次に大きく打ってでるために。

   

今、ハワイは空前の建設ラッシュで、ワイキキ・アラモアナエリアが重機だらけになっている。ハワイへ行ったことがある方は「どこにそんな土地があるのか?」と思われるかもしれないが、正にスクラップ&ビルドとはこのことだ。きっかけは、モノレール。第一段階はホノルル国際空港からアラモアナエリアまで開通し、第二段階は空港から西へ第二のワイキキと言われているコオリナ地区まで延ばす計画だ。ハワイはこれから更に観光地として整備し、集客にも力を注いでいく。2016年5月にハワイ州観光局が集計したハワイへの総渡航者は前年同月比で1.3%増であった。特にヨーロッパや中東などの情勢不安から、渡航先をハワイへ変更する方がかなり多い。一方、総渡航者と反比例するように総消費額は2.4%減となっている。旅行費用自体はこれまで季節によっての変動が大きかったが、今はほとんど差がなくなっている。一言で表すと「バタバタ貧乏」になっているのだ。この背景には低額料金でしか来れない学生や若年層を多く取り込みすぎていることが挙げられる。ハワイの街は人で溢れかえっていても、消費額は伸びていないのだ。

僕たち世代のハワイ旅行は、「一度は行って当たり前」と海外慣れしていない人がまず手始めに行く場所になっている。しかし、団塊の世代の方々からすれば「憧れのハワイ」というイメージがあり、このブランド力はかなり根強いものがある。しかし、高齢になると自由な時間やある程度の蓄えはあっても、身体に不安を覚えハワイ旅行を断念する方々が多くなる。これからハワイを更に活性化させるには、その絶対的なブランド力を活かせる日本の高齢者をもっと受け入れなければいけない。身体に不安を覚え諦めざるをえないハワイではなく、安心と賑わいの中で新たな楽しみを見つけられるハワイへと変わらなければいけない。「憧れのハワイ」を更に超え「安心と賑わいの中で最後まで楽しみ続けられるハワイ」へ変貌を遂げるときが、今正にきていると僕は考える。

   

放送内容をお聴きいただければわかるが、春山家には少し変わったルールがあった。学生を終えたら実家から出ていかなければいけないということだ。小さい頃から父に「援助したるのは学生の間までやからな」と言われ続けていた。この話をいろんな方にすると「厳しい親やね」とよく言われるが、僕は小さい頃から言われ続けていたので世の中そんなものなんだろうと思っていた。

一般的に就職し働き始めると社会人と言われるようになる。しかし僕は、就職し稼いで税金を納め始めたからといって、全ての人が立派な社会人だとは思わない。ささやかな給料であったとしても、それで生活し自分の力で生きてこそ立派な社会人の一人だと思う。一人で暮らすということは、親と同居している時よりもお金がかかり面倒なこともたくさんある。ただこの無駄と思われることが意外と経験になる。僕も結婚するまでの約6年間は会社の近くで一人暮らしを続けた。最後のアパートは家賃30,000円、駐車場5,000円、共益費5,000円の12畳ユニットバス付であった。月々の固定費を可能な限り落とすことの重要性を学んだのもこの一人暮らしからである。時には飲み代がかさみ電気が止まったこともあった(失笑)。ここでは書き切れないバカな経験を山ほどした。バカな経験は誇れることではないが、かけがえのない時間となり経験となった。
就職し親と暮らすか一人暮らしをするか悩んでいる人がいたら僕は伝えたい。辛いことも多いし余分なお金もかかる、それでも一人暮らしは面白い!と。そしてこの経験が必ず自分を成長させてくれると僕は思っている。

   

今回は弊社が創業当時から取り組んでいる「老いの価値を変える」をテーマに話をしている。「老いの価値」というと少し固いニュアンスに聞えるかもしれないが、非常に重要なテーマであり、日本の老いを変えていかなければいけないということである。僕はまだ30代だがいずれ50代、60代、70代へと突入する。こんな考え方をする人は少ないが、人間生まれてきた瞬間から一歩ずつ老いに向かっている。日本では“老い”に対してネガティブな考え方が主流であるが、北欧では働きぬいた後をご褒美の時間「グッドタイム」と表現する。またアメリカでも「ハッピーリタイアメント」と言われいている。
なぜ日本では、『老後』つまり“老いた後”と表現したり、『余生』“余った生(いのち)”と表現するのだろうか。これでは“老いる”ことに対して良いイメージもわかなければ、できれば迎えたくない時代のようにも感じてしまう。体は元気な時のままではなくても、まだまだはつらつと心を輝かせることはできる。そのためにはこの日本の「老いの価値」を変えていかなければいけない。
40年後、僕が“老い”に直面したとき、老いたからこそイキイキと心を輝かせ生きることができる環境をこの日本で創りたいと切に願い、日本を変えていくと強く思う。

   

三週連続で放送してきたスペシャルゲスト オリックス(株) シニアチェアマン 宮内 義彦氏も今回がラストである。ビジネスについて、若者について、そして人として本当に大事な考え方を伺ってきた。その中でも今回話されている『答えのない質問をみつけること』がいかに重要なことで、しかしながら、日本の教育ではこの事が抜け落ちているということがよく分かった。
仕事をする上で、それぞれの職位やポジションによって責任や役割は異なるが、少なくとも上を目指す人にとっては「答えが用意されていること」だけをしていてはいけないと僕は思う。一つの事業を運営する中で、自らが頭をぶつけ突き進まなければ道は拓けない。またこの『答えのない質問をみつけること』ができたら、金脈を掘り当てるぐらいの価値がある場合もある。最初は答えがなくても、自ら先駆者として新しい答えを導き出し新しい価値に変えていく。世の中の成功者と言われる人はそうやって切り拓いてきたのではないだろうか。

宮内氏もまさにその一人だと思う。常に答えのない質問に向き合い、一般常識から法律までありとあらゆる知識・情報・経験を組み合わせ、答えを導き出してこられたのだろう。最初は人に理解されなくても、志を持ち、憧れ、努力し続けることでこれまでたくさんの答えを出してこられたのだと思う。
三週に亘り宮内氏の生き抜く哲学をご紹介したが、まさにこれこそ“生きた哲学”そのものだった。

   

今回のゲストも前回に引き続きオリックス(株) シニアチェアマンの宮内 義彦氏だ。非常に厳しい方であると聞いていたが、インタビュー中は終始穏やかで冷静で、お話の内容も分かりやすく温かいお人柄を感じた。しかし、表情や発せられる言葉は冷静そのものであっても、その言葉の裏を読み解くとやはり激しい思いをひしひしと感じた。「もっと若者はチャレンジしなさい!今の現状に満足するな!」、と僕の心に残った。

宮内氏の若かりし頃より今は生活環境も仕事もかなり落ち着いている。しかし、その反面ダイナミックな日本を失ったとも語られている。仕事という一つのフィールドは自己実現の場所であるとも言われていた。
放送はされなかったが、宮内氏も数え切れないほどの失敗を繰り返されたそうだ。自己実現を果たすためにはこの失敗を糧にして次に進む。なぜ失敗しても何度も立ち上がれるのか。それは大きな憧れへ向かっているからだと感じた。憧れが何かは分からなかったが、今もなお常に先を見られている。歩んでこられたいばらの道は、僕にとって本当に参考になり素晴らしい教えになり、そして宮内氏は僕にとって新たな憧れの人になった。

   

今回は超スペシャルゲスト、オリックス(株) シニアチェアマン 宮内義彦氏だ。コラムを読む前に是非放送を聴いていただきたい。
その中で特に印象に残ったのは「リスクの取り方」の話だ。リスクと聞くと避けたいと思う方が多いかもしれないが、大なり小なり人間はリスクを抱えながら生きている。リスクを避けるのではなく、どのリスクを取るかの決断をしなければならない。また、意思を持ってこのリスクを取らないという決断も重要である。これはリスクが怖くて避けることとは全く異なる。
どんなチャレンジにも、リスクは必ず伴う。宮内氏は、とにかくたくさん失敗することも重要だと教えてくれた。同じ失敗を繰り返してはいけないが、積極的に新しいチャレンジをすることが何よりも重要である。その中で失敗することもある。そのときは、次のヒントを見つけてそこから這い上がる。宮内氏は、正に活きた哲学そのものであった。
そして、宮内氏の著書「グッドリスクをとりなさい!」では、若い世代に向けて熱く、それでいて分かりやすいメッセージに生き抜くヒントを残して下さっている。是非手に取ってもらいたい。

   

僕は父 春山 満の生き方を見てきて、人生は長さだけが重要ではないと痛感させられた。一般的に60歳で生涯を終えることは早いかもしれないが、父の人生はかなり濃縮されていた。24歳で進行性筋ジストロフィーを発症してから全力疾走で駆け抜けた人生だった。 改めて思うことは、自分が与えられた役割や責任をしっかり果たし、そしてないものねだりをしないということ。大きな目標を掲げ今日一日を懸命に生きることから始めなければいけない。身体が元気なことだけが健康ではない。心身共に健やかで初めて健康といえる。

一生一回きりの人生。大いに暴れて、楽しんでいきたいと思う。

   

弊社では昨年スタートした介護サービス付きの旅行事業「Good Time Travel」が少しずつ認知され始めている。諦めていた家族旅行を叶えてもらいご家族から大満足をいただいている。長い人生、時には諦めざるを得ないことももちろんあるだろう。ただ今の日本は高齢になったというだけで諦めなければいけないことが多すぎると僕は感じている。これまで必死に働き、一生懸命子供を育てあげ、そしてご褒美の「老いの時間」には、“清く、暗く、貧しい”選択肢しか残されていない。
残念ながら人間誰しも老いる。そして若かりし頃のような元気を取り戻したいと思うかもしれない。しかし、体の元気は戻らない。この現実を受け入れることがまず重要だと僕は思う。「老い」を受け入れ、これからの時間をいかにフル活用するかが、心を輝かす大きなポイントだと僕は考える。
塗り絵をしたり、お歌を歌ったり・・・。介護事業者はこんな子供だましをいつまで続けるのか。本当の大人の楽しみを提供することでお客様に満足していただき、費用もいただく。「少しお金はかかったけれど、本当に楽しかった」と言われるサービスをこれからは増やさないと、“清く、暗く、貧しい”日本の「老い」は決して変わることはない。

   

前回の放送に引き続き、カレー倶楽部ルウのルウ王子(日置社長)をゲストに迎えている。改めて放送内容を聴き直し感じたことは、本当に人生って面白いっていうこと。自分が思い描いていたとおりに進まず、時には夢を諦め、異なる道で思わぬブレイクを果たすことがある。ラジオ番組を通じて多業種の方々をゲストにお迎えする中で共通しているのが、どんな不運であったとしても、恨んだり嫉んだりされていない。今与えられた役割、目の前の仕事に一生懸命取り組んでいらっしゃる。バカにされることもある。無視されることもある。嫌味を言われることもある。そんな中でも現実を直視し、自らの力で一歩ずつ新しい道を切り拓かれている。そうやって自らが一つの燈火となり小さくても輝きだすと、一人、また一人と仲間が増えていく。たった一つだった燈火が、気付いた時には10、100と連鎖するように増えていく。
これが正に一燈照隅である。

   

今回のゲストはかねてから怪しいという噂を耳にしていたカレー倶楽部のルウ王子こと日置純彦さんだ。ラジオではなかなか伝わらないがテレビでも度々登場しているのでご存知の方も多いだろう。特徴はなんといっても黄色のフェイスマスクをかぶり、おでこに縦の赤文字で「るう」と書かれている。一見変な人に見えるが、実はカレー界の革命児とも言える存在で大変活躍されている。
人物は言うに及ばず、自慢のメニューであるカレーもインパクトがある。その名も「チキン南蛮カレー」だ。ルウ王子は宮崎県の都城市でカレー屋を営み今では東京、大阪と各都心にも店舗をフランチャイズ展開されている。なぜここまで注目されるようになったのかなど詳しくは放送内容を聴いてもらいたい。

ルウ王子と出会い、色んな話を伺う中でただ一言いえることがある。なりふり構わず目的を達成するためにがむしゃらに頑張ることが世の中を変えるということ。これはルウ王子の生き様を見て改めて気づいたことだ。我々はよく選り好みし人の目を気にして大胆なことができなくなっている。出る杭は打たれると言うが、出過ぎた杭は誰にも打てなくなるのをルウ王子から学んだ。

   

先週に引き続きゲストは株式会社いきいきらいふ 代表取締役会長の左 敬真氏だ。今回の放送では一般社団法人 日本介護協会で行っている『介護甲子園』について語っていただいた。
このゼロから新しいプロジェクトを起こすことは並大抵の努力ではできない。むしろこの『介護甲子園』に関して言えることは、介護業界や現場で働くスタッフにとって間違いなく新しい価値の創出に近いものがあると思う。だが、このコンセプトを理解してもらいスポンサーを集めることは極めて難しい。しかし、今年でこの大会は6回目を迎える。そして、東京を離れ初めて大阪で開催される。
父 春山 満の言葉を借りると「ロマンとそろばん」を併せ持ち、この両輪がしっかり駆動すれば健全な運営とともに発展し続けられる。ロマンだけでは飯を食えない。そろばんだけでは面白くない。新しい価値を創出し継続させていくには、このキーワードを忘れてはいけない。

   

今回のゲストは、株式会社いきいきらいふ 代表取締役会長の左 敬真氏である。左会長はデイサービスを展開し、自らつくったモデルをフランチャイズ化して全国に広げている。詳しい内容は放送を聴いてもらえればわかるが、もともと建築士を目指していたそうだ。これからの時代、高齢者住宅などの建築需要が増えると考え、勉強のため施設を見学したところこの介護業界の常識の裏の非常識に気づいたという。
どの業界も似通っているかもしれないが、その業界にどっぷり浸かってしまうと気づかない非常識がたくさんある。ここに気づき、最初はバカにされても自らを信じ行動し続けたからこそ今は多くの方の賛同を得ている。そして、介護職のスタッフにもっと輝いてもらいたいと願い、一般社団法人 日本介護協会を設立し『介護甲子園』という大会まで行っている。考えや理念だけではなく行動で示し「介護から日本を元気に!介護から日本をつくる!」とパワフルに活躍されている。
結局、ごちゃごちゃ口だけは達者な人が多くいる中、先頭に立って理念を曲げず行動する人はほんの一握りしかいない。この熱い想いと行動が人を気づかせ、行動させ、そして大きなムーブメントに変わるのだろう。まさに「一燈照隅」である。この行動力をこれからリーダーを目指す人には是非学んでほしいと僕は思う。

   

グッドタイム トラベルは昨年2月から新サービスとしてスタートし、多くのお客様からお問合せをいただき利用していただいている。ラジオでも伝えているがこれは介護が必要な方だけに満足していただく旅行ではなく、ご家族全員に旅行を楽しんでいただくサービスである。僕たちはその旅行に必要な情報を調べ手配し、旅行当日にはトラベルケア アテンダント(介護スタッフ)を同行し介護サービスさせていただく。

僕が特に大事にしているのは、この旅行を通じてご家族にどれだけ満足していただけるかということである。不安な気持ちに寄り添いながらご希望に添えるよう、考え提案する。意外と固定観念から「これは無理」と決めつけていることが多い。なぜ無理と考えてしまうか、それは適切な情報がないためだ。一般の旅行会社に尋ねても曖昧な答えしか戻ってこなければ余計に不安になる。

僕はお客様のご希望をどうしたら叶えられるかだけを考える。時には高額なサービスになることもあるが、お客様に事実をしっかり説明し、その上で選択していただければいいと考えている。また、どうしても叶えられないことがあるのも事実である。そのときは、納得していただけるようご説明する。最初から「これは無理、あれは絶対にできない」という諦めの蓋を取り除くのが僕の仕事である。選択肢をできるだけ多く持っていただき、介護が必要な方の身体と心を支え、ご家族の心まで支える事業にしたいと考えている。

   

今回の放送の中で、グッドリスクとはどのようなリスクなのかを分かり易く解説している。しかし、僕は未だ何がグッドリスクなのか何がバッドリスクなのか、はっきりとは分からない。ただはっきりとしている事は何をやってもリスクは付いてくるということ。明日も元気に生きていられるかどうかなんて誰にも分からない。頑張って努力したって目の前の仕事が成功する保証はどこにもない。仕事も生活も生きていること自体、全てにリスクはある。しかし、そんなことを事細かに神経を尖らせ毎日怯えながら過ごす人はいないはずだ。
僕はグッドかバッドかよく分からないが、自分の判断で決断し行動させていくことがグッドリスクを理解するのに一番近い道ではないかと思う。たとえ失敗したとしてもその経験を肥やしにすれば、失敗のし甲斐があるのではないだろうか。手痛い失敗であったとしても、そこから学べることはたくさんあるはずだ。こうやって地べたを這いながら泥臭く自分を成長させていきたいと僕は思う。

   

ここ最近ラジオ番組ではコンスタントにリスナーの皆様からお便りをいただけるようになった。中でもメッセージを聴かれ、その内容を実践されている方が増えている。これは番組をしていて本当に嬉しいことだ。
父 春山 満の番組を受け継いだとき、本当にこれで良いのか正直わからなかった。ただとにかく、父であり師匠である春山 満の考えをもっと伝えたいとだけは思っていた。もしかしたら、殆ど聴かれない番組になるかもしれないとも考えた。でもこんなチャンスは滅多にないという気持ちも同時に込み上げてきたのを今でも覚えている。「もし聴かれもしない、評判も悪い、リスナーからのお便りも届かない、聴取率も悪いとなれば、止めたらいいんだ。だったらせっかくのチャンス。まず3カ月やってみよう!」と最後はふっきれた。

結果、番組を始めてまだ二年しかたっていないが手応えを感じ始めている。
番組をやり続けて改めて思うこと、それは自分の中の不安な気持ちをふっきるためには全て自分の行動で示すしかないということ。人から教えてもらったり、本で学ぶこともあるが、それはあくまできっかけにしかすぎない。ある一線を越えるのは、自ら飛び込むことだ。ダメ元で飛び込み、その中であがきまくる。それが大きな自信に繋がる。迷ったらやってみる。そしてやり続けてみると、また新しい世界が見えてくる。

   

僕はこのメッセージに対してあまり大きなことは言えない。なぜかというと、僕も以前は人にどう見られるかを気にし過ぎていたからだ。「春山 満の息子だから」とか「春山 満の息子として」とか妙に格好をつけようとしていた。変なプライドが強かったのだろう。一方で春山 満の息子と悟られないように振る舞おうとしていたことも事実。こうなってくると矛盾だらけで、自分から完全に迷宮入りしてしまっている(笑)。
今考えてみると僕は数えきれないぐらいバカにされてきた。お蔭さまで大いにタフになったと自負している。何を言われようが、どう見られようが好きにしてもらっていいと今は思っている。一番やってはいけないこと、それは良く見られたいからというだけで、自分の考えや信念を曲げてしまうこと。出る杭は打たれるという諺があるが、出過ぎた杭は打たれないということを僕はいろんな方から学んだ。目指すは出過ぎた杭、目いっぱい突き抜けようと思う。

   

今年4月「 Good Time 」という冊子を弊社から創刊した。これは老いの新しい価値を創出することを目的として年2回の発行を目指している。是非、手にとっていただきたい。
今回は「 Good Time 」創刊号にも載せた僕のメッセージを紹介させていただく。


29年間、車いすの父と旅行し続けたからこそ伝えたい「新しい家族の旅」

 2014年2月、私の父 春山 満は進行性筋ジストロフィーによる呼吸不全で亡くなりました。私が生まれたのは父が31歳の時。24歳で難病を発症した父は私が生まれた頃には既に車いす姿でした。超重度の障がいを持つ父ではありましたが、年3回の家族旅行は欠かさず続けてくれました。そんな父と家族と過ごした旅行の思い出は父を亡くした今もなお、鮮明に心に刻まれ私たち家族を支えています。
 そして、2015年2月からスタートさせた新サービス「グッドタイム トラベル」。このサービスはご高齢になられ家族旅行そのものを諦めている方、そしてその周りのご家族を支える新サービスです。私には、29年間車いすの父と旅行をし続けたからこそ伝えたいことがあります。
 それは「 老いこそグッドタイム!」ということ。身体は年齢と共に皆平等に衰えます。しかし、私は老いてもなおいかに心を輝かせ続けるかということが重要だと思っています。
 「 Good Time 」の創刊により、新しい価値を創出したいと考えています。老いたからといって一律のサービスしか選べないのではなく、もっとバラエティ豊かなサービスから、自己責任と自己選択で選べる日本にしたい。



