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春山 満の僕の元気 〜春山 満 コラム集〜

闇に活路あり

第三十五章其の一


更新日:2013.6.12
老いへの3つの「助」 其の一

日本がすでに突入した超高齢社会は、将来の不安と厳しい現実ばかりで希望は見出せないのかといえば、決してそうではない。
もちろん公的介護保険制度の導入だけでは到底不十分だ。日本がモデルとしたドイツでさえ公的介護保険が導入された翌年から、民間の医療介護保険が爆発的に売れ出した。日本でもそんな時代が近々くると私はにらみ、「人生という車両保険」と銘打って民間保険の拡大に期待する。

■ 自分だけは大丈夫?

私は講演で民間の医療介護保険の必要性を語るとき、常に自動車保険のことを引き合いに出す。今、日本には約一億三千万人が人生というハイウエーを走行中だ。彼らの多くが「自分は老いてもいつまでも健康だ」と信じて走り続けている。

しかし、すでに人生というハイウエーのガードレールの外を覗(のぞ)くと、そこかしこに寝たきりや痴呆(ちほう)という誰(だれ)も予期しなかった事故状態が目につく。その数、すでに二百万人以上。近々五百万人にまで確実に増大するらしい。その結果、事故状態の本人だけでなく、その家族も苦しんでいる。つい先日まで、人生というハイウエーを「自分だけは大丈夫」と思って走っていた仲間たちである。

自動車を運転する日本人の中で、民間の保険が必要ないと思っている人はほとんどいないだろう。「自分は二十年間無事故、無違反。運転には自信があるから自動車の民間保険には加入していない」という人がいたら、どんなに人格者であっても大抵の人は彼のモラルを疑う。日本では国の救済として自賠責保険の制度があるのに、民間保険無加入事故の恐怖はすでに十分認知されている。

民間の自動車保険はまだ車両数が少なかった昭和三十年代には、さほど売れなかったという。しかしモータリゼーションの到来とともに事故も増加。すると「自賠責保険はあくまでも基礎的な救済で、事故の根本的な恐怖から決して救ってはくれない」という危機管理意識が次第に定着し、「無保険の恐怖から自分の車両や家族だけは守ろう」と徐々に意識は変わり、民間保険が急速に売れ始めた。そんなプロセスを経るうちに自動車保険に加入することはドライバーのモラル、車社会の常識と呼ばれるようになった。


(次回に続く)







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