【ゲスト】株式会社『菊の華』代表取締役 永露 仁吉 氏
― 2019.6.3 ―
2019年、出入国管理法の改正によって、多くの外国人労働者が日本で働く時代になります。その受け入れ国としてもっとも注目を集めているのがベトナム。この国で飲食店を展開する事業家の永露 仁吉さんに、日本のこうした動向に対して「新法案が始動、これからをどう生き抜く?ニッポン人。」をテーマに【スペシャル対談 海外編】としてお話をうかがいました。
春山 先ほど、永露さんが経営されている『日本の定食屋 FUJIRO』のロースかつ定食をいただきましたが、肉厚でジューシー、日本と変わらないクオリティに驚きました。永露さんは、どういう経緯で飲食に関わっていらっしゃるのですか?
永露 大学卒業後に大手化粧品メーカーに勤務していたのですが、28歳で独立し、エクステ(ファッション用の付け毛)の店をフランチャイズ含めて18店舗展開しました。エクステブームがおわり時代がシフトしていく中で、リスクヘッジではじめたのが飲食業界です。
春山 まったくゼロからのスタートだったわけですね。そこから、ベトナムに飲食店を出店するきっかけは何だったのでしょう。
永露 イオンモールに、フランチャイズ契約で『手仕事ハンバーグ ぎゅう丸』を出店していました。2014年にイオンモールがベトナム・ホーチミンに初進出することになり、わたしにお声がかかったんです。ベトナム人の中間層を狙って、唯一日本食を提供する店舗をフードコートに出したのですが、大失敗でしたね(笑)。
春山 何が原因だったのですか。
永露 ひとつは、ベトナム人は食に保守的だったこと。もうひとつは、ハンバーグのミンチは良い肉を使っているわけがないと、イメージが悪かったこと。例えば、ベトナム人が日常食べているバーベキューや鍋料理だと、中身が見えるので安心するんです。安い・早い・おいしいの三拍子揃った商品を狙っていたのですが、金銭感覚もつかめていなかったと思います。
春山 なるほど、ベトナムではパッと見てわかるということも料理の大事な要素なのですね。たしかに『FUJIRO』では、とても肉厚な豚肉を使っています。そんな経緯を経て、今ではベトナムで日本食を6店舗も展開されるほどになられました。最近のベトナムの飲食業界は、どんなトレンドなのですか。
永露 以前は、和食もナンチャッテ店の方が多かったのですが、今は淘汰されていますね。圧倒的な支持で日本人に売れている店か、外国人も取り込めている店が成功しています。ベトナム人の好きな味を追求してもベトナム料理にはかなわないので、彼らがつくれない味、食べたことない料理を出した方が勝算は高いと思います。例えば豚骨ラーメンは、脂っこい、塩辛い、スープが濁っていると、ベトナム人の苦手なもののオンパレード。でも3年もやっていると、ベトナム人のお客様もやって来るようになりました。ある一定のクオリティになると、国籍に関わらず、何を食べても共通の“おいしい”に行きつくんじゃないかと思います。
日本で働くベトナム人の入り口と出口に、必要なスキームをつくる
春山 永露さんのお店では、社員はベトナム人ですか?日本人ですか?