 

「 老いこそグッドタイム!」
身体を支え、心を支え、そして家族を支え。
近い将来、「 Good Time 」が日本の高齢期における
 新しい価値となることを願い創刊させていただきます。




「 Good Time 」創刊号(無料でお読みいただけます)
http://www.hni.co.jp/goodtimetravel/booklet.html



   

「人生はニコニコ顔で命がけ」僕が大好きな言葉の一つである。この言葉は喜びに満ち溢れている時に活きるのではなく、辛い時に心を支え勇気を出させてくれる。そんなこと言ったって辛かったらニコニコなんてできないと言われる方も多いと思う。でもよく考えてみてほしい。例えば、元気のいい居酒屋とろくに挨拶もしない居酒屋と比べて、居心地がいいのはどっちだろう。もしかしたら、愛想のない居酒屋の店主はお店の経営なのか家族のことなのか何か問題を抱えているのかもしれない。普段は元気よくやっていても今日だけ元気がなかったのかもしれない。でもね、客にはそんな話全く関係ない。辛い時こそ笑顔でニコニコしていないと、更に負のスパイラルに入ると僕は思っている。
我社では来客や電話に出る時、とにかく元気よく挨拶することを教育し続けている。そんなの当たり前と思われるかもしれないが、僕からすると9割の会社はできていない。当たり前のことをやり続けることは本来評価に値しないが、ほとんどの会社ができていないから我社が評価されることがある。これってラッキーだと思わないだろうか。もう一度当たり前のことができているか皆さんにも確認してほしい。もしできていないことがあると気付いたら今日から改めるべきだ。

   

今回のゲストは前回ご出演いただいた株式会社フルカウントの池上専務のお兄さんであり代表取締役社長である恭介さんだ。池上専務には兄弟で事業を行う上での想いや葛藤を弟の立場として伺ったが、今回は兄の立場で兄弟経営をどう考えるかを尋ねた。

僕にも弟がいるので池上社長の葛藤が凄く理解できる。僕は兄弟や姉妹というのは適度な距離を保つことが仲良く過ごす秘訣だと思っていた。しかし池上兄弟の場合、仲良く過ごせればいいということではなく、いかに経営していくかという非常に難しいことにお二人で取り組まれている。正直、弟が生意気を言うと「おれの言う通りにやれ」と言いたくなる。そう言われた弟は更に反抗してくるだろう。この兄弟特有のプライドの戦いを、ビジョンを共有したビジネスの場で戦わせ、共に経営していくことは、僕には到底できないと思う。株式会社フルカウントがそのようにして新しいビジネスを創り提供しているところに僕は非常に興味を持った。お二人の役割が異なる中で、それぞれの責任と覚悟がこのお二人からは見えた。これから事業が拡大すればするほどぶつかることが多くなると思うが、乗り越え更なる絆を深めていただきたいと心から応援したい。

   

今回のゲストは株式会社フルカウント(以下、フルカウント)の池上専務で、僕と同学年だ。フルカウントのメイン事業は高齢者住宅へ出向き、出張デパートを展開している。デパートやショッピングセンターへ行けなくなった方々へ、見て選ぶ喜びを提供している。僕は彼の事業にも興味を持ったが、もう一つ興味を持ったことがある。それは兄弟で経営をしているということだ。池上専務のお兄さんが代表取締役を務め、フルカウントを統括されている。
一般的に兄弟で会社を起こし継続させることの難しさは知られている。ただこのお二人の互いを尊重し尊敬し合う素直さが、良きパートナーとなりえているのだと思う。それぞれが役割と責任を持ち突き進む姿には、誰にも真似できない絆の強さを感じた。兄弟だけにこれからもたくさんのぶつかり合いやトラブルが巻き起こるだろうが、その壁を乗り越え頑張っていただきたい。今後の池上兄弟の活動に注目したいと思う。

   

今回も先週に引き続き番組放送100回を記念したイベントの模様だ。ゲストの元毎日放送アナウンサー野村 啓司さんに生き抜くヒントを伺ったが、僕が一番心に残った言葉は「辛抱するもんですね」という一言だった。40年近く同じ道を進み、極められた野村さんだからこそ言える言葉である。
アナウンサーの道だけではなく、どの道であっても辛いことはある。野村さんの話を聞いて辛抱とはただ単に辛いことに耐えるのではなく、次に打ってでるための耐え忍ぶ時間だと改めて気づいた。辛いことにぶち当たっている本人は「なぜ俺だけが・・・」と悲観したくなるが、この時こそ煮えくり返りそうな気持ちを落ち着かせ、辛抱し、次のチャンスを忍び待つ。だからこそ最後に野村さんが言われた「ひねくれたらあかん」という言葉につながってくる。

チャンスというのは、皆平等にそれぞれの回りを飛んでいると僕は思っている。そのチャンスを掴める人は、日々感度良くアンテナを張り巡らせている。ただ、チャンスを掴んだからといって成功するとは限らない。チャンスを掴んだが失敗する人もたくさんいる。それでも、シビアな世界を生き抜こうとするとき、最低でもアンテナを張り巡らさなければチャンスというきっかけすら掴めない。ふてくされ、ひねくれて、回りの人のせいにしたり環境のせいにする人は、どれだけ時間をかけてもチャンスは掴めないだろう。

   

今回の放送はMBSラジオ『失くしたものを数えるな!大丈夫や〜!!』の100回放送を記念し公開収録を行ったときの内容である。父 春山 満が2011年4月から2014年3月末までパーソナリティを務めた番組『春山 満の若者よ、だまされるな!!』を含めると250回を超えている。父は冗談半分で1000回放送までやろうと公言していたこともあり、その意思を継ぎ今のところ毎週放送できている。
これまで、とにかく必死で放送してきた。内容が面白くなくなってはいけないし、面白さだけに引っ張られ本質を外してはいけない。プレッシャーを感じながら毎週放送している。年に2回聴取率の調査があり、そこで番組が聴かれているかどうかの成績表がでる。引き継いだ当初は数字が落ちたが、昨年からまた伸びてきている。

自分の番組となり、100回を迎えて気付いたことがある。志を持ち勇気を出してチャレンジすれば決して無駄はない。志があって失敗したことは糧となり、成功したことは自信となる。この繰り返しが自分自身を成長させるのだと。1000回目を迎える時にはまた新しい気づきがあるのではないかと今からワクワクしている。この目標達成のために、毎回1回ずつをしっかりやり続けようと思う。

   

まだ僕は30年しか生きていないので人生はちょっと寂しいぐらいがいいのかは分からない。ただ父はこのメッセージを伝えるとき、不思議な笑みを浮かべていたのを覚えている。父は20代半ばで難病を受け入れ、60歳まで生きた。失くしたものを数えず、残っている機能を120%活かせば絶対生き残れると、必死に生きてきた。こうやってどれほど強い気持ちを持ち続けていても、心の中では寂しいこともあるのだろう。
「一回でいいから息子とキャッチボールをしたかった」
「もう一度この手で女房を抱きしめたい」

生きていれば想像もつかない不遇や不運に巻き込まれることもある。本当はこうしたいと思っても出来ないこともある。それでも自分にしかできないことがあるはずだと、父は自らを奮い立たせて生きてきた。
晩年こんなことも言っていた。
「若い頃は信用もないお金もない中で必死に働いてきた。そして今、多少の蓄えもでき信用も得られるようになった。でも命のタイムリミットが近づいている」

何かを得るためには何かを犠牲にしなければいけないこともある。全てを得ようとするのではなく、人と比べるのでもなく、限られた時間を少し寂しくなることがあったとしても懸命に生きる人生の大切さを教えてくれたメッセージではないだろうか。

   

この言葉を初めて聞いたとき「なんて残酷な言葉だ」と思ったことを今でも覚えている。ただこの言葉を本当に理解できたのは父を亡くしたときだった。父が息絶える直前まで涙は止まらなかった。恥ずかしながら人生であそこまで泣き崩れたことはない。その時にこの言葉が頭の片隅にあったことを覚えている。

「死にたいやつは死んでいけ。俺はこれから朝飯だ」

人は自らどうしようもできない境遇に身を置かざるを得ないことがある。父の難病もその一つだ。また人の死もそうだろう。自分ではどうすることもできない。どれだけ辛いことがあっても時間が止まる訳ではない。受け入れたくなくても受け入れざるをえないことが生きているうちにはある。そういう時にこそ自らを奮い立たせる。そして、また新たな一日が始まる。
人生はニコニコ顔で命懸け。

   

今回のラジオでは僕が自分の足で回ったトラベル情報を伝えている。宮内兄貴からは「本当に行動の鬼・・・狼・・・」と言われているが、現場を知るためには当たり前のこと。どれだけ頭で考えていても行動しなければ意味がない。「私も同じ様なビジネスを考えていたんですよ」、このような言葉をよく聞くが、考えることぐらい小学生でもできる。こうしたいという強烈な憧れを持ったら即行動しかない。もちろん行動が成功に繋がるとは限らない。しかし、成功は行動した人にしか掴みとれない成果である。だからこそ勇気を持って今動きださなければいけない。

   

僕は春山 満を見ていて、老いていく父を感じることが多々あった。父が亡くなったのは60歳という老いを感じるにはまだまだ早い年齢かもしれないが、難病の進行がその様に見せたのかもしれない。今、僕が言っている老いとは身体の老いのことであり、年を重ねれば皆平等に通る道である。

一方で、僕は父から心の老いを感じたことがない。難病が進行しても嘆いたり、諦めたりすることは皆無であった。身体の機能が奪われていく中でその現状を受け入れ、今置かれている環境を把握していたようにみえた。元気だったらとか、難病にならなかったらというネガティブな発言は、一度も聞いたことがない。
この老いという人間の摂理を理解し受け入れることで、嘆く人生ではなく、より自分の望む自分らしい人生が全うできると僕は父から学んだ。

   

今回も株式会社ライトハウスの巽社長がゲストだ。僕はまだまだ新米経営者だが巽社長の考え方に共感できる部分がたくさんある。その中でも常識を疑い同じ業界や一般的には非常識と言われることに対しても信念をもって愚直にやり続けることがあげられる。ビジネスの発展や技術の発達の原点は常識を疑うことからではないだろうか。
常識というのは今現在一般的に通じる考え方を表す言葉ではあるが、これが未来に繋がるとは限らない。書店業界を一つの事例にすると分かり易い。インターネットが普及するまで、本は書店に足を運び購入する方法しかなかった。これが紛れもない常識だった。しかしインターネットが普及すると最大の書店はインターネット上で購入するAmazonになった。某大手書店はバブル期に比べて書店数は約二倍になっているが総売上額は横ばいのままだ。

全ては今の常識を疑うことから始まる。そして時代や環境と共に変化しなければいけない。今の常識に囚われあぐらをかいていると、いつか必ず足元をすくわれる。肝に銘じなければいけない。

   

今回のゲストは株式会社ライトハウスの巽社長だ。僕が大好きな先輩経営者の一人。もともとマーケティング会社に勤められていた巽社長が松坂牛を一頭買いし、焼肉屋を展開し始める奮闘ストーリーは非常に勉強になる。今となっては世界最大の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」の口コミランキングで常に上位に位置し、お店は海外からのお客様で連日満席だそうだ。

ただ決して輝かしい成功ストーリーではなく、挫折の繰り返しが今の現状を作っているのだと言われる。挫折して終わるのではなく、そこからまた立ち上がり、次を試みる姿は我々若者に勇気を与える。巽社長は自分のことを臆病だとも表現されていたが、経営者はこの臆病さと大胆さを持ち合わせないといけないと思っている。

人と比べるものではないが、僕もこの10年で大きな挫折を一度した。その時は現実を受け止められず、思いっきり逃げた。しかし逃げたところで結局のところは何も変わらないことにも気がついた。挫折をするということは、それだけ目の前のものごとに真剣に向かい、本気で取り組まなければ起こらない経験だ。挫折しても立ち上がる強さは誰からも得られない。自分が経験しなければ得られない。だから僕は胸を張って言いたい。挫折しない人生なんて、つまらない。

   

この言葉はラジオのリスナーの皆様からも人気のある言葉の一つだ。僕は自分の気持ちを切り替える時によくこの言葉を思い出す。上手くいかないことや嫌なことがあった時でも、寝て起きて次の日になれば新しい1日がまた始まる。過去の起こってしまったことは振り返らず、今置かれている環境をどのように活かすかが重要だと思う。起きてしまったことを振り返り「もしあの時こうしていれば・・・」と考えても、これから進む道は何も変わらない。だからこそここで気持ちを切り替えることで、また新たな1日を始めることができる。

僕は毎朝6時前後に起き、犬の散歩に行っている。約30分ほどではあるが、この間に今日一日やらなければいけないこと、今課題として浮き彫りになっていることなどを考える。朝のこの時間は誰にも邪魔されない貴重な時間で、頭はクリアで、考えるのにもってこいだ。そしてこのルーチンワークを続けていると頭が勝手に切り替わってくれている。毎日「日に新た 日に日に新た 日に新た」とは唱えていないが、僕なりの気持ちの切り替えをしている。

   

僕は運がいいか悪いかと問われるといい方だと答える。仕事に恵まれ、仲間に恵まれ、環境にも恵まれている。ここで誤解しないでいただきたいのは、楽なことだけをしているから恵まれていると感じるのではない。仕事も好きなことだけしていればいいから恵まれていると感じるのではない。
僕は人より抱えるストレスは大きいと思う。辛い、しんどいこともたくさんある。でも僕は嘆かない。人のせいにしない。環境のせいにしない。いい結果も悪い結果も引き起こしているのは全て自分である。僕は常にそのように考え行動している。こうやって清々しく毎日を過ごしているとタイミングよく動き出したり、素晴らしい人との出会いが生まれたりする。結果的にラッキーと思えることが増える。
いい運を掴むキーワードは「人生、ニコニコ顔で命がけ」。しかめっ面して、文句ばっかり言ってたら悪い運しか掴めないのだ。

   

2015年を振り返ると怒涛の一年であった。僕が代表を務めるハンディネットワーク インターナショナルでは新サービス「グッドタイム トラベル」が始動し、全国のホテル・旅館の視察が始まった。一方、プライベートでは長男が誕生したことも大きなライフイベントであった。
宮内兄貴同様に僕も1年通じ、あまり振り返ったり、立ち止まらないようにしている。しかし年末年始だけはゆっくりこの1年を振り返り、そして新しい1年をどのように歩むかをじっくり考える。歩んできた道、これから歩もうとしている道を整理することで心が落ち着く。1年に1度はこの様な時間も悪くない。

   

今回の放送は僕が全国の旅館・ホテルを回る中でお勧めする宿を紹介している。昨年2月からグッドタイム トラベルという旅行事業を始め、要介護認定を受けた方とその家族の旅行をサポートしている。安心して旅行を楽しんでもらうには旅行中の介護はプロに任せることも一つだが、宿泊先の選定も重要である。あくまで家族旅行ということを考えると要介護の方だけが参加する旅行ではない。時には3世代の旅行もある。

僕は昨年10月から全国の旅館・ホテルを回り一つずつ確認をしている。事前にネットでバリアフリーの部屋を持っているところを選定し、気になる旅館・ホテルを視察する。僕がこの視察を行う中で最も大事にしていることは、家族旅行をしっかり楽しんでいただけるところかどうかである。グッドタイム トラベルではかなり拘りを持ってお客様へ旅館・ホテルを提案している。これには大きな理由がある。それは、この旅行が最後の家族旅行になるかもしれないからである。そう考えると自分の目で見て、現場のスタッフと話をしなければ、僕たちも自信を持って提案できない。自信のなさはお客様の不安を生むことになるからだ。これはプロの仕事とは言えない。この旅行を通して家族の絆を今一度紡いでもらいたいと切に願っている。
今こうして僕がコラムを書いているのは沖縄である。沖縄の素晴らしいリゾートを後日紹介したいと思う。

   

もう番組の準レギュラーと言えるおおさか往診クリニックの田村先生がゲストだ。田村先生からは医学生へ伝えたいことをお聞きしたが、ちょっと方向を変えて若者に伝えたいことを今日は書きたいと思う。

僕は昨年30歳を迎え、世間一般でいうとまだまだ若者の一人かもしれない。僕にとっての20代はチャレンジと挫折の繰り返しだった。ハワイの短大を卒業し本土のラスベガスの大学へ編入したが、自分は何がやりたいのか、どうしたいのか、目標を失い恥ずかしい話だがカジノとバイトに明け暮れる日々を過ごした。そのモヤモヤが続く中、カジノで楽しむおじいちゃん、おばあちゃんの姿を見て僕の考え方が大きく変わった。日本の高齢期は清く暗く貧しいというイメージを持っていたので、自分の時間を自分のお金で最後まで楽しんでいる姿は衝撃だった。これが僕の一つ目のターニングポイントだったと思う。そこから父の高齢期の価値を変えるビジネスに興味を持ち、大学を中退し父に弟子入りした。

父の下で働く以上プレッシャーはかかる事は覚悟しての弟子入りだったが、そんな中でも人の目に負け、2年近く働いたとき突然覚悟の糸が切れて逃亡してしまった。ただ自分が決めた道から逃げたことに矛盾を感じ、更なる覚悟のもと、父の下に戻った。そして2年前、やっとビジネスのいろはが少し分かりここからというときに、父が亡くなった。

20代で学んだこと、それは真剣に愚直に生きていればどんな環境だって学べるということだ。周りがどうとか、環境が悪いとか、そんなことは言い訳でしかない。結局自分との闘いなのだ。だからこれから社会人になり歩んでいく20代前半の若者には誰よりも真剣に生きてほしいと思う。社会は矛盾していることや、ろくな大人がいないことを嘆くのではなく、どれだけ壁にぶつかっても立ち上がってほしい。そうやって歩めば一人、二人と真の理解者が出てくる。そして新たな環境が作られる。そうやって志をもって歩めば30代のスタートはどんな環境であっても清々しく感じ、また大きなチャレンジをしたくなる。こう考えると、いかに20代の経験が重要だったかを今にして思う。

   

今回はゲストに大阪往診クリニックの田村学先生を招き「死の質」というテーマでお話をしていただいた。僕は祖父と父を在宅で看取り、その経験から言うと、いかに最期を迎えるかということは重要である。これは在宅で亡くなることがいいと言っているのでない。最期はこう迎えたいという本人の願いを、尊重し、叶えることができ、家族である僕自身も安堵と共に満ち足りた思いを覚えた。
父は倒れる直前まで仕事をしていた。これは父が望んでいた姿であったと思う。人によってはリタイア後の人生を、今まで行けなかった旅行へ行ったり、田舎へ移住したり、住み慣れた町でのんびり暮らしたりと好きな過ごし方をされるだろう。父にとって、仕事は人生そのものであった。もちろん家族を養い、自分の人生を豊かにするために稼いでいたが、それと同じぐらい大事なことがあった。それは、「日本の医療と介護を変える」ということだ。晩年は若者へメッセージを発信し、これからを生き抜く若者へ元気と勇気を与えていた。父は迫りくる「死」を感じながらも悲壮感漂わせることなくキラキラと心を輝かせていた。多くの方から若くして亡くなったと思われているが、僕は心を輝かせ続け、よく60歳まで生きたと感心する。

