更新日:2010.1.8
花を支える茎と根 其のニ
■ 花だけを見るな
茎とは何か?デンマークやスウェーデンといった”高齢先進国”と日本を比較すると「マンパワー」がまったく違う。人権と人の尊厳を最後まで守る仕組みが
日本とは比べ物にならない。もちろん、介護に従事する人数の違いという茎の太さにも差はあるが、本質は茎の質だ。どういう質の違いか?
果たして日本は確実に到来する超高齢化に対し、これまでの介護体制で乗り切れるのだろうか。
これはデンマークだけでなく、イギリスやスウェーデン、アメリカも同じだ。膨大な介護、ケア・アテンドという現場で、直接の従事者の多くはヒスパニック
系やアフリカ系などのマイノリティ(少数民族)である。
低い賃金の労働者階層をアメリカでは差別と言わず区別と言う。ある人にとっては、年収二百万円でも幸せを感じることができ、逆に年収二千万円でももっと
働いて五千万円を得たいというホワイトカラーのグループもある。労働階層の考え方に違いがあって当たり前、と考えている。
これに対して別段クレームはつかない。もちろん、それぞれの「ステージを上げたい」という欲求はあるだろう。しかし、日本のように「総中流意識」で横並び
を良し、とするいびつな社会は欧米にはない。
私たちはやはり茎の部分、つまり労働階層を入国管理の制度も含めて鎖国状態から解放しない限り、二十一世紀の日本のビジョンは持てないだろう。
そして「茎を支える根っこ」こそお金だ。私はデンマークで「金を語らずして老いを語るな」と教えられた。日本ではデンマークのこうした姿をほとんど
報道しない。
日本では「金を語って福祉を論じるな」というタブーがあった。医療に対しては「”金もうけ”は禁句」になっていながら、高齢者医療の診療報酬は提供する側の
論理と仕組みで支払われ、そして健康保険機構の中で決して取りっぱぐれのない保護された産業として介護とともに成長してきた。
一方のデンマークなどでは国民から血の出るような酷税を吸い上げて、それを原資として国民が納得し、介護のプロたちが大輪の花を咲かせている。
「デンマークというのは随分大人の国だな」と私はつくづく実感した。
しかし結局、日本はデンマークのようには、なれないと思う。消費税の話にしてもそう。オーストラリアは、約二年前に消費税を導入したが、私はその直前に
現地を訪れた。
そして、ビジネスマンから食堂のウエートレス、医師などいろいろな層の人から話を聞いた。賛成と反対で意見は分かれていた。一方で国費負担の医療費を削減
させるために医療保険のプライベート化も政策誘導されていた。
(次回に続く)
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