更新日:2011.9.30
極意は「壺中の天」 其の三
■ 生きたいという執着
「もうだめだ。おれの病気はまだ進む。おれを待っていてくれる恋人や友人の期待にも応えられず、おれはビジネスをどんどん泥沼化させていく。もうだめだ、死のう」
遺書めいたものをまとめ、借金の清算を遺言に託す作業を夜中に四時間も五時間もかかってようやくすべて終えた後、呆然(ぼうぜん)として過ごしたあの一時間が、私を満天の夜空へ
通じさせてくれた。
死中活有り。今死のうと思えば死ねる。
死ぬことは怖くなかった。ただ、生まれて初めて目の前に迫る死を意識したとき、無になること、自分という存在が消え去り忘れられることが、
悔しくって悔しくって堪らなくなった。
おれは、破廉恥なことはしていない。おれは目標にたどり着けなかっただけだと、もう一度自らを奮い立たせた。今日死のうと思ったんだから、明日(あした)死んだっていいんだと自らに
言い聞かせた。 明日また恥をかいて頭を下げて、熱意でもう一日だけ生きぬいてみようと決意した。
そう思ったとき、私自身の壺中の天が開けてきたような気がする。
命を担保に見つけた私の壺中の天とは、生きたいという執着だった。このままで終わりたくない、という絶望の中から見つけた真っ赤な一輪の花だった。まだやることがある、という命の叫びだった。
私には役割があり、人間としての尊厳がある。これに気付くと、人間は強い。
壺中の天。
これこそが人生という闇の中のレースに活路を見いだす極意かもしれない。
(次回に続く)
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