永露 日本のお客様は多いですが、うちでは日本人スタッフを置かず、キッチンもホールも全員ベトナム人です。日本語を話せるスタッフは3割くらいでしょうか。今日本では、外国人労働者の受け入れを積極的に行っていますが、現場を見ていると日本語ができるかどうかで個人の能力を判断しているようです。これは完全に損失ですね、もったいないと思います。
春山 わたしもそう思います。永露さんにお会いしたのが約4年前、その頃から、弊社は外国人労働者の受け入れを介護の分野から関わりはじめていますが、最初に実習生の研修施設に見学に行った時は衝撃を受けました。こんなにも多くのベトナム人が、日本に来たいのかと。当時はわたしも、日本語が話せる人材がよいとばかり思っていたのですが、最近になって、それは間違った認識だと気がつきました。何よりも大切なのは、パーソナリティですよね。日本ではまだ、それをジャッジする体制が整っていません。日本で働く外国人一人ひとりの個性が発揮できる環境を、わたしたちが用意してあげる必要があると感じています。
永露 そうですね。わたしのお店には、日本で働いて戻って来た人たちが面接を受けにやって来ます。でも彼らは、基本的に一次産業で日本へ行くので、実際は日本語を使う必要があまりない環境で、上達もせずに、技術も取得できずに戻って来る。日本の経験を活かしてこっちの日本の大手企業に就職しようとしても、ベトナムで一流大学を卒業したエリートたちに負けてしまうわけです。今後は、こうしたミスマッチを解消しなければなりません。
春山 具体的には、どのようなことをお考えなのですか。
永露 昔の日本のように、ベトナムの飲食業の立場はまだ低いレベルです。でも、わたしのお店は現地では高級な和食になるため、SNSの募集サイトなどで「レストランだけど給料は高い」と話題になっているようです。わたしはその立場から、さらに彼らが夢を持って飲食業界で働けるように、暖簾分けや、オーナー独立支援を積極的に行っていきたいと思っています。そういう意味では、技能実習生だけではなく特定技能の方にも興味を持っています。
春山 日本側でも、ある程度の費用を負担することになっても、特定技能は教育をしっかり受けているから安心だという声が増えています。
永露 アジアの労働者は、世界中で取り合いの時代になりました。ベトナムにいて感じるのは、日本はまったく人気がないということ。昨年、ドバイに行きましたが、ベトナム人の働き手がたくさんいました。この国は、チップは高いし、英語は通じるし、多民族国家なので差別がない。一方日本は、低賃金だし、ビザは厳しいし、外国人に対して排他的です。他国に比べるととても厳しい条件なわけです。制度うんぬんの前に、外国人たちがもっと働きたい、暮らしたい、という点で、現状大きく負けていますね。
春山 おっしゃる通りだと思います。少子高齢化を乗り切るためには、外国人労働者という働き手はぜったいに必要です。法律を整えることと並行して、受け入れ側として環境をしっかり整備しなければ、どこの国からも日本は選ばれないでしょう。入国後の管理監督を担う監理団体では数をとっていこうと熱が入っていますが、人材獲得競争が進み一筋縄ではいかなくなっています。多くの監理団体は無料職業紹介と名を打ち日本へ入国させることだけに力を入れています。入国後はろくにフォローもせず、本来ベトナム人と受け入れ企業の間に立ち細かな調整をしなければならないのにできていないところがほとんどです。弊社では、介護分野で特定技能がはじまることを受けて、少人数でしっかり教育を受けた人を良い現場に届けるスキームをつくることにしました。これは受け入れるだけではなく受け入れた後のフォロー体制も含め行政と連携をはかっていきます。今年の夏を目標に、ダナン近郊の看護短期大学と連携し、まずは介護教育と日本語教育を始めていきたいと思います。
永露 すばらしいですね。特定技能という資格制度が、これまでの外国人労働者問題の改善策のきっかけになることは間違いないでしょう。給与面も労働環境も日本人と同等の条件以上と保証されていて、さらに仕事を選べる、その先に家族を日本に呼んで暮らすこともできます。ただ、外食分野では5年間で5万3千人を採用するということですが、こんな人数では人手不足の解消にはまったくならないです。さらに、本来は日本で3〜5年間働いて、その経験を生かして本国のベトナムでキャリアアップするのが制度の目的のはずですが、今はその出口がありません。だからわたしは、「名店×特定技能」という仕組みを考えました。ベトナム人に、日本で名店といわれる飲食店で3〜5年間しっかり修行してもらって、ベトナムでその店の暖簾分けができたり、その他の高級店で働けるようなつながりをつくるのです。すでに今、日本の名店と呼ばれる方々とそんな話を進めています。