人間、皆平等に老いる。これは紛れもない事実だ。10代20代と比べると身体の衰えは誰もが感じる。ただ、心を輝かせ高齢期でしか味わえないご褒美の時間という考え方をもつこともできる。僕が高齢期において最も重要だと思っていることは、この心を輝かせ、限られた時間を“誰と過ごすか、どこで過ごすか、いかに過ごすか”ということ。こうして人生を全うできれば自然と「死の質」はよくなると僕は思う。

   

これがなかなか難しいんだな。頭で理解していても感情的になり相手の話を聞いていないことや、相手の話を素直に聞くことができず自分の都合のいい様に解釈してしまっていることがある。
僕は意図的に相手の話をよく聞くようにしている。それはこちらから相手に何かを伝えようとするときに、相手のことを理解していないと伝わらないからである。父 春山 満がよく「メッセージは人を動かす!」と言い切っていた。これは話すことだけが卓越していてもできないこと。話をよく聞くことで総合的な理解があるからこそ、こちらからのメッセージを伝え切ることができ、人を動かすことまでもが可能になるのだ。
僕はもちろんこの領域にはまだ達していないが、一歩ずつそこへ近づいていきたいと思っている。

   

このメッセージは若者にとっては非常に興味深いものではないだろうか。僕の経験からいうと、組織はきっちりとマニュアル化され限られた枠の中で仕事をしている。このマニュアル化されているという事は仕事を進める上で重要なことだ。しかし、時代や環境に応じてこのマニュアルが合わなくなってくる。よく業界の常識としてまかり通っている事も業界外の人からすれば、なぜそんなシステムでやっているのかと疑問に思う事がある。業界内で働く人はそれが当たり前と思いこんでいるのと、慣れ親しんだ環境を変えたくないと当然ながら思う人が多い。ただ、それは誰の為のシステムなのか?スタッフのため?取引先のため?お客様のため?ほとんどは自分たち働く人の都合だけで考えられている。
新入社員の若者はこういう会社や業界の常識を見て疑問に思うはずだ。絶対にこうした方がいいと伝えても先輩や上司からは「いいから目の前のことをしっかりやれ」とか「こんなもんなんだから仕方ないよね」という返答が返ってくる。
だから僕はこれから入社する若者に伝えたい。先輩を疑え!上司を疑え!会社を疑え!もちろん疑う前に自分の会社のことを学ばなければいけない。そして疑問に思ったことは稚拙であっても素直に聞く。こんなもんなんだと流してしまったら、目の前にいるバカな上司にいずれ自分もなってしまうぞ。

   

今回のテーマは僕が新しく始めた『グッドタイム トラベル』についてだ。これはラジオリスナー限定で、僕のお勧め旅館・ホテルを紹介していく内容である。昨年10月から視察をスタートさせ甲信越、北海道、東北と75の宿泊先を訪問した。その中で僕がお勧めできるところは1割あるかないか。特に僕たちがサービスとして実施している旅行業は、ご高齢の方とそのご家族に対して旅行をプランニングし実現していただいている。ご高齢の方といっても要介護度でいうと3から5の方のご家族からのお問合せが非常に多く、その背景には家族ではどうしても旅先で適切な介護ができないとか、大手旅行会社で引き受けてもらえなかったなどがある。
グッドタイム トラベルのコンセプトは ”あきらめていた家族旅行を、もう一度”。僕は自分の経験を通して、ご高齢の方はもちろんだがその周りのご家族をお支えするサービスとしてスタートさせた。高齢期を迎えてからでもたくさんの思い出を作ってもらい、結果的にご家族の心を支えることに繋がるサービスである。だからこそ僕は自分で日本全国を巡り、自分の目で見たものだけを信じ、そして何よりも宿泊先の方と実際に話すことでリアルな情報を得ることを重要視する。こうやって新しい価値を創りあげていきたいと考えている。

   

新年あけましておめでとうございます。今年もしっかりコラムを書いていきますのでよろしくお願いします。
弊社の年初めは僕のセミナーから始まる。今年は第30期を迎え、節目の年となる。弊社はこれまでは父であり創業者でもある春山 満がゼロから創り上げてきた。「日本の医療・介護を変える!」と志を掲げ実践してきた。改めてこの30年の歴史を振り返り、やっと土台ができあがったと実感した。これからはこの30年をかけて創り上げた土台の上で、我々が新たな芸を披露したいと思っている。そのためにはこれまで行ってきたことに終止符を打つこともある。限られたメンバーであり、厳選されたメンバーでやっていこうと思えば、一つの事業を撤退することも重要だ。言い換えると、撤退するからこそ新しい一歩を踏み出せるのだ。

我々は次の30年へ向かって既に一歩を踏み出している。
『明るく、元気に、賢く、逞しく、何としてでも生き抜く』。この弊社DNAを最大限に活かし、積極的に攻め続けていく。

本年も何卒よろしくお願い致します。

   

何事も新しいスタートというのは清々しく心が躍る。夢や目標を持ち、立ち向かう。まず初めの一歩を踏み出すことがとても重要だ。しかし、スタートを切ってからもっと重要なことがある。それは我慢し信念を曲げずやり続けられるかということだ。

僕は今日本の高齢者サービスの価値を変える商品・サービスを開発している。価値を変えるということは1年2年でできるものではない。ただ常識の裏の非常識をどうしても変えたいと思うようになった。実際にサービスとして提供し始め、まだまだ軌道にのっているとは言い難い。しかし、そんなことは大きなタイムスケジュールの中で折り込んでおかなければいけない。大きな夢、目標、憧れはそんな簡単に辿り着けない。

宮内兄貴は本当に夢を持った方がいいのか?と言われているが、僕は持った方がいいと思う。僕にとっての夢とは世界地図と同じ。辿り着きたいと強烈な目標を持つからこそ近づいていける。ただ目標や夢を掲げたからといって皆が辿り着けるか?それは宮内兄貴が言うように1%に満たないかもしれない。遭難する人もいれば溺れてしまう人もいるだろう。日本の人口は約1億2600万人でその1%というと126万人。1%ときくと物凄く低く感じるが、126万人と表現すると、いける気がしないだろうか?笑 モノゴトを難しく考えるのではなく楽観的に考えることも時には必要だ。
これから新しい門出に立っている人は勇気を持ってスタートをきってほしい。但し、我慢の時期も必ずあることを忘れずに。

   

今回のゲストは僕の同級生であり現在ミュージシャンとして活躍している北川達也だ。まだまだ無名ではあるが、夢をしっかり追いかけ地べたを這いつくばって頑張っている姿は僕にとってもかなり刺激になっている。
彼を見ていていつも感じることだが、とにかく後先を考えず目の前の大きな崖を笑顔でよじ登っていく。崖の上に何があるのかもわからない。でも彼はそこに何か次に繋がるヒントが必ずあると信じて行動している。時として周りから否定もされる。しかし彼にとってそんなことは関係がない。自分が信じた道であればとにかく突き進むのが北川スタイルだ。だから人一倍失敗も経験している。まだまだ格好いいとは思わないが、ボロボロになりながらもいつも輝くオーラをかもしだしている。僕はここに彼の可能性を感じる。

ここ最近の若者はチャレンジしないとよく言われるが、これは大人たちも全く同じである。失敗することに恐れ、易きことに流されている。価値があるものは大多数が支持する事と捉えている人があまりにも多い。だから大群衆が右に行けば何も考えず右に行く。稚拙であったとしても自分を信じ行動する勇気がない。そんな中で北川が歩んできた道は、これからの時代を生き抜く我々の大いなるヒントになると僕は思う。確かにまだまだ無名だがその歩んでいる姿は誰よりもキラキラ輝いている。運やチャンスというのはこういう姿をしていないと掴めないのだ。

   

勝負ごとというのはどれだけ努力したとしても勝つとは限らない。自分がどれだけ勝ちに拘り続けたとしても、相手がそれ以上に努力し結果を出すことだってある。高い目標や厳しい相手と戦えば戦うほど当然負けが込むだろう。この高い目標に挑み続け、負けても負けても立ち上がり更に挑戦し続けるか、諦めて別の道を探すか、どちらかの選択を迫られる。僕は志を持った本気の行動であれば、どちらの道でも良いと思う。一番良くないのがろくに準備も整えず同じ過ちを繰り返し戦ったことだけに満足することや、諦めて愚痴ばかり言って負けたことを他人や環境のせいにしてしまうことである。

本気で戦うということは、志を持ってとにかく我武者羅にチャレンジすることである。負けたとしても負けから何を学ぶかが非常に重要だ。その悔しさをバネにし次の道へ活かさなければただ単に敗北しただけ。これを良しとしてしまうと負け癖がついてしまう。中途半端な行動をするぐらいなら寝ていてもらうほうがよっぽどましなのである。

社会に出ればライバルはたくさんいる。同業者もそうだが、もっと身近なのは例えば同僚などもライバルの一人だろう。しかし一番手ごわい相手はこのどちらでもない。自分の心に打ち勝てるかどうかである。打ち勝つためには努力をし続けなければならない。ただ、忘れてはいけないのは努力したから報われるのではなく、報われた人だけがその努力を認められるということ。僕はこんなフェアな世の中が大好きだ。

   

この教えは、頭で理解できても行動で示すのが非常に難しい。僕はこの教えをまだ完全に実行できていないが、常に頭の中に置き、得意の時には思い出す訓練をしている。また上手くいかない時も同様で下を向かないようにもしている。これは僕の性癖からかもしれないが、優勢に立った時よりも劣勢の時の方が一番燃えて面白い。ピンチだからこそチャンスがあると僕は心底思っている。
先日、社内で大きなミスがあった。毎月弊社のお得意様にはDMをお送りしお得なキャンペーン情報を流している。このチラシを入念に作り上げ、DM発送業者に必要部数を渡し発送をかけてもらうのだが、恥ずかしながらDM発送前日に誤字が見つかった。僕の指示はただ一つ。「印刷をかけ直し、発送日は変えるな」ということ。もちろん業者に頼めば軽く2、3日は発送までかかってしまう。ただ僕はそれをすると運気を逃すと思ったのだ。即日で印刷をお願いできるところを探し、すでに封入済みのDMを全て引きあげ、夜なべして弊社スタッフ全員で作業を行った。結果、発送日も変更せずギリギリ間に合った。そしてその月、目標を達成した。

仕事をしていると、事業が上手く進む時は細かく手を加えなくても進んでいく。しかし、上手くいかなかったり劣勢に立たされた時に、どう行動するかが事業を進める中で最も重要である。「運」は降ってくるのではなく、自らの手で掴まなければならない。失意の時こそ淡々と進めれば、必ず光は見えてくる。

   

僕は「ダメもと」という考え方を大事にしている。特に新規事業を起こす時や新しいことに着手する時は、非常に重要だ。近頃、中途半端に賢い人が本当に多い。知識は豊富で勉強熱心。でも行動に移せない。僕はこういう人を見ると「かわいそうだな。もったいないな」と感じてしまう。せっかくの知識や努力が何も活かせていないのだ。知識を蓄えるために日々努力し勉強も一生懸命しているが、それを実証するための行動が伴っていない。現場で感じ経験した実証結果がないだけで、彼らの言葉には全く力がないのだ。
これからの時代、勉強したり知識を蓄えるだけならロボットが全てやってくれる。人間にしか感じとることができない感情、人間にしか表現することのできない感情を大いに活用しなければ我々人間の価値はなくなる。

大多数の賛成が得られずとも、少数派の意見であっても、信念を持って情熱を持って行動すれば、必ず人の心は揺れ動く。ただし、諦めなければの話だが・・・。

   

僕は20代前半まで世の中が理不尽な事に恨み、その恨みを爆発できず、我慢し続けていた。ある時、僕の中での我慢の糸が切れ、リアルに逃亡した。この時も「お前は社長の息子だからそんなことが出来るんだ」と多くの方から言われた。今考えてみるとその意見も正しい。一般の社員がそんなことをやってしまえば、クビになることは間違いない。そんなことを考えると今さら出来たもんじゃない。
ただもう一方で思う事は、逃亡に踏み切るまで悩んだことがあるか?そこまで真剣にぶつかったことがあるか?はち切れるまで我慢したことがあるか?
僕は僕がとった行動を肯定するつもりはさらさらないが、落ちるところまで落ちたら後はすごく楽だ。その時から社長の息子というプレッシャーから解放され「どうせどう見られてもケチ付けられるんだったら、ドラ息子のままいこう」と心に決めた。そうすると今まで恨み続けていた人、事柄が可愛く見えてきた。そして自分が変わると嘘のように周りの人の対応も変わってきた。

ここで学んだ事は、人を変えよう変えようと思っても中々変わらない。だったら自らがまずは変わってみる。そうすると周りの反応が変わり始める。万が一、周りが変わらなかったとしても自分の見る目が変わっている。結果的に僕には変わった世界に見えるのだ。時にはプライドを捨て変わらなければいけない時がある。その時は思い切って捨ててみてはどうだろうか。きっと新しい世界が拓けるはずだ。

   

僕はまだ30歳になったばかり。正直、死に直面するような経験をしたことがない。自らの死を意識したこともない。ただ、今も死に一歩ずつ近づいていることは事実である。父は60歳でこの世を去ったが、生きた年月の長さより、いかに生き抜いたかが重要ではないのかと、僕に突きつけて逝った。

変えることの出来ない宿命と戦っても仕方がない。諦めるのではなくその宿命を受け入れ、限られた環境を120%活用することが出来れば必ず新たな扉が開く。

ないもの強請りし、文句ばっかり言ったところで何も変わらない。だったら今ある環境を活かす他はない。一生一度の人生、宿命を受け入れ運命を切り拓き、そして最後には自らの命を自らが立てる。立命という憧れに向かって。

   

僕はまだ30歳になったばかり。正直、死に直面するような経験をしたことがない。自らの死を意識したこともない。ただ、今も死に一歩ずつ近づいていることは事実である。父は60歳でこの世を去ったが、生きた年月の長さより、いかに生き抜いたかが重要ではないのかと、僕に突きつけて逝った。

変えることの出来ない宿命と戦っても仕方がない。諦めるのではなくその宿命を受け入れ、限られた環境を120%活用することが出来れば必ず新たな扉が開く。

ないもの強請りし、文句ばっかり言ったところで何も変わらない。だったら今ある環境を活かす他はない。一生一度の人生、宿命を受け入れ運命を切り拓き、そして最後には自らの命を自らが立てる。立命という憧れに向かって。

   

今回は宮内兄貴が本物の『ばか者』を紹介してくれた。これは是非、放送を聴いてもらいたい。僕からすれば宮内兄貴も充分ばか者ではないか(笑)!?と思うが、突き抜けたそのお二人の事例を聞くと驚きを越え感動すら覚える。

なりふり構わず突き抜けるのはそんなに簡単なことではない。非常識だと叩かれても貫く姿は本当に格好良い。憧れたら近づかなければいけない。感動で終わっても仕方がない。まだまだ僕は常識に囚われているのかもしれない。それなら、自分を変えていくまでだ。今自分を拘束している常識を捨て、本当に自分がどの様にしたいかを突き詰める。こんな男の美学を一つでも体得できれば、人生さらに面白くなりそうだ。

   

今回の放送では特に『ばか者』がフォーカスされている。この番組の準レギュラーであり一番弟子の宮内兄貴は、ばか者でも突き抜けたばか者にならなければいけないと語っている。父も同じことをよく言っていた。「世間の常識に囚われず、自らが志を持って突き進めば必ず道は拓ける。世間からすれば非常識な事をやっているわけだから、必ず批判される。ただ、それが自分の信じた道であれば、自分を信じなさい」

今回の放送を終え改めて父のこの力強い言葉を思い出した。常識に囚われるのではなく、非常識から常識をつくっていかなければいけないと僕も痛切に感じている。その為には兄貴が言うように突き抜けたばか者になる努力が必要だ。

   

「忙しい」とは心が亡ぶと書く。僕は忙しいという表現を極力使わないようにしている。しかしいろんな仕事が立て込むとこの言葉が口をついて出そうになるが、グッとこらえることがよくある。なぜなら、言葉というのは一言で相手の印象を決めてしまうからだ。
一方で、仕事をしていて忙しいのは当たり前だし、忙しくなければいけないのだ。自分たちが提供している商品やサービスがお客様から喜んでもらい飛ぶように売れることは本当に素晴らしいことだ。その為に広告を出したりイベントを行ったりあらゆる手法で集客を図る。ここで忙しいからといってお客様対応が疎かになるようなことはあってはならない。僕たちの給料はどこから出ているのか?それはお客様からである。会社というフィルターを通して頂いているのだ。お客様に喜んでもらえず、売れもしなければ、お給料はやがて払えなくなる。会社は銀行から借り入れをしてでも従業員には支払わなければいけないが、業績が悪ければいずれ融資も打ち切られる。

「一期一会」という言葉があるように、忙しい時ほど笑顔で爽やかに対応しなければダメなのだ。基本中の基本だが、商売をする中で絶対に忘れてはいけない。

   

宮内兄貴のコラムを読み、全くその通りだと思う。20%の素晴らしい出会いのために80%の無駄がある。僕はどちらかというとパーティや交流会に行かないようにしている。それは正直あまり好きではないからだ。兄貴がフェイスブックなどでいろんな方と出会い素晴らしい仲間ができているのを羨ましく思うこともある。そんな時少し孤独を感じることもあるが、以外と僕は嫌いではない。

兄貴から「おいおい、もっと大人になれよ」と怒られるかもしれないが、僕は自分が納得しなければ行動に起こせない性分。だからといって人と話したり意見交換することが嫌いなわけではない。逆に出会う数は少ないが、一つ一つを大事にしていきたいと考えている。出会いについては兄貴の様な考え方に今後変わるかもしれないが、今は自分が思うがまま納得して進もうと思う。自己責任と自己選択で。

   

ラジオでは生意気なことを言っているが、人を育てるということは本当に難しい。僕は中学校、高校、大学とサッカー部のキャプテンを務めていた。中学校と高校までは監督とコーチがいたが、大学ではサークルに近い形だったので、僕が練習メニューや試合のスタメンなど全てを決めていた。ここで特に難しかったのがスタメンを誰にするかということである。普段から一生懸命練習熱心な選手もいれば、抜群の実力はあるけど練習には不真面目な選手もいる。僕もサッカー経験者だけに初めは実力重視でメンバーを構成していたが、試合に勝てたとしてもチームの雰囲気があまり良くないことに気づいた。そこで僕は基本的なスタメンは従来通りに組み、実力では劣るけど練習熱心で諦めず頑張っている選手を途中から起用したり、ある時には先発メンバーで起用するようにした。そうするとチーム全体に良い緊張感が生まれ始めたのだ。団体競技のスポーツではどれだけチームの実力が劣っていたとしても、モチベーションが高まると小が大に勝ることはよくある。こんな試合の時はヒヤヒヤするシーンがあったとしても、何故か負ける気がしない。

スポーツとビジネス、世界は全く違うが、どちらもまずは自分が成長しなければ変わらなければ人はついてこない。僕が高校の時、強烈な監督に言われた一言が、今でも心に焼き付いている。「努力したらスタメンに入れると思うな!但し、努力をしてない奴は絶対にスタメンに入れない。もしスタメンを掴むチャンスがあるとしたら、努力し続けて結果を出した奴だけだ!」

僕は今人を起用する立場にあるが、まずは自らが努力し成長し続けなければ人はついてこないと思っている。これは常に脅迫されている精神状態だが、この緊張感を持ちつつ結果を出さなければ、人を育てることはできないと思う。

   

今回は僕がこの2月からスタートした新事業『グッドタイム トラベル』についての話をした。まだ立ち上げたばかりだがたくさんのお問合せを頂き、そしてこれまで旅行を諦めていた方々の“家族旅行”を実現できている事は本当に嬉しい。ご旅行に同行させて頂き改めて感じること、それはいかにお客様の心を支えるか、そして一緒に旅行されているご家族の心を支えるかに尽きる。
ご高齢になると要介護のご本人は家族に迷惑をかけるからと旅行を諦めがちになり、ご家族は両親と一緒に旅行をしたいけれど介護できないと諦めてしまわれる。僕はそんな方々に「諦める必要はない」と今もラジオを中心にメッセージを発信し続けている。
僕は父を亡くし気付いた。人間の健康というのはどれだけ体が元気だとしても、心が元気でなければ本当の健康とは言えないということを。高齢になれば皆等しく体は衰えていく。しかし、できることが限られた中でも、いかに心を輝かせて過ごすかが本当に重要だと僕は思っている。「体を支え、心を支え、家族を支え」こんなサービスや商品をこれからも開発し続けたいと思っている。

