更新日:2010.2.26
昭和の天才「大塚正士」其の一
これまで、私は淡路島のNARV(ニューアワジ・リタイアメントビレッジ)、東京・南町田のマーク・スプリングス、
そしてアメリカ・アリゾナのサン・シティについて紹介してきた。
だからと言って、これらの街づくりが高齢化する日本のすべてのお手本になるとは考えていない。
しかし、南町田の事例をとっても確実に顧客から評価されたという購買実績からも、いわゆる一つの真実であることは間違いない。
例えば大多数の人から一応の評価を受けながらも、いざ購買となると貧乏人からは手が届かない。他方金持ちには不満足。こういった商品を
よく見かけるが、これを「中途半端なろくでなし」と呼ぶ。
■ 1億2千万人の恋人
二十世紀型ビジネスは、大量販売と大量消費の時代だった。一億二千万人の日本人すべてに受け入れられる恋人を作れば喜ばれたのだ。関西の大塚製薬という会社の
実質的な創業者に当たる大塚正士(まさひと)さんに、私は一時期かわいがってもらった。彼は天才的な昭和のビジネスマンだったと思う。
最初のヒット商品は、切り傷から肌あれ、そして痔(じ)にまで効能を発揮するという「オロナインH軟膏(こう)」だ。
同社がスポンサーとなって、戦後初期のテレビドラマで大ヒットした「とんま天狗」にて主役で起用された大村崑
(現在も社団法人「日本喜劇人協会」会長として活躍)を使って、「姓はオロナイン、名は軟膏」という名セリフをはかせたり、後に大女優になった浪速千栄子
(戦前の松竹家庭劇出身。戦後は映画・放送界で活躍。一九七三年十二月に六十六歳で死去)に「難波千栄子でございます。オロナインH軟膏、よろしございまっせ」と
ニコニコとほほ笑みながらラジオやテレビを通じて茶の間に語り掛けさせたのである。
テレビのCMの初期のころは浪速千栄子は、まだ無名に近かった。それが履歴書を見ると、本名が「南口キクノ」とある。大塚さんは、「“なんこう・きくの”と
読めるやんか。おもろい。こら、いけるで!」と直感したようだ。今でこそ、メディア・ミックスという言葉やパブリシティ効果、そして宣伝広告費が
売り上げに連動するという常識は定着したが、それを先取りしたのが大塚さんだったと思う。
(次回に続く)
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