更新日:2010.8.13
命を知り、命を立てる 其の二
■ 一等賞志向が原動力
しかし、小さなころから持ち合わせた一つの性癖が、運命のジェットコースターから私を振り落とさずに支えたような気がする。
それは、一等賞志向である。
小さいころから、遊びでもスポーツでも、そして一時期興味をもった勉強でさえも、自らの意思で「面白い」と感じた途端、何が何でも
「一番になりたい」という思いに支配され、そのためにはどうすればいいのかだけを考え、ひたすらに行動してきた。
そして迎えたこの未曾有(みぞう)の混沌(こんとん)の時代ですら、私にはピンチの裏のチャンスを探る絶好の機会に映る。
こういう時代こそ、それぞれの一等賞志向が日本を支える原動力となる。
人には自らの意思で抗(あらが)えない定めがある。
たとえば、どの親のもとに生まれるかを子どもは選べない。どの時代に生まれるかを人は選べない。そして、いつこの生を終えるのかは
誰も知ることができない。
これを宿命という。
私にとって、難病の発症は、間違いのない宿命であったろう。しかし、すべてを宿命に委ね、泣いて恨んで評論ばかりして、他力に
おもねる分析だけをして過ごしても、一生は一生。
一方で、運命がある。
運命とは、時として宿命と同じような解釈をされるが、それは大きな間違い。いかに「運気をつかむか」という電波を発することができるかがキーワード。
自らが運気をつかもうとする電波を磨かずして「運」はつかめない。
そして忘れてならないのが、立命の精神。
「命を知り、命を立てる」。私はこの知命と立命の教えを今から二十数年前に中国の書物より受けたとき、漠然としたそれまでの謎が吹っ飛び、
まるで瞬時に霧が晴れるような感激を覚えたことを今でも忘れない。
(次回に続く)
|