   

インターネットの発達によりこれまで以上に情報が便利に、言葉を変えれば安易に収集できるようになった。これは僕たちにとって喜ばしいことでもあるが、一方で僕たちが今以上に賢くならなければ、正しい情報を選び取ることができないということでもある。ここでいう正しい情報とは大多数が支持するものではなく、自分が納得できる真の情報のことである。

これまでの情報収集源は、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、書物などのメディア・出版関係が主であった。しかし、近年では前述の通りインターネットの普及で、素人の投稿があたかも専門家の意見のように扱われることがある。だからといってインターネットに制限をかけることは今更無理であろうし、この時勢からインターネット自体を取り除くことなど到底無理だろう。では、どうすればいいか。僕たちが賢くならなければいけない。タダより怖いモノはないといわれるように、正しい情報を取る為には、自らが行動し現場へリアルな情報をとりにいかなければいけない。そこにはお金、時間がかかる。当たり前のことだが、意外とインターネットの情報を信じ込んでいる人が多数いるのが事実。その情報は本当に正しいのか?というセンサーを張り巡らさなければ、素人の情報に左右され流されてしまう。「だってネットに書いてあったし・・・」と言い訳する人は、知識がなく情報に流され騙されてしまった人だ。情報というのは活きたモノでなければ意味がない。だから情報をたくさん収集したとしても、あれもこれもを取り込むのではなく、殆どを捨てる覚悟で1つでも2つでも得られるモノがあれば儲けものと思ったほうが良いと僕は思う。

   

僕は今年で30歳になり、20代という時間を通り抜けた。今振り返ってみると色んなことがあった。21歳の時ハワイのコミュニティカレッジを卒業し、ラスベガスの大学へ編入。そしてラスベガスで高齢者がカジノをして楽しんでいる姿に感動し、親父の仕事に興味を持ちはじめ、わずか1年で大学を中退し親父に弟子入りすることを決めた。22歳で入社した僕は右も左も全く分からないまま、とにかく目の前の仕事をやり続けた。24歳になるころ僕の気持ちが爆発し、1週間逃亡し無断欠勤を続けた。会社に戻ってすぐハワイで調査したいことがあると父から言われ3ヵ月間ハワイに出向した。日本に戻りグループ会社へ再び出向し、初めて父との共著「脳から血〜でるほど考えろ!!」を出版。27歳になるころ、今やっている仕事の面白さがやっと理解できるようになり、父に会社を継ぐ決意を伝えた。そして、昨年父が他界したことをきっかけに代表取締役に就任した。

こう断片を追うだけでも色んなことがあった。仕事をする中で理不尽なこともあれば、本当に感動するようなこともあったり、全てが今では良い経験になっている。そして何より父からたくさんのことを学んだ20代だった。これからの30代、もう楽しみで仕方がない。20代の頃からそうだが、失敗を恐れることはこれからもないだろう。それよりもチャレンジしなくなることを、恐れなければいけないと僕は思う。今行っている事業が一生同じ形で続くはずがない。だからこそ、新しいサービスや商品の開発をはじめ、心から“オモロイ!”と思える事業を見つけたいと思う。こう思うとワクワクが止まらない。

   

今回のゲスト今仲社長は放送で自分の仕事を天職だと言い切っている。宮内兄貴も言っているが本当に羨ましい。

僕はよく父の会社を継ぐために入社したと勘違いされているが、そうではない。無論、父からも会社を継げとも言われたことはない。父に反発し海外へ逃げ、初めて父のビジネスに興味を持ったというのが事実だ。当初、父からビジネスというものを学び3年で独立しようと考えていた。しかし、やればやるほどこのビジネスの深みにはまり、今やっていることが面白くてしかたなくなってしまったのだ。

これは僕個人の意見だが、今やっている仕事が天職だと感じるなら素晴らしいと思う。ただ僕は今の仕事が天職かと聞かれると正直わからない。天職かどうかは自分がリタイアする時に天職だったと感じられれば、これも素晴らしいことだと思う。このように感じられる人はほんの一握りだろう。だからこそ、そう思えるように今を大事に努力し、愚直に進まなければいけない。

   

仕事をする以上、その道のプロとなることは当たり前だ。これは宮内兄貴も言っている。どれだけ夢を持って追いかけていても、稼がなければプロとしては失格であると僕は考えている。なかには「儲けは少しでいい。とにかくお客様に喜んでもらえればそれでいい」この様な考え方の人もいるだろう。しかし、僕はこの様な考え方はしない。

商品やサービスを提供するプロは、稼がなければ意味がない。稼ぐためには、お客様に選んでもらわなければいけない。選んでもらうためには、商品やサービスの質をあげていかなければいけない。質を上げるためには、市場調査やお客様の声に耳を傾け、しっかり勉強しなければいけない。勉強するためには、決して今の状況に満足せず、向上心を持ち続けなければいけない。向上心を持ち続けるためには、夢や目標をしっかり掲げなければいけない。

夢や目標を何故掲げるのか?それは、我社の商品やサービスが、お客様の生活を豊かにし、延(ひ)いては僕や社員の家族の生活も豊かにしてくれることに繋がるからだ。これをするのがプロだと僕は思っている。

   

僕が経営者になって約1年。やっとリスクという事が少し分かる様になってきた。リスクは何か新しいことをしようとするときに、これから生み出す利益と社会への影響そして失敗した時の損失を、天秤にかけ測ることが多い。しかし、僕からしてみれば何が一番のリスクかというと、何も変えない、何もしない、今のままやれればそれでいい、という考えそのものだ。

来年30周年を迎える我社も、幾多の紆余曲折を経てきた。変化の連続だった。変化し環境を変え、事業内容を時代によって変えてきた。それは、同じステージで同じことしかしないほうがよっぽどリスクが大きいからだ。僕らが思っている以上にお客様のニーズは早く変化し、同じところに止まらない。お客様の満足があるからこそビジネスは継続できる。ここを決して忘れてはいけない。

   

僕たち日本人は、母国語として日本語を当然の如く使用しているが、海外からはとにかく難しい言語だと言われている。ひらがな、カタカナ、常用漢字だけでも2,000字を超える数。英語はアルファベットの大文字、小文字合わせても52文字からの組み合わせで表現できる。そして、日本語は言葉の数が多く表現も多種多様だ。しかし、表現が多すぎて時には変な言葉も生まれる。
これはラジオの放送内容でも言っているが、人は、子育てを終え定年退職を迎え孫との時間を楽しむような年になると、「老後」「余生」という言葉で表現される。一生懸命働きぬき、子供を育て上げ、やっと迎えたご褒美の時間を“老いた後”、“余った命”となぜこんなネガティブな表現を使うのか。福祉先進国と言われているデンマークではこの時間を“グッドタイム”と表現する。
年をとったら何もすることがなくなってしまう世の中ではなく、年を重ねて頑張ってこられたからこそ待っているたくさんの楽しみがあり、それを選択していただけるサービスを我々は提供していかなければいけない。公的介護保険適応の選択肢は本当に幅が狭く偏っている。もちろんニーズを満たすことも最低限は必要だが、われわれ民間企業はお客様に「そう、これ!」と選択してもらえる、ウォンツを駆り立てるサービスを提供しなければいけない。

   

僕は父を亡くし気づいたことがある。人の死は、その身近にいる人をさらに強く成長させる大きなきっかけになるということだ。もちろん亡くなり方はいろいろであるが、僕が言っているのは人生を全うして迎えた死だ。父は享年60歳と日本の平均寿命から見ても若い。しかし、長生きするのも大事だが、それよりも納得した生きた方ができたかどうかという中身の方がより重要だと思う。
父は進行性筋ジストロフィーを20代で患い、30代後半には首から下の運動機能を全廃。ただ失くしたものを数えるのではなく、残された機能を120%活性化して生き抜いてきた。最期を迎えたのが自宅のベッド。最期は病院ではなく自宅で迎えたいという希望を叶えることができた。そして、父が亡くなった翌年、入れ替わるように子供が生まれた。父を亡くして数か月後に身籠った子だった。
人生ってつくづく不思議だと思う。偶然と言われればそれまでだが、必然のような気もする。なぜなら、機嫌が悪い時の息子の顔はビックリするぐらい父に似ている(笑)。この1年たくさんの方に「お孫さんを見せてあげることができれば良かったのにね」と言われたが、僕は嘘ぶくように「父も孫を見られるとは思ってなかったし、僕も見せたいとも思っていなかった」と答えていた。しかしここ最近、「見てたら喜んでただろうな」とふと考える時がある。ただそんなことを言っていても仕方がないので、じーちゃんの伝説をこれから息子にしっかり語っていこうと思う。

   

改めて思うが身内の最期を迎える時、気心の知れたドクターが傍らにいてくれるというのは本当に心強い。放送でも言っているが今回のゲスト田村先生は父の最期を看取ってくださったドクター。

大病を患ったり高齢になったりして身体の機能が低下し医者にかかるとき、僕たちはまず治療を選択する。僕は父の最期をこの目で見届けて思うことがある。それは、父の最期は父自身が考えていたような最期だったのだろうかということだ。勿論家族は父の意志を尊重したつもりだ。それでも自問自答する。

「終わり良ければ全てよし」という言葉があるように、死までが人生だと僕は考えている。本人は延命治療を希望していないのに、家族の判断で延命治療を選択してしまう場合がある。僕はこの家族の選択には反対だ。もちろん本人が延命治療を求めればそう選択することが一番だろう。

今ちまたで、終活がブームとなっている。遺言を残したり所持品の整理などを事前にしておくことは良いことだろう。ただそれよりも、今だからできる家族との思い出や家族とのコミュニケーションをとらなければいけないと思う。遺品の整理は大変だが、本人が亡くなってからでもできる。残された家族の心を支えるのはモノではなく思い出なのだ。

   

当たり前の幸せって何だろう?このメッセージの解釈は本当に深く難しい。普通に仕事をしていればまず食べることには困らない。選ばなければ仕事もある。国民皆保険でしっかりとした医療に守られている。例を挙げるとキリがないぐらい日本は世界と比べて幸せな国だ。

給料一つとっても毎月一定の金額が振り込まれて当たり前。なぜ会社は安定して給料を社員に支払えるのか?それは会社の売上が上がっているからだ。そしてしっかりと利益を残すと社員へ賞与が支払われる。ただこの賞与も毎年もらえると勘違いしている人が多い。賞与は毎年利益を残さなければ当然ながらカットされる。

今ある環境がどれだけ有難いかに気づく為には、自らがどん底を味わう、もしくは歴史から学ぶのどちらかしかないと思う。僕だってこの有難さに気付き理解しているかというとまだまだ分かっていないと思う。だから僕は学び続け、いつかこのメッセージを自分の言葉で発信したいと思っている。

   

前番組「春山満の若者よ、だまされるな!」を昨年4月に引き継ぎ、新番組「失くしたものを数えるな!大丈夫や〜!!」となって初めての公開収録イベントを行った。本当にたくさんのリスナーの皆様にご応募いただき、また会場に足を運んでいただき、大盛況のうちに終えることができた。
とにかく印象に残ったのは、ご参加くださった皆様の胸の中に、しっかりと春山 満の教えが刻み込まれているということだ。イベントでも皆様と約束したが1000回記念放送は京セラドームでやろう!と。今となって言えることだが、父が亡くなった後、正直番組を継続しようか迷いに迷った。僕に何が伝えられるのか?春山 満の息子であっても、春山 満でなければ意味がないのではないか?こんな事を考え、現在番組の準レギュラーでもありコラムを一緒に書いている宮内兄貴に相談した。答えは一言「絶対やれ!」。その一言に背中を押され、不安な気持ちもありながら、与えられた役割に責任をもち、やり続けてきたつもりだ。

改めて思うが、何事も初めて行うことは誰もが不安や恐怖を感じる。しかし、ここで逃げたら何も身に付かない。不安と恐怖に立ち向かい、その渦中で“やれた!”という事が結果的に自信となる。だから今でも不安と恐怖はいつも僕の中で渦巻いている。そんな中、リスナーの皆様を目の前にしてイベントを行うということは、更に不安と恐怖が襲いかかってくる。それでも役割を果たすべく立ち向かう。
自信というのは得意絶頂の時につくものではなく、この不安と恐怖を乗り越える時につくものだと、番組を通じてリスナーの皆様から教えてもらったような気がする。

   

今回のラジオでも言っているが、モノの見方には2つの局面があると思う。例えば難病になり、社会や環境を恨む人もいれば、難病や不遇をバネにする人もいる。どちらが正しいか。僕には分からない。しかし、僕は父の生き方を見てきた。そして、人間にはどうしようもない宿命があることを学んだ。

僕は比較的経済面では豊かな家庭で育ったと思う。しかし、僕は父の歩いた姿を見た事がない。キャッチボール一回したことがない。思いっきり怒られた時にも、殴られたことがない。成人してお酒が飲めるようになり、コップを持って乾杯したことがない。
誰にも変えられない宿命は、誰にでもあると思う。父が難病だからといって、父の気持ちが分かるわけでもない。だから理解しようと考えたことはない。
僕からすれば難病であろうがなかろうが、親父としては変わらない。残念ながら、どれだけあがいても変わらないことはある。だからといって悲観的になるのではなく、今の環境、状況をどれだけ活かせるかだと思う。そうやって前を向き進んでいる人には、必ずチャンスを掴む“チャンス”が現れると僕は信じている。

   

今回は番組でもお馴染みとなった宮内兄貴と「自由」について語った。最近、僕が痛感すること、それは「自由」がいかに厳しく難しいかということだ。例えば、会社の上司から「A商品を改良して新しい商品を作ろうと思うが、何か新しいアイデアはないか?」と訊かれたとする。すると、まずA商品について、お客様から支持されているポイントは何か、逆にクレームポイントは何かなど、これまでの実績から分析して更に良い商品にすることを考える。
しかし、「これから新事業をやろうと思うが、何かアイデアを出してくれ」と言われたらどうだろうか。正にこれが自由に考えるということだ。当然ながらまずは今やっていることの延長線上でものを考えるだろう。ただ、誰も今の延長線上で考えろとは言っていない。今の延長線上というのは考える者にとって考えやすいことなのだ。

自由というのは誰もが求めるものではあるが、それを活かせる環境にあっても自由を理解できずにいる人にとっては、害でしかない。自由という事の本質を理解できないのであれば、自由を求めるのではなく、今ある環境、そのルールの中でいかに活躍できるかに考えをシフトさせるべきなのだ。

   

今回は宮内兄貴のコラムに少しのっかって書こうと思う。兄貴は人間が変わるには、「時間配分を変える」、「住む場所を変える」、「つきあう人を変える」と言っている。その中で僕は今「時間配分を変える」ことを心がけ実行している。

具体的には朝は必ず5時30分に起き自分の時間を作るようにしている。早起きし何をしているかというと、まずは犬の散歩をし、新聞を読み(時には本を読むこともある)、調べごとを済まし、朝食を食べながらニュースを見て、会社へ向かう。毎日忙しいと中々自分の時間がないと言う人もいるが、自分の時間は自分で作らなければいけないと僕は思っている。そしてこの時間を得るために捨てたものもある。それは僕が最も好きな仕事終わりに友人や仕事仲間と夜遅くまで語り飲み明かすことだ。こんなことを言うと「甘い!」と兄貴に怒られるかもしれないが・・・(笑)。

改めて思うことがある。それは、何かを得るためには何かを捨てなければいけないということ。欲を出してどちらもと思っても中々そんなに上手くはいかないし、一番良くないのは中途半端になることだと僕は思う。やると決めたら徹底してやり続ける!そこまでやるからこそ人は変われるのだと思う。

   

鳥の眼で見て、虫の眼で狩り、ゲリラの利点で地べたを這う。父によく言われた言葉の一つだ。鳥の眼とは大きく全体を見渡すこと。虫の眼とはコツコツ目の前のことをこなすこと。どちらかの眼だけではなく両方とも持たなければなかなか上手く物事は継続できない。そして自らのモチベーションを保つにも必要な目線である。
仕事というのはコツコツ目の前のことをこなさなければならない。しかし、それだけでは今自分が何のために、どこのゴールに向かって進んでいるのかが分からなくなる。すると、自らのモチベーション同様、チーム全体のモチベーションをも下げてしまうのだ。
例えば、ジャングルを冒険していて目の前に急勾配の崖が現れたとする。これといった目的もなくなんとなく冒険しているチームは見ただけで登ることすら嫌になってしまう。しかし、目的地に辿り着くために必ず越えなければいけない崖だと思えれば、何がなんでも登る方法を考えだそうとする。
嫌な現実があったとしても、感情に流されて決断するのではなく、冷静になりもう一度なぜ自分が今ここにいるのか、何のために始めたのかと自問自答してみると、自ずと次に進むべき道は開ける。

   

今回で三回目の出演となる櫻井よしこさん。今回は絶対に伺いたいことがあった。それはこれからの日本の若者が生き抜いていくためのヒントだ。
消費への関心が薄れていると言われる、今の若者たち。車はいらない、旅行はいかなくてもいい、留学なんてする必要がない、給料もそこそこ貰えればいい・・・。今の若者を象徴するキーワードとしてよく報道されている。ただ、そんな若者に育てたのは一体誰なのか?もちろん日本の景気や環境が大きく関わっていることはわかっている。しかし、もとをたどれば全て親につながる。躾をしなくなり、教育が崩壊し、そんな環境で育った子供たちを責める大人たち。僕は“ゆとり世代”という言葉が大嫌いだ。特にこのカテゴリーを作った大人たちが「最近の若者はゆとり教育で育ったからダメだ」と言っている。こんなバカな大人とは絶対に付き合ってはいけない。

僕も若者の一人だが、同世代やこれから社会へ出る学生に言いたい。志を持ち、この人はと思える憧れの先輩を真似て学んで、そして脳から血が出るほど考え、目の前のことに愚直に行動すれば、必ず自らが描いた目標に近づくと。大多数の批判を受けても、態度を変えず行動していれば必ず同志に出会う。せっかく生き抜くんだったら、本気で行動しようじゃないか!そして、僕たちで新しい日本を創ろう!

