更新日:2011.9.9
極意は「壺中の天」 其の二
■ 真っ暗な壺に幽閉
「六中観」という教えがある。
死中有活(しちゅうかつあり)
苦中有楽(くちゅうらくあり)
忙中有閑(ぼうちゅうかんあり)
壺中有天(こちゅうてんあり)
意中有人(いちゅうひとあり)
腹中有書(ふくちゅうしょあり)
中でも、「壺中の天」という教えは私の人生を支えてくれた。
二十四歳で難病が始まり、二十六歳で病名の宣告、そして事業で大きなトラブルに巻き込まれながら坂道を転げるように体力を落とした二十九歳。
取引のトラブルから謝罪にうかがったある会社で、「お前のその汗は何だ」と多くの従業員の前でどなられた。
実はそのときの私は、取引先の事務所がある四階までの階段を上がるだけで、真冬の寒い日でも頭から水をかぶったように汗をかくほど難病の進行と体力の消耗は限界にきていた。
しかし、難病のことは誰にも話さなかった。そんな言い訳は通じないことを知っていたからだ。
「いえ、申し訳ありません。腰が悪くって」といつもの釈明をしようとすると、「お前はいつも腰が悪い、腰が悪いとばかり言って取引先に迷惑をかけるんだったら、
もう消えてしまえ。お前なんか一人ぐらいいなくったって、世の中痛くもかゆくもないんだ。療養でも入院でも何でもしてしまえ。そのほうが世の中のためだ」
と続けざまに罵(ののし)られた。
泣くに泣けず、ニコニコ顔で、命がけでそのビルを後にした。
二十九歳のその日、ついに気持ちの張りがぷつんと音を立てて切れたような気がする。
もし健康であったら、難病の発症さえなければ、人生を恋愛を、そしてビジネスをこれから大いに楽しめる時代かもしれないのにと、宿命だけを恨んだ。
この時、私は真っ暗な壺の中に幽閉された。
(次回に続く)
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