春山 なるほど。日本で働くベトナム人のためにベトナム出店をするというのは、これまでに聞いたことがないあたらしい試みですね。
永露 このつながりが広がって、何十人何百人と日本で働くことになれば、彼らをそのままスタッフにしてベトナムで出店することもできます。そんなトレンドが起きてくると、面白くなりますね。
大切なのは、互いにリスペクトして文化(背景)を知ること
春山 介護で見ると、ベトナムは急激な高齢化が見込まれてはいるものの、介護施設などはまだまだ進出していない状況ですね。ベトナムの老人ホームの数を調べたことがありますが、200オーバーくらいでした。いずれも低所得者向けが多かったです。
永露 ベトナムは医療費も高いし、保険制度も整っていないので、平均寿命はまだ低いですね。それから、ベトナム人は親を老人ホームに入れる文化がありません。うちのスタッフの退職の一番の理由は、親の面倒を看ることなんです。ベトナム人はみんな家族思いなので、若い頃から親に仕送りをしています。本当は働き続けたいスタッフも、家族を優先して仕事を辞めているような状況です。若い人たちはホーチミンやハノイに集中しているので、地方にデイサービスなどがあれば、この問題をクリアできるかもしれないですね。
春山 昔の日本も、老人ホームを入れる文化はありませんでした。2000年の介護保険の導入によって大きく流れが変わりました。ところで永露さんは、これからもベトナムでの事業展開を考えていらっしゃるのですか。
永露 そうですね。ベトナムに来るきっかけは偶然でしたが、今はベトナムがすきだからここにいます。わたしは、ベトナムの最大の魅力はベトナム人だと思っています。この国では、人と人との距離がとても近い。東アジア系の顔立ちをしていたり、文化に中国の影響があったり、儒教思想が根底にあるので、日本人の価値観に共通するものがたくさんあります。でもなぜか、日本人は東南アジア圏に対する裏付けのない上から意識が根強くありますね。もうそんな考えは時代に合いません。わたしはベトナムで暮らしていて、嫌な思いをしたことは一度もありません。ベトナム人はいつも、敬意を持って接してくれています。日本人もそうあるべきだと思います。
春山 たしかに、まずは受け入れ側の日本人が、外国人に対する意識を変える必要があると思います。
永露 多くのベトナム人は、働いた給料の半分以上を家族の仕送りに充てています。20代であっても、親に仕送りをしていないベトナム人に会ったことがありません。それも、2〜3万円の給料から捻出するのです。お洒落をしたりおいしい食事をしたり、一番お金が欲しいときじゃない?と言っても、両親がわたしたちを産んだときは戦争復興中で、そんな中わたしたちを育ててくれました。両親の方がもっと大変だったのだから当然です、と答えます。彼ら、彼女たちは、1〜2歳の生まれたばかりの子どもを預けて、日本語学校に通い、日本人がやらなくなった仕事を代わりになって働いてくれているわけです。日本では、こうした背景は発信されず、失踪問題ばかり取り上げられています。日本人がベトナム人に対して、少しでも感謝の気持ちを持って接してくれれば、色々なことの見え方が変わってくるはずです。
春山 本当にそうですね。わたしも、ハノイにある技能実習生の研修施設で生徒のみなさんに話を聞くと、若い子たちでも日本で稼いだお金を親に仕送りをするという人が大半で驚きました。介護は、基本的な技術の習得はむずかしいものではありません。キャリアアップしていく中では深い知識を身につけていく必要はありますが、何よりも大事なのは、目の前の人に優しくできるかどうか、という人間力だと思います。そういう意味で、ベトナム人の優しい気質は、介護の世界でも必要とされるはずです。
永露 これからは共生の時代です。外国人に対するリスペクトと優しさ、少しでも文化的な背景を知ること。このことを忘れずに、ぜひ日本はベトナム人に選ばれる国になって欲しいと思います。
春山 今日は、永露さんのベトナム人に対する熱い思いに触れることができて、気持ちを新たにすることができました。この制度が、ベトナム人にとっても日本人にとってもwin-winに機能できるように、わたしたちも身を引き締めて取り組んでいきたいと思います。
ゲストプロフィール(対談が行われた2019年6月3日現在)
永露 仁吉
1976年、福岡県生まれ。株式会社『菊の華』代表取締役。大学卒業。28歳で事業を立ち上げる。2008年、エクステをはじめとする美容事業、飲食事業を展開する『菊の華』を創業。12年より、ベトナムに飲食店の出店を開始。現在、ホーチミンに日系飲食店を6店舗展開中。他にも、飲食店オーナーのベトナム進出に伴うアドバイスや物件の提供などの支援を行っている。URL https://www.facebook.com/nikichi.nagatsuyu