一燈照隅 万燈照国



   

父 春山 満は櫻井よしこさんのご自宅を始め、多くの高齢者住宅を設計・プロデュースしてきた。もちろん我が家も父の考えがしっかりと入っている。特に父が大事にしていたコンセプトは「カラクリ仕掛けの家」ということだった。例えば個人宅となると介護される人も介護する家族も一緒に住んでいるわけだから、一方にとって便利では片手落ちになってしまう。だから絵に描いたようないわゆる痛々しい介護住宅には絶対にしなかった。そこには創意工夫が施されている。元気なうちは誰が見ても普通の2階建て住宅。しかし、家族が要介護認定を受けたり車いすに乗るようになった時、今まで納戸として利用していた上下階のスペースにエレベーターが配置できたり、予めお風呂のスペックを広く取りいざという時には在宅用の入浴機器を設置できたりと、とにかく仕掛けだらけの家。

誰かが要介護になり、住宅改造あるいは住み替えを余儀なくされても、家族全員が住みやすく使いやすい家を目指さなければ、長く住み続けることはできない。だから、家を建てる時には将来のことを見据え、「カラクリ仕掛けの家」を目指してほしい。この考えは正に弊社の商品やサービス開発の理念“共に暮らしあう調和”そのものである。



   

僕は大学時代をアメリカで過ごした。ハワイ2年、ラスベガス1年。行先だけを見れば「何やってたの!?」と疑いたくなる・・・。(笑)確かに遊びも思う存分にした。しかし、人生であれほどの勉強漬けもかつてない事実である。僕は日本の大学へは進学していないのでわからないが、海外は3カ月に一度のペースで成績が悪ければ退学勧告がある。それも容赦なしに!この恐怖感からかもしれないが、軽く1日8時間は勉強せざるをえなかった。 お蔭で多少の英語は話せるようになった。ただ僕は海外で暮らし何とか生活できたことで自信がついた。もちろん学生ビザではアルバイトもできないので仕送りをしてもらっていたが、異文化で価値観が違う国の人と話したり生活をすることで、初めて世界の広さを感じた。世界地図を見てもわかるが、日本を中心に描いた世界地図は日本でしか使われていない。アメリカやヨーロッパを中心とした世界地図の方が海外では当たり前で、そこから見ると日本は極東に位置する小さな島。これを見た時、正直ショックだった。しかし、明らかになったことがあった。それは世界の中心は日本ではないということだ。日本の国境は海上に敷かれているので、民族同士の侵略は他国に比べて少ない。世界は血で血を洗い、生き抜いた民族だけが今も生きている。だからあれだけ愛国心が強かったり、宗教色が色濃くでる。

こうやって海外の空気を吸い、それまでに見えなかったものが見えた時、我々が住む日本はちっぽけな島国だということに気づく。それを理解した上で、世界との向き合い方であったり戦い方を考えなければいけない。ただ単に日本が好きで、海外には目を向けようとせず、理解しようとしたこともない人は本当の愛国者ではないと僕は思う。



   

改めて考えると、この番組を父から引き継ぎ、今こうやって多くのリスナーの皆さんに聴いて頂けることが嬉しくもあり不思議な気持ちである。この番組を企画した僕は、2011年春にスタートした時に、とにかく「日本を変えたい!」と思っていた。混沌とする社会情勢の中で、若者は希望を失い自己責任で自己選択どころか平和な日本に安心しきり安定を求めるばかり。義務を果たす前に自己主張だけが強くなり、今の日本を創ってくれた昭和の大先輩もその面影が全くなくなったように僕には見えていた。僕は一人の若者として「こんな日本では嫌だ!今はまだ先輩方が引っ張っていってくれているけれど、僕らが引っ張っていく時代になったらどうなるのか・・・政治や国に頼るのではなく自分たちでもまず出来ることがあるだろう」と思ったのだ。正にこれが一燈照隅だ。一つの燈火が片隅を照らし、これが広がり万の燈火となると万燈照国となる。万の燈火が国中を照らす。

僕は決して春山 満が親だからという理由でメッセージを配信しているわけではない。誰のメッセージであろうと、僕は納得したらそのメッセージを自己責任と自己選択で発信していく。国や政治に頼っても何も変わらない。だったら僕たちから変わろう!



   

今回のテーマは、父から口酸っぱく言われ続けた言葉だ。弊社は一つ自慢できることがある。それは社員全員がきちんと挨拶をすることができることだ。そんなの当たり前だろ?と思われる方が多いと思うが、ほとんどの会社で出来ていない。例えば、営業先で元気に爽やかに挨拶することは誰でも出来る。しかし、自分の会社にお客様が来られた時はほとんどの社員が知らんぷり。自分の席から顔も上げず黙々と自分の仕事をしている。弊社では郵便局や宅急便の配達であってもコピー機の飛込み営業であっても大事な取引先の方であっても、社員全員が起立し「いらっしゃいませ!」と元気な声で挨拶し一礼する。初めて弊社に来られたお客様は圧倒されビックリされるようだが、挨拶は基本中の基本。
しかし、僕たちも慣れてきたり、仕事に忙殺されたりすると回りが見えなくなり、この基本的な挨拶がおろそかになることがある。弊社では社長室に扉はなく、僕の席から入口が見えるようになっている。だから挨拶がおろそかになると、父もそうだったように、僕も社員に喝を入れる。
よく考えてみてください。挨拶なんて当たり前のこと。この挨拶を徹底的に丁寧にやるだけでお客様から喜ばれ、お褒めの言葉までいただける。

慣れが出ると当たり前の様にやっていた事に照れが出てくる。照れが出るとためらうようになる。特に人の上に立つ者がこの「慣れるな、照れるな、ためらうな」に気を付けなければ下は腐ってしまう。



   

今回の内容は弊社の新サービスの全貌である。弊社は日本の医療・介護業界を変えると旗を揚げ今期で29期目を迎えている。これまで色んな商品やサービスの開発をしてきたが、満を持して新サービス『グッドタイム トラベル 〜あきらめていた家族旅行を、もう一度。〜』をスタートさせた。一言で説明すると身体が不自由になっても、心に不安を覚えても行くことができる旅行をプロデュースすることだ。僕は父 春山 満と29年間共に旅行をしてきた。父は僕が生まれた時から車いすに乗り、30代後半には首から下の筋肉を全廃した。そんな家族がいる中でも一緒に旅をしてきたのだ。僕らが小・中学生の時には夏は海、冬・春はスキーと障がい者がいる家庭とは思えない旅行だった。

この経験を通し、今となって思うことがある。それは、ベタな表現だが「家族の絆」の大切さだ。日本は超高齢社会に突入している中で、未だ高齢者へのサービスが全く充実していない。一言でいうと楽しみがない!身体が衰えると共に心の不安を感じるようになる。本当はあれもしたい、これもしたいと欲はあるのに、これをすると誰かに迷惑がかかるというように遠慮しがちになってしまう。一方で、介護施設やレンタル業などのサービスは充実してきたが、エンターテインメントが全く欠けている。

そこで、僕は“グッドタイム トラベル”という旅行業を立ち上げた。僕は超重度の障がい者と29年間旅行をしてきたからこそ諦めている方に言いたい。「家族旅行をもう一度。絶対に諦める必要はない」と。

詳細は下記ページをご参照下さい。

新プロジェクト http://www.hni.co.jp/goodtimetravel/



   

僕は今年で30歳になるので、正直この人生のジェットコースターをまだ経験していない。 多分、ジェットコースターのような人生というのはその渦中にある時には気づかず、過ぎ去った後に振り返ってみると、そう感じるのだと思う。僕たち若者はそんな人生が良いとか悪いとか評論するよりも、目の前のことに必死になって、とにかく愚直に突き進まなければいけない。

これから30代に突入するが、この10年はチャレンジの期間だと思っている。22歳の時にアメリカの大学を中退し、父の会社に入社してから約8年。振り返ってみれば早いものだ。この8年間紆余曲折はあったが、1つの場所に腰を据えて僕は良かったと思っている。

狭く深くを徹底すれば絶対何かに通じる!そこに向かってとにかく進んで行こうじゃないか。やっと微かな光が見えてきた。

   

今回のゲストは、オリックス・リビング株式会社の代表取締役社長 森川 悦明さんだ。森川社長は父と関西、首都圏に20か所以上のゲストハウス(有料老人ホーム)をつくってこられた。今では介護業界のスタンダードとして注目を集めるまでになったが、ここに辿り着くまで10年もの年月がかかっている。その中で父が森川社長へ「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え」という言葉をアドバイスしたそうだ。

父は晩年「閑に耐える」ことがとにかく難しいと僕にこぼしていた。というのも父が亡くなるまでの2年間、新体制をつくっていくため現場指揮は僕が執っていた。父は頭(トップ)が2つあると組織は上手くいかないと考えていたので、できるだけ社員へは直接言わず僕のアドバイザーに徹し、会社に顔を出すことも極力控えていた。

実はこの事業承継の仕方には映画「ゴッドファーザー」が大きく影響していたと思う。父は生前、僕にこの映画を見るように言っていたが生きている間に見る事は出来なかった。そして父が亡くなってから遺言だと思い「ゴッドファーザー」見たが、正に我社の事業承継と似ていた。父は一線を退きこの映画を何度も見ながらまた前線へ出たい気持ちを抑えていたのだと今になって思う。閑に耐えられずいつまでも口を出していたら次が育たない。「閑に耐える」ということは、事業承継にとって一番難しいステップなのかもしれない。そんな状況におかれている方には是非「ゴッドファーザー」を見てほしい。

   

今回のテーマは「失くしたものを数えるな!」。この言葉は父が言い続けてきた人生を生き抜くキーワードの一つだ。父は生前何度も何度もこの言葉を繰り返し伝えていたが、本当の意味が分かるようになったのはこの一年だと思う。

僕にとっての春山 満は、父であり、上司であり、師匠である。いろんな姿の春山 満と約30年関わり多くを学んだ。特に生き抜く力強さは誰よりも際立ち輝いていたと思う。父を亡くして、ただただ悲しかった。強烈な上司を亡くして、感謝の気持ちが湧きおこった。そして師匠を亡くして決意した、絶対に俺はあなたを超えるということだ。

失くした事実だけを嘆いてみても何も始まらない。誰しも自分に起きた不幸が一番辛く感じる。ただ考え方を変えてみれば、「60歳まで生きてくれた、「30年間も教えてくれた」と感謝と敬意を表すことで次の新しい光が射してくる。「あたり前の幸せのありがたさ」を噛みしめ、その不幸さえもチャンスに変えることができるのだ。



   

今回のコラムは今までで一番書きにくい。何故ならゲストが母だからだ。(笑)

ラジオリスナーの皆様からのリクエストにお応えして、父の一周忌にあわせて、母をゲストとして呼んだ。やはり思っていた以上に反響をいただいた。実は、以前から「春山さんの奥さんは一体どんな人なのか?」と多くの声をいただいていた。謎に包まれていたベールをこれから少しずつはがしていこうと思う。

この四コマ漫画を見てもお分かりのように、父も母も家庭に戻れば一般的な夫婦。母からすれば父の難病は1つのオマケに過ぎないという。この強さは一体どこからくるのだろうか。是非、女性には今回のラジオを聴き、生き抜くヒントにしてもらいたい。



   

「得意淡然 失意泰然」とは宮内兄貴が説明してくれいている通りだ。これは人間の心理を分かり易くまとめた言葉だ。

例えば、国の助成金、補助金に関しても同じことが言える。そもそも国からのこれらの援助は国策として力を入れていきたい施策に対してで、特に中小企業にとっては有難い一時的な財源になる。しかし、この助成金や補助金に依存し過ぎたビジネスを展開しているところは弱くもろい。国から援助があるからやる銭ゲバビジネスも少なくない。こういったビジネス展開を否定はしないが、僕は助成金や補助金に頼るビジネスには興味がない。そもそも商品やサービスの開発・販売はお客様に喜んでもらい、なおかつ健全な利益を出さなければ意味がない。介護業界でも国からの援助があるがゆえに志のない素人も多く参入している。ただ、2015年4月以降に実施される介護報酬の改定でガタガタに崩れていく事業者は多くいるだろう。これではお客様への安定した商品やサービスの質が守れない。なぜなら国からの援助は永遠に続く事はないのだから。一時的に受けたとしてもそれに頼り切ってはダメなのだ。

得意絶頂の時ほど現状に満足せず淡々と次の道を模索し、失意の時ほど信念を強く持ちおおらかに前進しなければいけない。

これが結構難しいんだな。(笑)



   

「失くしたものを数えるな!大丈夫や〜!!」の番組もこの4月から2年目を迎える。父の番組「春山 満の若者よ、だまされるな!!」の後を継ぐことになったが、まさか自分がレギュラー番組を持つことなんて想像もしていなかった。この1年必死に食らいつきやってみて気付いたことがある。それはいかに拘れるか。放送内容を改めて聴きなおし自分の話し方、伝え方が本当によかったのか確認する。要は満足をしてはいけないということなのだ。当たり前のことだが、意外とここをスルーしてしまうのが人間だ。放送することが目的ではなく、放送内容を聴いたリスナーに理解してもらい「なるほど」とか「なかなか面白いな」と感じてもらわなければ意味がない。

以前、父の番組でこんなエピソードがあった。番組収録を行った時、帰路の車中で「どうやった?今日の内容」と僕に聞いてきた。僕は「良かったと思います」と答えた。しかし、父は納得できず放送前日に「もう一回やり直す」と言い出したのだ。この時、僕やプロデューサーは録り直す必要はないんじゃないかと思ったが、自分が納得するまでとことん突き詰めるのが春山 満流だったのだ。

今回の放送で双葉山の一言「未だ木鶏(もっけい)たりえず」は正に一つの道を突き詰め、どのような立場になっても自分の実力に満足せず、直向きにやり続けなさいという言葉だと僕は思っている。どこかで満足しそうになったらこの言葉を思い出し、いやまだまだだと自分で自分を鼓舞し続けなければそこで成長は止まってしまうのだ。



   

今回の内容は父や宮内兄貴が言っている通りだ。最近こんなエピソードがあった。父の命日でもある2月23日に新事業「グッドタイム トラベル」という旅行業を開設した。これは高齢者の方々や身体の不自由な方が諦めていた旅行を実現させるというプロジェクトだ。発表から1カ月が経つがかなりの問い合わせを頂いている。その中で旅行業の方からもよくこんな事を言われる。「春山さん、私も同じような事を考えていたんですよ!」考えるだけなら誰でもできる。まずは頭の中の構想を形にするために行動ができるかどうかである。意外と「あ〜でもない、こ〜でもない」と堂々巡りをして、何も始められずにいることが多い。

とにかく“行動”が全てを変えると僕は思う。むやみに行動するのではない。強烈な憧れを持ちゴールに一歩でも近づくために愚直に行動し続けなければ、何事も成すことはできないと僕は思う。



   

僕がハンディネットワークに入社したのは2007年。大学時代から何か自分で事業を起こしたいと思っていたが、父のビジネスに興味を持つようになり弟子入りをした。中・高・大学共にサッカー部ではキャプテンを務めていたこともあり、誰かに指示されて動くことより自分の判断と責任で動かす方が性に合っていると思っていたので、父のもとで修業が始まり、たくさんの上司や先輩からの指示や命令で働く環境が正直面白くなかった。しかし、これも修行だと言い聞かせやっていた。2年が過ぎた頃この環境に満足ができず父が持つもう一つの会社に1人転籍することになった。ここで初めて気づいたことは、今までどれだけありがたい環境で働いていたかということだ。自由な考えで動くことはできないが、きっちりとしたルールがあり役割がはっきりとしている。このルールや役割を一から作っていくことはどれほど難しいことか。ただ、これが出来ないようではリーダーとして失格。一人転籍したことで新たな修行が始まった。

自由を求めることは大いに賛成したい。しかし、チームを作っていこうと思えば自由だけでは作れない。特に若い人は、今ある環境を嘆き自由を求める傾向が強い。自由だけでは何もできないのだ。適度な自由さはあったとしても大枠をきっちり固めておかなければチームとして成り立たない。自由を奪われるからこそ一つのことに集中できることもあるのだ。



   

今回のテーマは「笑顔の力」だ。これは僕が父から唯一厳しく受けてきた教育である。幼少期から我が家には父の仕事関係の方が多く出入りしていたこともありお客さんへの笑顔での挨拶は徹底させられた。この頃は笑顔や挨拶の重要性に全く気付かなかったが、今になって僕はこの教育を徹底して受けて良かったと思っている。なぜなら、これがきっちり出来ていれば第一印象は悪くはならない。

我社ではどこの会社よりも自慢できることが一つある。どなたでも我社の入口を一歩入った方には笑顔で元気よくそして全員が立ち上がり「いらっしゃいませ」と挨拶をする。こんな当たり前のことを自慢するなんて自分でもどうかと思うが、これまで色んな会社に伺ったが、ここまで全員が徹底した挨拶で迎えてくれるところはない。実は、来社されたお客様からもお褒めの言葉をよくいただく。

当たり前のことを当たり前のようにやり続けることは、とても難しい。人間なのでテンションによってそれが表情に出てしまうこともある。ただそれを見つけた瞬間に注意しなければいけない。一度でも見過ごしてしまえば特に部下はその姿が許されると思ってしまう。そうするといつの間にか良い伝統も崩れてしまうのだ。

僕はこれからもどの会社よりも、この笑顔と挨拶という当たり前のことをやり続けていく。なぜなら、誰も損をしないからだ。



   

昨日、父 春山 満の一周忌を迎え改めてこの一年を振り返ってみると、新しく動き出した事業もあれば終息させたプロジェクトもあった。つくづく思うのは何事も準備が大事だということだ。父が亡くなったことで終息させたプロジェクトは想定外ではなくおりこみ済みのことだった。僕たちは約5年間の準備期間を経て社内構造の改革をしてきた。カリスマ経営者と言われた父が一人で稼いでいく形から社員全員で稼いでいく会社へと。父とともに終わるであろうと予測していた事業を終えて、そして新たなプロジェクトの準備期間ともなった。

昨日は父の命日であったが、新プロジェクトがスタートした日でもある。もしかしたら、これが“始まりらしき始まり”なのかもしれない。

新プロジェクト http://www.hni.co.jp/goodtimetravel.html



   

2014年は僕の人生において大きなターニングポイントになった。創業者であり父でもある春山 満が亡くなり、プライベートや仕事の環境が大きく変わった。ただ、だからといって一切後ろ向きな考えはしなかった。

父の死と共にこれまで大きな収益元となっていた事業が、終息したことも事実だ。しかし、我々は春山 満がいなくなったときを想定して、約10年近い準備をしてきた。おかげで会社は路頭に迷わず、次の時代を着実に創っていけている。そして、偉大な創業者を失って身に染みて感じることは「何かを得るためには、何かを捨てなければいけない」ということだ。このメッセージの奥深さをつくづく実感している。

メッセージは大事だ。特に歴史や人の人生から学ぶメッセージは深みがあり、今分からなくても時の流れと共に理解できるようになる。こういう学びを今年一年はとくに大事にしようと思う。



   

僕が父と共著で出版したのは2010年に「脳から血〜でるほど考えろ!」、2012年に「若者よ、だまされるな!」の2冊である。共著で出版しようとなったのは、僕がアメブロをやっていたことがきっかけだった。アメブロでは父の考え方を息子としてどのように捉え、日々そのメッセージをどう活かしているかを綴っていた。その活動を1年ぐらい続けていた時、週刊住宅新聞社という出版社から声がかかり親子共著で「脳から血〜でるほど考えろ!」を出版することになった。このことがきっかけとなりもっと多くの人に父の考え方を広めたいと思い、関西ローカルのMBSラジオに「これだけ混沌としている日本で春山 満の考え方は生き抜く上でのヒントになる」とダメ元で持ちかけたところ、「おもしろいですね。是非、やりましょう」と答えが返ってきた。そうして、2011年にMBSラジオ「春山 満の若者よ、だまされるな!!」という番組が誕生した。

今までにありそうでなかった異色の15分番組は話題を呼び“日本民間放送連盟賞 近畿地区番組部門ラジオ教養 最優秀賞”を受賞した。その頃僕は、父がラジオから伝えた教えを自分の手元に置いておき、いつでも迷ったら振り返られるものがほしいと思っていた。そこで、「脳から血〜でるほど考えろ!」を出版した週刊住宅新聞社に提案を行った。更に面白い内容にする為に、一番弟子である宮内 修兄さんに声をかけた。そして僕の2冊目の出版「若者よ、だまされるな!」が誕生したのだ。

これらの一連の流れを考えた時にキーワードとなったのが、「春山 満の考え方をもっと広めたい」という熱い想いだ。それもなりふり構わずダメ元の提案ばかりだった。時には「親父のことでよくそんなに熱くなれるな」とか「ファザコンか!」とバカにされた事も少なくなかったが、想いというのは自分が本気であれば必ず伝わる。どれだけ説明しても相手が分かってくれないと嘆く人が多いが、それはまだまだ本気になれていないのだと僕は思う。9割の人に「そんな熱くなるなんてバカじゃないの!」と失笑されても理解してくれる1割の人に巡り合うことができれば一生の財産となるだろう。



