第2章
前回の第1章では、春山 満の激動時代について改めて驚かされた旨を述べた。また、逆境と対峙する事となった若き春山 満を突き動かした原動力とはいったい何だったのか?私はここでポイントが3つあるとも述べた。そのポイントについては、春山 満が直接私に指し示したのではなく、あくまでも私自身が感じた私なりの観点にて表現させていただきたいと思う。
例えば、人が「怒」という感情を抱く時、それは如何なる時なのであろうか。大切なものを傷つけられた時?世間に矛盾を感じた時?理不尽な要求を突きつけられた時?
春山 満が著書にて書き記した、自身の体験談を例に出してみよう。春山 満は自らの身体に異変を感じ、検査のため病院を訪れた。非常に長い待ち時間を経ても、いっこうに自分の名前は呼ばれない・・・。不安になりその病院の看護師に確認をしたところ、「もう少し待っててな〜」と子供を扱うような対応を受けた。更に受診後、医師からは「非常に特殊な病状である。是非うちの病院に入院をしてもらい経過を診たい」と、それはまるで人間を診るような言い方ではなく、興味深い実験台のような扱いを受けたと記されている。その際、病院に対して春山 満がとった「怒」の行動とは・・・是非とも著書をご覧になっていただきたい。(笑)
春山 満は人に対して、そして、それ以上に己に対して本当に厳しい人間である。しかし、春山 満は決して単に短気なのではない。医療・介護サービス業界に於いて、サービスを提供する側の考えが先行し、料金を支払い、サービスを受ける側が弱者であるという、それまで世間でまかり通っていた「常識」とは、果たして真の「常識」なのであろうか?そんな「常識」の中に潜む「非常識」に対しての疑問、そして「怒」が春山 満を突き動かし、自らのビジネスにおいて真の「常識」を追求する事となるのである。
常識から外れるのではなく、常識を破っていく。その結果、「怒」を忘れず、それをビジネスとして実現させた。「怒」を忘れず、ビジネスを実現させたからこそ、顧客の「怒」を真摯に受け止め、部下、そして、己に厳しくできるのであると私は考える。当然の如く、無益な「怒」は直ぐにでも忘れ去ってしまった方が良い。しかし、「怒」を忘れるというより、己の心の中に「諦め」というものが生じてしまってはならない。まさに春山 満は「怒」を通してビジネスで生き抜く哲学を実践したのだと思う。
宮内 修 プロフィール
アイシーズ株式会社 代表取締役 1973年3月に父 宮内 義彦(現オリックス株式会社 取締役兼代表執行役員・グループCEO)の次男として生まれる。 |
春山 満 プロフィール
株式会社ハンディネットワーク インターナショナル 24歳より進行性筋ジストロフィーを発症。現在首から下の運動機能を全廃。1991年ハンディネットワーク インターナショナル設立。幅広いネットワークと体験を通した独自の視点と着眼で、オリジナル商品の開発や大手医療法人・企業等のコンサルティングなど幅広く活躍。2003年、米国ビジネスウィーク誌にて『アジアの星』25人に選出。 |
ドラ息子企画 編集者 春山 哲朗
編集者 略歴 |
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