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春山 満の僕の元気 〜春山 満 コラム集〜

闇に活路あり

第十六章其の一


更新日:2010.5.7
今学ぶべき根本と本質 其の一

中国の淮南子(えなんじ)という古典の中に「行年五十にしてその四十九年の非を知る」という言葉がある。

当時の五十歳は今の感覚でいうと優に八十歳になろうとしている。功を成し、名を成し、財を成して、誰からも敬われる立場にある老大が突然 夜中に飛び起きたという。

隣で休んでいた夫人が「あなた、どうかなさったんですか」と聞くと、この人はまっすぐ虚空を見つめて「しまった。俺は四十九年間、間違えていた」と 叫んだらしい。そして「六十にして六十化す」と結ばれる。

■ 次の変化と再生へ

淮南子に紹介されている一説はたったこれだけの物語なのだが、その教えるところは深い。多少の財を成そうが、少し人をうらやむ地位につこうが、 「まだ違う、まだ違う、まだ何かが違う」と毎日毎日探し続け、そして思い続けてきた人生であるからこそ、ある時「しまった」という発見に至る。 そして次の六十歳の変化を楽しみに、さらに飽くことなく自らを磨く一生にこそ生きるという価値があるのだ、と教える。

この教えこそ、今の日本が痛みを感じながら学ばなければならない根幹である。戦後五十八年で得たものは確かに大きいが、失ったものは身の毛も弥立 (よだ)つほど大きい。だからといってただぼうぜんと嘆くのではなく「しまった」と潔く非(そし)ることによって、次の変化と再生へまい進する。

いまだ日本は口先だけの変化から逃れることができない。痛みを伴う本質的な変化を恐れ、かつての発展成長経済を懐かしむ体質こそ、日本再生を阻害する 要因であることに気づいていない。

(次回に続く)





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