撤退の決断は、“モノゴト”を新しく始めることよりも格段に難しい。これは私生活でも仕事でも同じだと思う。特に仕事上で撤退と判断するのはチームリーダーとして最も重要な仕事だ。事業をスタートさせる時には仮説を立て事業計画を作り、ここまでいけばお客様に喜んでもらえ尚且つ損益分岐に到達すると明るい将来を描く。しかし、事業展開する中で見通しが悪くなりリスクだけを抱えるようになれば、誰しも撤退の決断を考えなければいけなくなる。父はよくこんな事を言っていた。「ここで重要なのは撤退と決めたらなりふり構わず逃げて身を隠すんや!そして時期を見て雷の如く打って出ろ」。逃げるというとネガティブな表現に聞こえるが、事業を長年しているとそういう状況もあるという教えだ。

武田信玄もこんな言葉を残している。「風林火山」疾(と)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如し、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し。これは武田信玄が戦の時に孫子の言葉を旗に記したことで有名だ。しかし、孫子が本来残したメッセージは「風林火山陰雷」である。“知りがたきこと陰の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し”と続けている。幾度となく戦略を練ってきた孫子だからこそのメッセージだと思う。時には身を潜めて陰に隠れることも重要。そして次に動き出る時には雷の如く打って出ろという教えだ。

僕も去年会社を引き継ぎ一部の事業を撤退した。我が社の売上の大きなウェイトを締めていた事業である。ただ新しい時代を生き抜いていこうと思えばこの判断は決して間違っていなかったと思う。今だけを見ていては次の道がない。もちろん今がなければ未来もない。右手にロマン、左手にそろばんをしっかり掲げ果敢にチャレンジしていかなければ未来は掴めない。



   

ここ最近、ラジオのリスナーの皆さんや、取引先の方から「哲朗さんはお父さんの背中を見て育ったんですね。よく似てきましたね」とよく言われる。僕はまだ親の立場になっていないので僕が受けた教育に関しては、どうであったかということは分からないが、自分が育った環境について考えてみると、僕の親はあまりにも多忙な毎日を過ごしていた。世間一般のイメージだが、父はメディアで社員や取引先に対して厳しく接している姿がよく映っていたこともあって、子供にも同様に厳しく勉強も徹底的にさせる親だと思われていたみたいだ。しかし、「勉強をしろ!」と言われた記憶が僕にはない。それだけ子供をかまう時間がなかったからだと思う。

子供の頃に父の姿を意識して見てはいなかったが、無意識に見ていたのだと今になって思う。例えば、働き方一つにしても定時という感覚がまず僕にはない。1つのプロジェクトを成功させる為の時間であれば一般的に言う残業時間、土日祝日を使うのは当たり前だと思っている。これは教えられたというよりも『働くとはこういうことだ』と父の背中から学んだのだろう。今となってはこの感覚を超ラッキーだと思っている。なぜなら、いわゆる一般的な労働時間の常識がなかったため、時間外労働をしても愚痴も出てこないし怒りも感じない。代表者という立場になったからではなく、入社した当初から働かされているという感覚はなかった。まして時間外労働しているという意識もなかった。

こう考えると親になり、家で見せる自分の態度はもの凄く重要だと思う。大人が子供の前で愚痴をこぼしたり、八つ当たりをしたりすると、社会はとんでもない場所だとインプットされていくに違いない。逆を言えば、毎日忙しいけれどイキイキして「社会は厳しいけど面白いぞ」と笑顔で言うと、親のことも社会のことも子供は憧れるはずだ。大人の世界に憧れることができる教育、今まさに必要とされていると思う。



   

「伝える」ことの重要性は父である春山 満が誰よりも実感し、その重要性を僕たちに伝えてきた。父はご存知の通り20代で五体不満足となり、考えることと話すことを最大の武器に生き抜いてきた。

父にこんな言葉で叱られたことがある。「言った口が悪いんか、聞いた耳が悪いんか、どっちや?言った口が悪いんじゃ!!」これはある取引先の方とのやりとりで、僕は伝えたつもりでいたが相手は理解しきれていなくてミスが起こった時のことだ。当時、僕はまだ未熟だったこともあり「言ったのに何で伝わってないねん!」と心の中で逆切れをしていたが、正にここに根本的な問題があると気付いた。それは、「言う」と「伝える」この二つのことが似て非なるものだということだ。「言う」というのは、僕から相手への片道方向の矢印、つまり一方通行。しかし「伝える」ということは、相手が理解しているかどうかを発信した僕が確認しなければ、伝えたつもりであっても言っただけで終わってしまい、伝えたことにならない。そのことがあって僕は“伝わっているのかな・・・”という感覚になった時にはしつこく再確認するようにしている。専門用語や難しい言葉を使っても相手が理解しなければ全く意味がない。1つの業界に浸かれば浸かるほど、その業界用語や横文字を羅列し格好をつけたくなるが伝わらなければそんな説明にはなんの価値もない。

伝えるためには、発信する側は伝えたい内容だけではなく、伝える相手のことも理解しなければいけない。伝わらないメッセージほどくだらないものはないと僕は父から学んだ。



   

今回の放送を聴いて宮内兄貴が一体何のビジネスをしているのか迷われた方も多いのではないかと思う。本業は有料老人ホームの紹介会社を経営し、東京の神田ではカレー屋を営み、はたまた個性心理學をテーマに講演活動もしている。僕もよく宮内さんは何をされている人なのか?と尋ねられることが多いのだが・・・全てに一生懸命なのでどれが本業と答えたらいいのか迷ってしまう(笑)。
さて、今回のテーマは個性心理學講師としての兄貴の話だ。ここで使われる個性心理學は『動物キャラナビ』と言って、12種類の動物それぞれの個性を統計学からひも解いていくものだ。ちなみに僕は“磨き上げられた狸”だそうだ。誤解を招かないように一応言っておくが体ではなく、あくまでも性格面である(笑)。

特徴としては、
@ 和風好み
A 古いものにこだわる
B 何事も経験と実績
C 他のキャラクターにもなれる
D 年配の人からかわいがられる
E 人間関係のために生きている
F 行きつけの店を持つのが好き
などがあげられる。ほぼ全部当たっている。

特にチームリーダーとして引っ張っていく立場にある人はそれぞれの個性を理解することは重要である。逆に部下が上司の個性を見抜くことも時には必要だろう。それぞれの環境において関わる人の個性を理解すればその人への接し方も変わるかもしれない。

「敵を知り己を知れば百戦危うからず」



   

弊社 創業者である春山 満が開発した商品は価格が高くて有名だ。一方で価格の高さだけではなく品質が良いとの評判も高い。春山はこれまで数々の商品を開発して世に送り出してきた。その開発ストーリーは壮絶なものだ。例えば、ロングセラー商品になっている“ノープレッシャークッション”。これはお尻の座骨がすっぽりとはまるポケット(穴)があり、長時間座っていてもお尻が痛くならないというクッションである。

春山は難病を抱えてから一日中車いすで座り続ける辛さを誰よりも痛感してきた。このクッションのヒントをアメリカから持ち帰り春山流のアレンジを入れて商品化した。そのための試作品はワンルームが埋まるほどの数だったという。素材にもこだわり低反発と高反発をうまく融合させて完成させた。このクッションが1枚2万円を超える。1枚のクッションが2万円!?とビックリされるが、2001年発売以来一度もリニューアルせず、一度も値引きをせずに根強い人気を今でも得ている。

ふと価格だけを見たら“高い”と感じる商品でも、実際使って試してみると価格に見合った価値があれば間違いなくヒットする。だから商品を安くする事が世の中の為とか、それがお客様目線とか、そんな事は大嘘である。価値に見合った適正な価格設定をすることでお客様の満足は充分に得られる。これは暴利を得ているわけではなく、適正な利益を得て、手に取って頂くお客様、取引先、弊社がWIN-WIN-WINの関係を築く事が大切なのだ。



   

「夢の実現なんて焦らんでええよ。一度きりの人生やねんからもっと迷ったらいいねん」皆さん、この言葉を聞いてどう思うだろうか。年代によって考え方は違うと思うが、僕はこの言葉を言われても、尚焦っていた。僕が父の会社に入社したのは22歳の頃だ。当時父からビジネスを学びたいと思っていたが、明確な夢なんて全くなかった。それでも、生意気にも3年で父のビジネスを学びきり、独立してやると思っていた。ただ、やればやるほど父の展開しているビジネスが面白くなってきた。

そして今、正に自分がやりたいビジネスが何なのかが、少しづつ見えてきた。今年で29歳になったが、7年間悩みに悩み、迷いに迷い続けた。きっと遠回りもしただろう。でも夢って、見つけたくても見つけられるものではないと僕は思っている。ある時ふと「こんなサービスを提供できたらもっとお客様に喜んでもらえるのにな〜」と思う事がきっとあるはずだ。数字の根拠はない。実証例もない。どうしらいいか分からない事が多いが、まず自分なりにリサーチを始めてみる。そうすると想像もしていなかったことに気付く。例えば、この事業をする為にはこの資格を取らないといけないとか。とにかく動き出してみると、今度は見えてくる風景がドンドン変わってくる。これまでの夢が見つからない悩みから、夢を実現させる為の悩みへと。こういう変化をしていくことが、夢を実現させる第一歩になると僕は考えている。

だから、大いに悩み、大いに迷い、ヒントを得たらトライ&エラーを繰り返していく。その中で自分が本当にやりたいことを見つけることができれば、悩んだり迷ったりした事はきっと大きな力へと変わっていくだろう。



   

前回に引き続きアコースティックデュオLuck Duckの北川がゲストだ。なんとこの番組のテーマソングを作ってきてくれた。タイトルは「大丈夫や〜!」。この歌を聴いて僕は、夢に向かって進む人達への重要なメッセージが詰まっていると思った。この歌を作った北川の経歴にも、なりふり構わず突き進む力強い姿がある。この姿に僕は凄く共感している。

僕たちが突き進む道に、正解・不正解という答えが決まった道なんてない。これはどんな立場であっても同じだ。ミュージシャンであろうが、ビジネスマンであろうが、主婦であろうが正解なんて誰にも分からないし、逆に不正解も分からない。人間は経験を積み知識が増えれば増えるほど、ややこしい生き物になっていく。もちろんこれまでの経験を活かすことは大事だが、足元を見すぎて前へ進むことに臆病になっていく節がある。

夢を追いかけるということは常に不安と隣り合わせだ。多分この不安が消えることはないだろう。世の中にはたくさんの成功者と言われている方がいるが、常に不安と戦っている。ただ不安を感じるよりも、とにかく自分の夢や目標に辿り着きたいという突き進む想いが勝っているのだ。だから、夢を見ることは誰にでも出来ても、それを叶えられる人は一握りだ。夢を叶えたいと思うのであれば、まず人間としてタフにならなければならない。このタフさが何よりも重要だ。



   

まず僕のコラムを読む前に、宮内兄貴のコラムを読んでほしい。これまでもコラムを通じて兄貴から多くの刺激を頂いたが、今回は僕の中で最も胸に刺さる一つだ。

今回は自分に対して戒めの意味も込めて書きたいと思う。世の中には無駄な物、事、出会いというのは山ほどある。何故こんなに無駄だらけなのだろうか。兄貴は出会いという事を例えに挙げ、無駄な出会いは山ほどあるが、それをしなければ本物には出会えないと言っている。正にその通りだ。これは無駄な「事」に置き換えたとしても同じだ。例えば、仕事をしていて無駄な時間を費やし浪費を重ねていたとしよう。これに気付いた人はもっと効率的にできないかと思うはずだ。人間誰しも最初から効率良くできるのであればやっている。「物」でも全く同じだ。世の中には無駄な物がたくさんある。ただ、どんな商品であっても、商品を開発する側からすれば誰も無駄だと思って世に出す人はいない。そこには想いがあるからこそ、開発費と時間を使って新しい物を世の中に出す。しかし、その想いがお客様には伝わらず「何これ?意味あんの?」となってしまう。この反応を知った開発者は再びこの商品の改良に入る。もっと便利に、もっとお客様目線でというように。

全ては無駄からスタートしている事が多い。人との出会い、事の進め方、新しい物の開発、 全てに共通している事は、初めの一歩を踏み出しているか。そこが重要だ。何も行動せず、机の前で「あ〜でもない、こ〜でもない」と頭だけを抱えていては無駄にも出会えない。何かを生み出す時というのは、いきなり完璧からのスタートはない。だからこそ、分からなくても一歩踏み出す勇気が必要なのだ。



   

幸せってなんだろうか?何をもって幸せと僕たちは感じるのだろうか?こんなことを言い始めると少し宗教っぽく聞こえるかもしれないが、たまにはこんなことを考えてもいいと思う。もちろん幸せの価値観は人それぞれで、これ!っという定義はない。 楽しいから幸せか、というとそうとも限らない。苦しいから不幸か、というと一概にそうとも言えない。これは僕の意見だが自分が決めた道を真直ぐ愚直に突き進めているかどうかが一つの基準になると思う。だから、人から「あの人は・・・」と判断されることではないと思う。しかし、20代後半で5億の借金と難病を抱えている人を見た時、誰もが「幸せそうだな」とは思わないはずだ。

そんな父が教えてくれたことがあるとすれば、どんな逆境に陥ったとしても乗り越えることができるということ。現に、父がそれを証明してくれた。お金があるから幸せ。こんなの大嘘だ。お金は重要だが、それ以上にもっと大切なものがあると僕は思う。綺麗ごとと言われても仕方がないが、僕はそう信じている。

父が亡くなり、弊社に残ってくれた社員には改めて感謝している。もしかしたら、父が健在であれば、この感謝の気持ちは出なかったかもしれない。人の死をもって、当たり前の幸せのありがたさに、ひとつ気付けたかもしれない。



   

皆さん、父 春山 満が介護・医療業界に参入するまでどの様な仕事をしていたかご存知だろうか?父は大阪市内の大きな土地をまとめる“地上げ”屋だった。不動産業と言いながらも実は強烈な仕事を任されていた。それが、なぜ介護・医療業界に参入したのだろうか。難病により介護・医療が身近になったから?自分と同じような障害のある方にサービスを提供したいと思ったから?どちらも間違ってはいない。

父は難病になるまでスポーツ万能で健康に何ひとつ疑いがなかった生活から一転し、身体の機能は坂道を転げるような勢いで低下していった。間もなく歩けなくなるという事で医者の処方の元、車いすの選定を行った。初めて座った車いす姿の父を見て「春山さん、どないですか?」と車いす業者が一言。父は初めて座ったのでなんと言ったらいいか分からず黙っていたら、業者がカルテのようなものを書きながら「うん。わかりました」と言ったそうだ。その時、父の怒りが頂点に達し「おい、お前。初めて車いすに座る人間にどないですか?とはどういう事や!どないですか?って言うのは何かと何かを比較して言う事やろ!」こうやって怒りをぶつけ病院を後にしたようだ。怒りが込み上げてくると共に、『しめた!俺はとんでもないものを失ったかもしれないけど、とてつもないものを見つけたかもしれない!』。そして父は『日本の医療・介護を変える』と旗を掲げ、今まで当たり前のサービスとして提供されていた“医療・介護のサービスの質”にメスを入れていくことになった。

ニーズとは何だろうか?これは、必要とされている最低限のサービス。ウォンツとは、本当に望まれているサービス。今ある環境や提供しているサービスを改めて見直してみてはいかがだろうか。ここに常識の裏の非常識が隠れていることがある。それが、お客様の本当に望むウォンツの姿かもしれない。



   

今回も兄貴分である宮内 修社長がゲストだ。父のことを『優しい変人』と命名してくれたが、『変態』でなくて良かった。笑

さて、宮内社長が今回取り上げたテーマは“愚直”という言葉だ。このコラムを一緒にスタートさせて丸4年が経ち、5年目に突入しているが、このテーマは度々出てくる。それだけ宮内社長の心の中に突き刺さったメッセージなのだろう。

ラジオでは愚直の解釈を宮内流に解いている。「愚直とは、馬鹿みたいに一つのことをやることだ!」 正に僕もその通りだと思う。一つのことを徹底してやるからこそ、その先に小さな光が見えてくる。流行に流されたり、上手い話に飛びついたりしても結果は見えている。行動する前から人が測れる結果なんてしれている。

父が介護事業を始めたのは難病がきっかけ。難病にならなければ、この事業の可能性には気付いていなかっただろう。そしてこの事業を始め日本の介護・医療業界を徹底的に変えようと死にモノ狂いで働いた。そこから見つけ出した生き抜く為のエッセンスが書籍となり、ラジオ番組となり、始めた頃には測れなかった結果が付いてきた。そこに理念をしっかり掲げ、馬鹿みたいに一つのことをやり続けた。

一つのことを愚直にやることで何が生まれるか!?結果は誰にもわからない。ただ、光を信じ、他人から馬鹿にされても突き進めば、必ず何かに通じる。



   

今回は定期的に出演頂いている一番弟子の宮内修さんだ。ポッドキャストで放送内容を改めて聞いたが、父に怒られて多少なりとも快感を覚えた宮内さんはドM人間だ!(笑) 我社にも勤続10年以上のメンバーがおり、中には20年を越える者もいる。父に怒られた回数だけでいくと宮内さんの比にならない程になるこのメンバーは、ドMの領域を通り越して“スーパー超ドM”(笑)。まず、ここまで父についてきたメンバーに共通していることは神経質ではないということ。一般の人より神経の太さは10倍以上あるだろう。また、切り換えのスピードが早いのも特徴だ。そして最も重要なのが、最後まで父のことを信じ続けてくれたことだろう。航海で言えば、雨風でも嵐でも父を羅針盤とし、それぞれの持ち場をしっかり担ってくれた。こういうメンバーと今こうやって一緒に仕事ができることに、僕は日々喜びを感じている。

しかし、慣れ親しんだメンバーだけではこれからの航海は立ち向かえない。新しい時代を切り開くにはこのメンバーと新たな人材とのバランスが必要になると考えている。この秋、久しぶりに正社員2名を採用した。一人は建設関係の重機の営業をやっていた28歳。もう一人はおもちゃのガチャガチャの企画・営業販売をやっていた39歳。今は研修中という立場であるが、二人とも光るものを持っている。さぁ、これから我社にどんな化学反応を起こしてくれるか、非常に楽しみだ。

“ドM”となるのか、“ドS”となるのか!?(笑) 乞うご期待!!



   

何かを捨てることは1つを得ることよりも難しく、勇気のいることだ。しかし、何かを得ようと思えば、何かを捨てるからこそ出来ることである。

例えば、弊社の商品にディプスリーというベッドパッドがある。これは常温遠赤外線の効果によって父が眠りを取り戻したものだ。値段も決して安くはなく、シングルサイズで60,000円もする。そして、この商品はターゲットを50代以上の女性に絞ってマーケティングしている。よく、値段を安くして若者にも訴求すればもっとビジネスの可能性が広がるのではないかと言われるが、僕たちはそのマーケットを捨ててビジネスを展開している。確かにマーケットは単純に広がるかもしれない。しかし、父のように本当に眠りに困っている方に使ってもらいたいという思いから高付加価値商品として販売を強化してきた。 ターゲット層が広すぎると、広告内容や訴求ポイントが分散し、本当の思いが伝わらなくなることがある。だから僕たちは本当に商品を求めている方へ適切な情報を届けるためにもこのようなマーケティングをしている。

何かを捨てることは得ることよりも勇気がいること。しかし捨てるからこそ得ることができる。ポケットに石ころがパンパンに詰まっていては、目の前にある輝く石ころを入れることはできない。この輝く石ころがダイヤモンドの原石だと思えば、まずポケットの中を整理し大胆に捨てることが大切だ。僕は“捨てるからこそ何かを得られる”と肝に銘じ、日々行動している。



   

もし父が難病になったことを泣いて恨んで評論して分析だけをしていたら、まず今の春山家はないだろうし、弊社も創立されていないだろう。残念ながら世の中は不平等で理不尽だ。ただ、こんな事を100万べん言っているだけでは意味がない。 僕はいろんな方からよく羨ましがられる。それは、社長の息子という事実があるからだ。“お金はあり苦労を知らない良いとこ育ちの坊ちゃん”というイメージが強いのだと思う。僕はつい4年前ぐらいまではこう思われることに恨みに近い感情を抱いていたが、ある時ふと疑問に思った。

「俺は誰を恨んでいるんだろう?親?会社関係の人?友達?」
恨み続けてわかったことがある。この恨みからは何も生まれなかったということだ。だから僕は決めた。世の中の人にどう思われようが僕にとっては関係ない。それから自分の小さな見栄やプライドを捨てると余計なことを考えなくてよくなった。どんな行動をしたって世間から思われることは何も変わらない。ただ、自分の行動を変えることで人の印象を変えることはできる。泣いて恨んで評論して分析しても、行動に移さなければ何も変わらないし変えられない。

今ある環境に、文句と愚痴だけを言い続けていませんか?
世の中のせい、人のせいにする前に行動で示していますか?
周りが変わらないのは、自分を変えることができていないからだと気付いていますか?

不平等で理不尽な世界なんだから、その環境をどう活かし輝かせるか。春山 満は僕たちに、自分次第で何事も明るくイキイキした人生になることを証明してくれたと僕は思っている。



   

父が亡くなってから僕はたくさんの方からこの様な言葉で慰められた。
「60歳で亡くなるのはやっぱり早いね。もう少し長く生きてくれていたら、もっと色んなことを学べたのにね」。

確かに一般的に考えると60歳で生涯を終えるのは早い方だろう。これは決して喜ばしいことではない。出来ることなら1日、1分、1秒でも長く生きてほしいというのが家族の気持ちだ。でも、いつまで生きていてくれたら満足できるのか?70歳まで?80歳まで?孫の顔を見るまで?こう考えると僕は年月の長さじゃないと思う。人にはそれぞれ限られた時間がある。たまたま父は難病という宿命を受け、60年という時間を生き抜いた。先ほどの慰めの言葉に戻るが、「もう少し長く生きてくれていたら、もっと色んなことを学べたのにね」確かに学べたかもしれない。でも、これはチャンスを逃す人の言葉だと僕は思っている。誰にも人の寿命なんて分からない。だからこそ、1日、1分、1秒でも、師匠と向き合って真剣に生きていると「もう少し長く・・・」という発想にはならない。これは無いものねだりをしているだけだ。

僕は父が亡くなり、心の中でこう思っている。
「親父、これからは俺の時代や。いっちょやったるから見といてや!」
後ろを振り返っている暇なんてない。丁寧に感謝を伝えている時間もない。

とにかく、前だけを見て走り続けることが一番の供養になると僕は考えている。



   

今回のゲストは父の在宅医師であった田村学先生だ。田村先生には父の体調管理のことで本当にお世話になった。僕の記憶にある限り、父は持病の事で病院へ行ったことがないと思う。晩年、体力が低下し呼吸がしにくくなった時、父は僕にこう言っていた。「万が一、仕事中にオレが倒れても、絶対に救急車を呼ぶな!早急に自宅へ連れて帰り、田村先生に電話しろ!」。言っている本人はいいかもしれないが、僕は「何言ってんの、この親父は!アホちゃうか」と正直思った。(笑)人が目の前に倒れて病院連れて行くなって、今考えても無茶苦茶だ。

しかし、父は病院に搬送されれば何をされるかを理解していたから僕にはこう言ったのだ。父の場合、呼吸がしにくくなっていたので間違いなく人工呼吸器を付けられる。人工呼吸が必要になったら自らの命はそこまでだと思っていたのだと思う。

こんな表現が正しいかは分からないが、父の最期は見事だった。60歳の誕生日を迎え、その10日後のことである。金曜日のラジオの収録を終え、その2時間後に倒れた。翌日少し回復したのだが、その晩に再度呼吸困難になった。そして日曜日のお昼に息を引き取った。誰にも感づかせず、僕も騙された気分だった。最期の最後まで自らの意志を貫き、鮮やかに散っていった。決して自らにも世の中にも満足したから散っていったのではない。正にこれが宿命だったのではないかと思う。このコラムを長年一緒にやっている宮内さんもそうだが、これからが春山 満の考えを具現化する時代となる。失くしたものを数えず、これから更に前進し続けなければいけない。



   

生前、父 春山 満は力を入れていた一つの塾がある。それは『一燈照隅』塾というインターネットテレビ“USTREAM”で生放送していた番組だ。この番組は反響が反響をよび、トータル再生回数13万回を突破し、NHKニュースウオッチ9にも取り上げられた。 『一燈照隅』塾は僕が企画した番組。なぜ、こんなことを始めたのか。それは、政治、社会が混沌とする中で、これからどの様に生き抜いていけばいいのかを世の中に発信しようと思ったからだ。

情報と物に溢れた社会で何を信じ進んでいけばよいのか。難病を24歳で発症した父が逆境にも負けず生き抜いた道が、必ず僕らが生き抜く上でのヒントになると僕は確信している。混沌とする中でも僕たち若者が元気と勇気を持って次の時代を切り拓かなくてはいけない。たった一人の力では政治を動かすことはできない。国も動かせない。でも、一人ひとりが小さな燈火であっても片隅を照らし、それぞれが輝けば、それが万の燈火となり必ず国を動かすことができる。一人ひとりの行動は必ず『万燈照国』に繋がると、僕は考えている。

父は常々言っていた。「自らの責任と役割をしっかり果たせば、必ず世界は変わる。文句ばっかり言って己を変えることができない者に発言する資格はない。まず、義務を果たし、それから主張するべきだ」

それぞれに与えられた環境がある。国を動かせなくても、まずは自分から。家族から。時には会社のスタッフから。こうやって今ある環境をフル活用し無い物ねだりせず突き進めば必ず小さな燈火は輝きだす。この連鎖で大きく国は変わるだろう。



   

ゲストの大下さんは3男3女の子供を持ち、洋食屋を経営しているビッグダディだ。僕からすると育児というのは想像のできない世界。父である春山 満が僕たちにどんな育児をしてきたか。手も動かない、足も動かない。そんな人に子供を育てられるのか。その答えはよくわからないが、現実に僕や弟はこうやって元気に生かされている。もちろん父はオムツ一つ変えたことがない。ミルクもやったことがない。キャッチボール一つしてくれなかった。そんな父を持った僕はよく周りから同情された。しかし、不思議とあまり寂しさは感じなかったように思う。それは、父と母の役割が我が家でははっきりと分かれていたからだ。

昭和的な考えかもしれないが、僕は一般的に言われる「育メン」があまりピンとこない。子供と接する時間が長ければいいというものではないと思う。自分の経験から言うと、子供は大人より頭が柔軟で生まれ持った環境に馴染んでいく。僕が小学生の頃は、夕方6時になっても両親共に帰って来なかった。それが我が家では当たり前の光景だった。7時過ぎに母が戻り、10時をまわって父が帰ってくる。父はまずお風呂に入れてもらい、その後に母と乾杯する。そして、もの凄く美味しそうにビールを飲み、一言「うまい!」。 僕は父から仕事の愚痴を一度も聞いたことがない。そんな父の姿を見て子供ながらに大人の世界に憧れたものだ。父はあんな性格なので僕は厳しく育てられたと勘違いされるが、ほぼほったらかしで育った。

ただ、父の背中を見て大人に憧れ、ビジネスに興味を持ったことには違いない。まだ僕には子供がいないので子育ての事は分からないが、親がしっかりと役割と責任を果たし溌溂と生きていれば、その姿が何よりの教育になると僕は思っている。



   

「「若者よ、野心と野望を持とうぜ!ただし、ロマンとそろばんを忘れるな!」 これは父 春山 満がよく僕たち社員にも言っていた言葉だ。ラジオリスナーの皆様にも心に残ったメッセージは?と聞くと、数ある中から「ロマンとそろばん」と答える方が多い。

父が亡くなり早7カ月が経つ。覚悟はしていたが、やはり突然の世代交代であった。その中でも特に、経営をする上で「ロマンとそろばん」のバランスは非常に難しい。それこそ入社したばかりの頃はロマンばかりが先行し、そろばんなんて考えていなかったと今改めて思う。しかし、ロマンだけでは飯は食っていけない。当たり前のことだが、父からの世代交代は僕にとって非常に大きなマインドチェンジとなった。宮内兄貴が言うようにそろばんをしっかり持たずしてロマンを語る資格はない。

今ある環境をフル活用し、贅沢はできないけど何とか飯を食っていかなければ明日への光なんて見えてこない。父が創り上げた土壌をしっかりと踏みしめ、握り飯片手に次の道を探していかなくてはいけない。

二代目といのは、そういった意味で本当にありがたい環境だ。ただ、そこに甘えていてはこれまで蓄えた貯蓄も直ぐに底をつく。この環境に感謝し、ありがたくその貯蓄を大胆に使わせてもらう。そして、必ず次の光に辿り着いてみせる!

こうやって、そろばんをしっかりと弾きながら、ロマンを追いかけていこう!



   

「当たり前の幸せのありがたさ」僕にとっては正直理解しきれていないメッセージの一つである。当たり前の幸せとは何だろうか?こんなことを言うと「平和ボケするな」と父から怒られるかもしれないが、これが僕の正直な気持ちだ。

もう少し分かり易い言葉で表現すると「無い物ねだりをするな」という事に繋がるように思う。父は難病になってたくさんの機能を失くしたが、決して嘆かずに今ある機能をフル活用してきた。手や足が動かなくても目や耳が機能し、更に考えることもできると。

ただ、身体が悪くなっていく苛立ちは隠しきれていなかった。その苛立ちを母にぶつけ、社員にぶつけ・・・。父は自分自身のメッセージを自らに言い聞かせながら、本気で生き抜いてきた。だからこそ分かる「幸せ」があるのだと思う。

忙しい仕事を終え、一日の最後に母と飲むビール。たまの休日には庭に出て、季節を感じながら飲むコーヒー。僕たちの夏休みには旅行へ連れて行き、僕らが遊ぶ姿を遠くから眺めること。一般的な父親と変わらない、当たり前と言えば当たり前のことをしていた。 しかし、春山 満は色んなモノを失くしたからこそ、こんな当たり前の事をも喜びに感じていたのだと思う。

そんな父は、こう言い残した。
「なにがあっても、人生って、おもろいぞ!」



   

人生って、ちょっと寂しいぐらいが本当にいいのだろうか?改めて今回の放送を聞いて思った。父は難病になってから歩けなくなり、手も使えなくなり、一人で寝返りすら打てなくなった。夏は海、冬はスキーをして、年中を問わず毎晩のように大阪のミナミで呑み歩いていた人が、26歳で難病の宣告。そりゃ、寂しくもなりますよ。

「人生はニコニコ顔で命がけ」と、どんな状況でも他人に難病の辛さを感じさせなかった父だが、心の内では独り寂しさを感じていたのだと思う。しかし、無いものねだりをせず、当たり前にある日常の有難さに気づき、感謝しながら生きてきた。

ここではっきり言えるのは、ちょっと寂しくても、それは不幸ではないということだ。寂しさを感じながらも、普段当たり前だと思っている日常の有難さに気付くことで、目の前の風景はきっと変わる。要するに、気の持ちようで、自らの置かれている状況をいかようにも好転させることができる。

「これが味のある人生なんですよ」
なんて、微笑ながら話す父の言葉が聞こえてきそうだ。



   

父からよくこんな事を言われた。「綺麗な花というのは、しっかりとした茎があって、その茎と花を支える根が十分に張り巡らされてるから咲くんや」
ここで父が言いたいのは、綺麗な花だけを見るなということだ。例えば、野球少年がメジャーリーグで活躍しているイチロー選手を初めてテレビで見たとする。「うわー、すごいなー、僕もイチローみたいになりたいな!」と感動し、イチローのバッティングフォームだけを真似したとしよう。これは、花、茎、根の3つで例えると「花」の部分だけを見ている。イチローのバッティングの上手さ、外野からのレーザービーム等、見た目の凄さに魅了されるが、「根(基礎)」の部分がしっかりしているからこそ、継続して活躍を続けられる。
何でもそうだが、基礎や基本は本当に重要である。

今僕は一つの仕事として、父が眠りを取り戻し、自らが開発した「魔法のベッドパッド“ディプスリー”」という商品をラジオ・テレビに出演し販売している。3年程前から父に代わり僕が担当しているが、やはり最初にしっかりと作りこんだ原稿をベースに販売すると凄い反響がある。しかし、慣れてくると色んな情報を盛り込みたくなる。商品開発ストーリーを伝えなければいけないのに、いわゆる一般的な通販と同じ“売り”に走ってしまう事がある。生出演のラジオは面白いぐらいに直ぐ反応がわかるが、“売り”に走ったら必ずといっていいほど失敗する。父の開発した商品は商品自体を売るのではなく、商品開発に至る考え方を売らなければ売れない。これは、弊社の基本としてある根の部分なのだ。

売上を上げたいと思うだけで売上が上がれば、こんな楽な道はない。でも実際は、自らがその商品であったり、サービスを誰よりも理解し、納得しなれば売れない。当たり前の話だが、これを中々できていない人が多い。僕はラジオで3年近く販売し続けているが、この基本を徹底的に愚直にやり続けることで、初年度の売上を3倍に伸ばすことができた。

僕は基本を忘れてしまえば、花が咲いても直ぐに枯れてしまうことを学んだ。ビジネスにおいても、人生においても、一瞬で枯れる花ではなく、長く咲き誇れる華を目指したいと思っている。



   

「マニュアル本ばっかり読んでたらあかんで〜」この言葉は父がよくラジオや書籍で発信していたメッセージだ。なぜこの様な事を言っていたのかと言うと、父は生き抜くヒントをたくさんの歴史書から学んできたからだ。時代は繰り返されるというが、正に父も同じようなことを言っていた。歴史書を学ぶことは人生という大きな教えや迷った時のヒントになるらしい。

しかし、今回ゲストで出演して頂いた春山 満の一番弟子“宮内 修”さんは全くの逆意見だ。一番弟子なのに・・・。(笑) ただ僕は宮内さんの意見を聞き、妙に納得してしまった。なぜなら、宮内さんはマニュアル本やノウハウ本を読み漁ったからこそ、春山 満という人物を知り得たのだ。この頃、宮内さんは人生の岐路に立たされていたという。一冊の本との出会いが宮内さんの人生を変えてしまった。変えてしまったと言っても読んで納得して感動して終わりではない。直ぐに行動に移し、父との面会にまでもっていったのだ。こうやって宮内さんは『虎の穴』へ入った。(笑)

マニュアル本やノウハウ本、歴史書、ビジネス書などジャンルはたくさんある。しかし、どれを読むにしろ読んだだけで終わらせては凄くもったいない。本もひとつの出会いと考えると、合わない本もたくさんあるだろう。だからこそ、自分の心を揺さぶる本やメッセージに出会えると感動する。その感動を心と頭の中だけに留めず、行動に移していくことに意味があるのではないかと僕は思う。

   

これは僕が成人してから聞いた話だが、僕が小学生の時、父に“夢”について質問をしたことがあるみたいだ。それは、『夢について』というお題で作文を書くことが宿題だった。よく覚えていないがその頃はまだ夢なんて考えたこともなかったのだろう。僕は父に「まだ夢なんてないんやけど、何て書いたらいいんかな?」と素直に聞くと、父は「そーやんな。まだ夢なんてないよな。わかりませんって書いたらいいやん」と僕に言ったそうだ。それを聞いた僕は「この親父に聞いても何のあてにもならへん」というような顔で2階へ上がっていったらしい。今考えてみるといい加減な親父だ。(笑)

そして、僕が成人し社会人として歩み始めた時にも「自分のやりたいことを焦らんでいいから見つけなさい。20代で夢の実現なんて考えなくていい。20代は大いなる練習の場やから暴れなさい」と父に言われた。そして「まだまだお前は暴れ方が足らん!」と怒られたことも多々ある。父は良い格好だけしても仕方がないと僕に教えてくれたのだと思う。

僕も今年がラストの20代。これから20代となり社会人として歩んでいく若者に伝えたいことがある。社会に出れば努力したことが必ず報われるという保証はない。努力していても残念ながら報われない人もいる。だからってふて腐れて努力もしなくなれば、その人にはノーチャンス。野心と野望をしっかり持とう。具体的な夢がなくても「お金持ちになりたい」でもいいと思う。それを実現させるために、“どうしたら実現できるのか”だけを考え前進するべきだ。評価されるのは結果を残した人だけ。

最後に、エジソンの言葉を紹介する。
“Genius is 1% inspiration and 99% perspiration.”
“天才とは、1%の閃きと99%の汗(努力)である。”



 

   

今回のゲストは、MBSラジオ「ノムラで、ノムラだ♪」のパーソナリティ野村啓司さんだ。晩年の父のライフワークは、ラジオやインターネットテレビを通じて若者へ“生き抜くヒント”を伝えることだった。その中で野村さんの番組には50回以上も出演させて頂き、多くの考え方やメッセージを紹介してきた。 その野村さんが選んでくださった心に残ったメッセージが、「教育とは、やってみせ、やらせてみせて褒めてやること」だった。

僕はこれまで春山 満を父として見てきたし、社長としても見てきた。僕が学生の頃、父は僕に興味のあることは何でもチャレンジさせてくれた。失敗しても怒られたことがない。ただ失敗したことに、言い訳したり他人や環境のせいにしたりすると怒鳴られた。要は、誰だって勝負に勝つことも負けることもある。ただ、自らを成長させようと思えば、負けを他人や環境のせいにしてはいけない。そのことを徹底的に子供の頃から教えたかったのだと思う。

例えば、新卒で入社するとする。入社して3カ月、自分が描いていた会社と違うことがわかり退職したとする。これは会社が悪いのか、本人が悪いのか、どちらが悪いのだろうか?もしかすると会社は説明会で良いことばかりを言っていたのかもしれない。新人は思い入れが強すぎたのかもしれない。

しかしここで新人は、すべてを会社のせいにしてしまうと何の気付きもなく終わってしまう。自らの眼を養わなければまた同じことを繰り返すことになる。会社としては、「今どきの若者は根性がない」で終わらせてはいけない。選択する眼を鍛えなければ無駄に教育人件費と時間を費やしてしまうことになる。ここで両者共通しているのは、自らの眼を鍛えなければ失敗を次に繋がる糧とするとはできないということだ。

僕は父から多くの教育を受けてきた。その原点は、まず僕に見せてくれることだった。それを見た僕は「なるほど。こうやったら上手くいくねんな!」と学び、それを今度は真似してやってみた。しかし、僕は春山 満ではないので同じようにはいかない。そこで自分なりに工夫してやってみる。まだ上手くいかない。もう一回原点に戻ってみる。こんな事を何度も繰り返していくうちに、気付けば春山 満の教えの本質は押さえながらも、新しい“春山 哲朗流”ができていた。

今まさに自分自身が教育する立場に立ち、教える難しさに直面している。ただ、ここで逃げては自らの成長はない。社員の成長もない。会社としての成長もない。まずは、自らが変わること。

正に、自分が変われば、世界は変わる!

   

生きていく上で正しそうな道があっても、最初から正しいと決まった道はない。逆に失敗しそうな道があっても、必ず失敗する道だとは限らない。当たり前の事だが、よく私達は行動に移す前から「あーでもない、こーでもない」と評論して分析だけをしている事がある。
例えば、あるゴール(目標)に向かい進んでいるとする。しばらくして分かれ道に出くわす。右に行くのか、左に行くのか、選択しなければいけない。仕事をしていく中でこのような二択を迫られることは日常茶飯事だ。これを勇気を持って大胆に判断を下さなければいけない。判断を迫られる時には必ずリスクもついてくる。小さなリスク、大きなリスク、いろんなリスクがある。しかし、リスクが小さいからOK、リスクが大きいからNOではない。リスクが大きくてもそれに見合った見返りがあるならば、勇気を持って踏み出すべきだと思う。
「勝負に絶対負けない法則」が唯一あるとしたら、「勝つ」までやり続けることしかないのだ。勝ってしまえば小さな失敗は失敗ではなく、勝つために必要だった経験となる。負けて泣いて評論して分析しただけでは何も生まれない。

父は死ぬまでこれを繰り返してきた。小さな勝負から大きな勝負まで、きっと負けの数の方が多かったと思う。しかし、負けただけでは終わらず、その悔しさをバネにしてさらに大きな山をモノにしてきた。
やりもしないのに「こっちの道は」とか「あっちの道は」とか言っている暇があれば、志を強く持ち勇気を持ってどちらかの道に踏み出すことだ。全ては“初めの一歩”を踏み出すことからなのだ。

 

   

今回は、弊社で23年間務める北村がゲストだ。今となっては社長と社員という関係だが、始まりは近所の友達のお母さんだった。だから、僕がハナタレ小僧だった頃から、僕のことを知ってくれている。正直、僕が入社した当初は、北村部長というよりは“北村のおばちゃん”という印象が強く、何度も言い間違えそうになったのを覚えている。(笑)

北村は黎明期から父と一緒に今の会社を創り上げてくれた、弊社の重要なメンバーの一人だ。会社では業務部長であり父の秘書として、そして今は僕の秘書・業務部長として、縁の下の力持ちとして力を発揮してくれている。

そんな北村が選んだメッセージは「明るく元気に賢く逞しく、何としてでも生き抜く」である。これは晩年、父が社員へ何度も伝えていたメッセージの一つだ。どんな状況でも、どんな環境でも、明るく元気でなければ、生き抜くどころかチャンスさえ掴むことができない。ただ、明るく元気だけではなく、さらに多くの知識をつけて自らが賢くなることで可能性を広げることができる。そして最後に、知識をつけ頭でっかちになるのではなく、自ら行動で示し、色んな経験を経て逞しくならなければいけない。父は背中を見せ、このようなことを僕たちに教えてくれた。

ここに、これからの時代を生き抜くヒントが必ずあると、僕は確信している。



 

     

これは父 春山 満が僕に残してくれた最高の教えだと思っている。24歳で進行性筋ジストロフィーを発症した父は坂道を転げ落ちるように筋力を奪われていった。何とか歩くことがやっとだった20代後半、真冬に夏物のスーツを着て仕事をしていたらしい。なぜか?数十グラムの重さに身体が悲鳴をあげたのだという。その頃、不動産業を行っていた父。不動産と言ってもいわゆる“地上げ”という仕事だった。取引先へは難病の事は隠していた。それでも辛い顔一つせず、「いや〜貧乏暇なしで、冬物のスーツを買えませんねん」と笑顔で話していたという。

父は難病発症当初もそうだが、命を終えるまでニコニコ顔を貫き通した。よく周りの人からこんな事を言われた。「春山さんってどこが悪いん?ホンマに難病なん?実は夜中に立って歩いてるんちゃうん?」と。(笑)座っているだけでも迫力があるのに、立って歩くなんて恐ろしくて勘弁してほしい。(笑) 

ただこれは、父にとって最高の褒め言葉だと思う。難病を感じさせず、人間としての尊厳を守り、対等な立場でビジネスを繰り広げてきた。僕も父から「しかめっ面してたら貧乏神が取り付くぞー」ってよく言われた。常にニコニコ顔でいるのはそんなに簡単な事ではない。しかし、自分の感情を悟られるとチャンスは掴めない。どんな状況でも『人生は、ニコニコ顔で命がけ』。これがチャンスを掴む“チャンス”となると僕は確信している。





     

これは父 春山 満が僕に残してくれた最高の教えだと思っている。24歳で進行性筋ジストロフィーを発症した父は坂道を転げ落ちるように筋力を奪われていった。何とか歩くことがやっとだった20代後半、真冬に夏物のスーツを着て仕事をしていたらしい。なぜか?数十グラムの重さに身体が悲鳴をあげたのだという。その頃、不動産業を行っていた父。不動産と言ってもいわゆる“地上げ”という仕事だった。取引先へは難病の事は隠していた。それでも辛い顔一つせず、「いや〜貧乏暇なしで、冬物のスーツを買えませんねん」と笑顔で話していたという。

父は難病発症当初もそうだが、命を終えるまでニコニコ顔を貫き通した。よく周りの人からこんな事を言われた。「春山さんってどこが悪いん?ホンマに難病なん?実は夜中に立って歩いてるんちゃうん?」と。(笑)座っているだけでも迫力があるのに、立って歩くなんて恐ろしくて勘弁してほしい。(笑) 

ただこれは、父にとって最高の褒め言葉だと思う。難病を感じさせず、人間としての尊厳を守り、対等な立場でビジネスを繰り広げてきた。僕も父から「しかめっ面してたら貧乏神が取り付くぞー」ってよく言われた。常にニコニコ顔でいるのはそんなに簡単な事ではない。しかし、自分の感情を悟られるとチャンスは掴めない。どんな状況でも『人生は、ニコニコ顔で命がけ』。これがチャンスを掴む“チャンス”となると僕は確信している。





     

僕は今でも忘れられない思い出がある。入社して2年が経った頃、初めて1つのプロジェクトを父から任された。プロジェクト名は、

『第20回 HNI春山と行く“2009年先見の旅”』
〜 ハワイで過ごす人生最良の時 Good Time Island Hawaii 〜
プロジェクトから検証する日本の近未来

このプロジェクトの目的は、ハワイで第三の人生(リタイア後)を過ごしたい方へ移住計画をナビゲートすることだった。プロジェクトを実施する前に大々的なオープニングセミナーを行い、参加者は400名を超え大盛況だった。会場ではアンケートを取り、興味がある方へ僕たちが一件一件電話でフォローをかけ受注をとる予定だった。正直、電話フォローをかける前は、余裕で最少催行人数40名を超えると思っていた。
結果は、0件。興味を持っていた方はたくさんいたが、このプロジェクトに参加するまでには至らなかった。むちゃくちゃ悔しかった。これまでここまでの大敗をした経験は正直なかった。

しかし、この言い訳もできない大敗を経験できた事はかえって良かったのかもしれない。その後、改めてこの失敗を突き詰めていくと、ある問題点に気が付いた。事業として進めていくからには、ある継続性を見込まなければいけない。その為には父が考える“人生最良の時”という考え方や、老いという時間の過ごし方など、もっと多くの人に知ってもらわなければいけない。そこで僕にできることが何かを考えた結果、ブログを書こうと思った。ブログでは、父の考え方もそうだが、父のもとに生まれ育った僕の一若者の意見も入れながら書いた。それがある出版社の目に留まり、父との共著『脳から血〜でるほど考えろ!!』の出版に至った。

そして、父から「近畿、中国地方の書店へ挨拶に行きなさい」と、当時の僕には理解ができない指示が出された。近畿、中国地方の書店といっても大きな書店だけで軽く400書店はある。意味があるのか?と思いながらも回った結果、1つの出会いがあった。紀伊國屋書店本町店の店長 佐藤 整さんだ。父の考え方に共感され、その出会いをきっかけに店内で春山 満コーナーを展開することになった。今となっては神戸店、西神店、川西店、加古川店と合わせて5店舗でコーナー展開をしている。また詳しくお知らせするが、この秋から関東でも春山 満コーナーをオープンする。

このように1つの大敗での気付きが思わぬ形で展開を広げた。何事も負ける為にやる人はいないが、悔しい経験をして泣いて終わっていては意味がない。悔しい経験をしたら「二度とこんな経験をするものか!」と心で誓い、自らの行動で示し、変えていかなければ勝負に勝つことすらできないのだ。





     

遂にこの日がやってきた。今回のゲストは春山 満の一番弟子であり、僕の兄貴であるアイシーズ鰍フ宮内修社長。これまでも宮内さんとは春山 満の考え方を伝えるためにいろんなことを共同でやってきた。もちろん今こうやって掲載しているコラムもそうだが、2012年5月には共著『若者よ、だまされるな!(週刊住宅新聞社)』を出版した。

宮内さんは父のことを「あんたの親父は無茶苦茶や!(笑)」と言うが、熨斗を付けてその言葉を返すほど宮内さんも無茶苦茶だ。(笑) さすが師弟関係にあっただけに、その辺りは凄く似ている。

アイシーズ鰍ヘ有料老人ホームの紹介会社をしているが、カレー屋も運営している。「えっ、カレー屋ですか・・・?」と初めて知った時、聞き返したのを今でも覚えている。宮内さんは“おもしろおかしく真剣に!”をモットーにされ、それを見事に実行している。ビジネスでも遊びでもまずは自分が面白いと思えることが重要だ。なぜなら、自分が面白いと思えないことは、お客さんにもスタッフにもその想いが伝染してしまうからだ。もちろんビジネスとしてやるわけだから結果が出なければ意味がない。ただ、結果が出るか出ないかは走ってみなければわからない。「これ、オモロイ!」と思えたら行動に移すことで今まで見えなかった景色が見えるようになる。

心から「これ、オモロイ!」と思えることがあれば宮内さんを見習い、後先考え過ぎずに、まずはスタートラインに立たなければ何も始まらない!これは一番弟子から学ぶ『行動』の重要性である。





     

2週連続で紀伊國屋書店本町店の佐藤店長をゲストに迎えての放送であった。本町店では前番組『春山 満の若者よ、だまされるな!』の啓発イベントを3度もさせて頂いた。その中で佐藤店長が最も心に響いたメッセージの1つが「少(わか)くして学べば、則ち壮にして成すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず」である。これは父が考えた言葉ではなく、佐藤一斎を表した書物『言志四緑』に記されている。“いくつになっても学び続けることが重要だ”というメッセージだ。

今考えてみると父は自らの事業や考え方にも生涯満足することなく、常に学び続け「次はこうしたい、これを学びたい」と意欲的に生きていた。少し成功したとしても、喜びはその一瞬。また次のことへ向かい直ぐに動き始める。この繰り返しが父の生涯だったと思う。

スピリチュアルな話になるが、ある知り合いから今父がどこで何をしているのかを教えてもらった。いわゆる死後の世界の話だ。この話にはいろんな説があると思うがその方が言うには、死後の世界に入る前に色んな研修を受けなければいけないらしい。なぜかわからないがその研修を父は特別にパスしたらしいのだ(笑)。なんとも父らしいというか・・・。どんなイチャモンを付けたかわからないが、死後の世界でも“常識の裏にある非常識”を見つけたのかもしれない。そして、僕たちの世界の事は気にも留めることなく、死後の世界で次の目標に向かって走り回っているみたいだ。

きっと死後の世界でも色んな学びを繰り返し、いろんなことにチャレンジをし続けているのだろう。学び続ける重要性は年齢など関係ない。自らに満足することなく次のステージへ向かい続けることが心を老いさせない唯一の方法なのではないかと思う。





     

父 春山 満には“広く浅く”という考え方はなかった。知識をつける時も、ビジネスを展開する時も、とにかく狭く深く徹底してきた。本好きだった父がとにかく読んでいたのは中国の歴史書だ。登場人物に憧れを抱き、一冊の本で気になった人物の物語を別の本でも徹底的に読み解いていた。色んなことを学んだのだと思うが、父がよく口にしていたのは、「大きな社会の流れや人の心理は何千年経った今でも全く変わらない」ということだった。

父は中国の歴史書にこれからの時代を生き抜くヒントがたくさんあるとは言っていたが、絶対に読みなさいと強制することはなかった。会社も同じだ。生前から僕には「とにかく継続させることなんて考えるな!自分が興味を持った分野を徹底的に突き進みなさい」と教えてくれた。何でもいいから1つのことに興味を持ったら、とにかく自分が信じる道を狭く深く徹底して進み、小さくてもいいからこの分野は絶対に誰にも負けないという実績と自信をつけることが大切だと生き抜くヒントを残してくれたのだ。

僕は今年で29歳になる。ある時まで自分が進みたい道というのがよくわからなかった。父の下で修行していたのは春山流ビジネスを学ぶ為だったというのが正直な答えである。入社して2年が経った頃、自分の気持ちに負け「もう嫌だ。辞めよう!」と思い逃亡したこともあった。「そんな贅沢な悩み」と言われるかもしれない。そう思われても仕方がない。 しかし、今は違う。まだまだ駆け出しの身だが今年の10月で8年目を迎え、ようやく次のステージが見えてきた。これは父の死が1つのきっかけだったかもしれない。ただこれも、苦しみに耐えたからこそ見つけられたチャンスだと思っている。新たな事業が本格的に稼働する時に皆さんにもご報告するが、“とにかく狭く、深く、徹底すること”で、今は見えなくても、辛くても、必ず光に通じる。まずはこの光を見ることが全ての始まりとなる。





     

春山 満は“気持ちの切り替え名人”だったと僕は思う。
モノゴトには常に二面性があり、1つの事を良くも、悪くもとれる事がある。父でいうと難病中の難病、進行性筋ジストロフィーを患った事が正にこの1つになるだろう。これは一般的な考え方かもしれないが、この様な難病を抱えてしまったら嘆き悲しむのが普通だと思う。ただ難病になり自らが介護・医療を受ける立場になって、この世界の非常識に気付いた。ここで父は「ラッキー!俺は身体の機能を失ったけれど、とんでもないビジネスチャンスを掴んだかもしれない!」と思ったようだ。この時点で“ラッキー”と思えた事が一人の人間として本当に凄いと思う。こうやって父はネガティブな事も全てポジティブに切り替えてきたのだ。

一方で、母は父との関係をこうも言っている。「お父さんが元気だったら、今頃離婚しているかもね!」(笑)息子としては笑えないジョーク。父は元気な頃、大阪のミナミを庭のようにして遊んでいたらしい。更に母は「もう手も足も出ないから大丈夫!」と自信満々に笑いながら僕らに話す。(笑)

こうやって父と母は、父の難病を真正面から受け入れ、今ある環境を嘆き恨むのではなく、残されたものをフル活用して生き抜いてきた。何か壁に直面しても気持ちを切り替え、小さな光を信じて前進してきた。
そんな時に心を支えた言葉が「日に新た 日に日に新た 日に新た」だったのだ。



     

第3回の放送では、リスナーの早ア哲生さんにインタビューし、早アさんが自らのヒントになった春山 満のメッセージを伝えている。その中で僕も大事にしているメッセージがあった。それは、「自己責任で、自己選択」という言葉だ。

僕はよく勘違いされる事がある。父 春山 満の会社へ入ったのは、父に敷かれたレールの上を歩いていると。これは大きな間違いで、父は僕を会社に入れる気なんてサラサラなかった。僕は自らの選択で父からビジネスを学びたいと思い、大学を中退し父の下に飛び込んだ。この時が初めて真剣に父に頭を下げたかもしれない。そして頭を下げただけでなくこうも付け加えた。「3年で親父から卒業するからな」と。まあ、なんて生意気なクソガキなんでしょうか。(笑)

父から見たらこの生意気さ加減が気に入ったそうだが・・・。こうやって、僕は自らの責任で自らの道を選び入社してから3年が経った頃、父のビジネスがやっと少し分かる様になってきた。同時に本当に難しい仕事をしていると更に興味を持ち始めたことも覚えている。

父は難病になり嘆き悲しみ自宅で生涯療養する生活も選ぶことができた。しかし、この選択はしなかった。自らの宿命を受け入れ、自己責任と自己選択で自らの運命を切り拓き、そして首から下は動かなくても自らの命を立ててきた。これが父のいう「立命」という教えに繋がる。父は自らに言い聞かせるように生前に建てた墓にこの言葉を刻み、墓参りの度に自分自身の光(目標)を信じ突き進んだのだと今になって思う。



     

自分が変われば世界は変わる。この言葉は見事な言葉だと僕は思う。 もし父 春山 満が難病に嘆き、生んでくれた両親のせいにしていたらこれまでの父の姿があっただろうか。言うまでもなく今までの春山 満とは似つかない姿になっていただろう。難病を嘆くのではなく、難病を受け入れ、難病を友とし一緒に歩んでいく姿は一人の人間として本当に力強い生き様だったと思う。ここまで力強く生きられたのは、正に自分が変わり、そして世界を変えてしまったからなのだ。

結局のところ、周りを変えようと思えば、自分が変わらない限り変えることなんてできない。自らが変わるとその変化に周りが気付きその態度や振る舞いが変わってくる。自分が変われないのに周りを変えようなんて、よく考えればこんなおこがましい話はない。

僕も常に2代目として周りからは見られ、この見られ方を必死に変えようとした経験がある。まあ、見事なまでに変わらなかった。だから、自分を変えることにした。「僕は2代目のドラ息子です」と。

よくこんな話を耳にする。
「あそこの2代目は・・・」
「2代目がよく会社を潰すんだよな!」
おっしゃる通り。たくさんの方が言われるのだから、これまで数えきれない2代目が会社をダメにしたのだろう。でも、僕には関係ない。なぜなら、あなた方に助けてもらうつもりはさらさらないからだ。ドラ息子で何が悪い。人には変えられない宿命があるんだ。

人からどう見られるかなんて、正直どうでもいい。人から評価されることも罵倒されることも、結局は自分が動いた結果でしかない。だったらなりふり構わず行動と結果で示せばいいじゃないか。

こうして僕は2代目という呪縛から可能性という光を見出すことができたのだ。

   

僕には夢がある。「父のメッセージで明るく、元気に、賢く、逞しく、そして力強い日本を創りたい!」。壮大な夢を掲げ2011年4月からスタートしたMBSラジオ『春山 満の若者よ、だまされるな!』。

当時、僕は感じていたことがある。僕らはまだ20代で、今は40代、50代以上の諸先輩方に引っ張っていってもらっているけれど、いずれ僕らの世代が日本を引っ張っていかなければいけない時がくる。僕らは一般世間から『ゆとり世代』とグルーピングされ、何かあれば「やっぱりお前らはゆとり世代だな!」と馬鹿にされる。僕はこの様に言われることがあまりピンとこない、と同時に若さゆえの怒りも少し覚えることがあった。「ゆとり世代を作ったのはお前らだろ!」僕は生意気にもこうやって言い返すことがしばしばあった(笑)。でもそこで気がついた事が一つある。僕らが今からでも力強く生き抜く知恵をつけ、行動に移すことができたら、僕らの世代や僕らより下の世代にも影響していくはずだ。僕は春山 満を父としてだけでなく、生き抜く一人のおっちゃんとして見た時に、この生き様がこれからの僕たちにとってヒントになると思ったのだ。

この想いを企画書として形にしMBSラジオの今道プロデューサーに持ち込んだところ「今までにない面白い番組になりそうだ」という回答をもらい2011年4月から晴れてスタートを切る事になった。正直、最初はハラハラドキドキが止まらなかった。それは、父の性格は誰よりも理解していたので、爆弾発言とNGワードで番組が中止にならないかと・・・(笑)。しかし、この番組は僕の心配をよそに、反響が反響を呼び2012年度の日本民間放送連盟賞 近畿地区 ラジオ教養部門 最優秀賞を受賞することとなり、2014年3月30日の157回目の放送まで番組は継続された。

2014年2月23日、僕は突然の父の死に直面し、この番組をどうするか正直迷った。ただ、父が亡くなったからといって全て消えて無くなるわけではない。「明るく、元気に、賢く、逞しく、そして力強い日本を創りたい!」この夢を叶えるためには、父の死ぐらいでめげてはいけない。父が残してくれたものはたくさんある。正に“失くしたものは数えるな!残っているものを120%活性化すれば絶対に生き残れる!”父の生き様から絞り出されたこのメッセージを胸に継続することを決意した。

そして、新たに2014年4月からスタートしたMBSラジオ新番組『春山 満 流・生き抜くヒント 失くしたものを数えるな!大丈夫や〜!!』。父がこれまで残してくれたメッセージをヒントにして、ドラ息子の立場で読み解いたり、時には一番弟子の宮内さんやリスナーをゲストに招き読み解く、これまでとは一味も二味も違う番組として進化させた。 失くしたものを数えず、嘆かず、今あるものをしっかりと見つめれば、足元にチャンスが転がっていることがある。一人の若者としてこの大きな目標に挑んでいく!