総合トップ > 春山 満について > メッセージ集
春山 満の僕の元気 〜春山 満 コラム集〜

闇に活路あり

第三十一章其の一


更新日:2012.6.13
何もしない自由と喜び 其の一

久しぶりにとれた休日のひととき。南面の傾斜地に面した我が家のテラスデッキでうららかな日差しを浴びながら、なぜか私は二十八年前のある光景を思い出した。

■ スキー場の老夫婦

当時二十一歳の私はヨーロッパを転々とアルバイトをしながら、まるで浮き草のような生活を送っていた。少しお金を貯めては東ヨーロッパから時には北アフリカまでも放浪したが、冬には何度かスイスのグリンデルワルドを訪れた。ロンドンのアルバイト先で知り合った知人の実家が小さな宿屋を営んでおり、そこを訪ねては知人の板と靴を借りてスキーを楽しんだ。

漠然とした夢を探しながら、お金はなくとも時間だけは贅沢(ぜいたく)に使えた。 グリンデルワルドから登山電車で上っていくと、その中継基地がクラインネシャイデッヒ。目前にはアイガーの北壁が聳(そび)え、反対側がユングフラウ。登山電車の終点はアイガー北壁の真横に位置するアイガーバンド。ここから約二時間かけてクラインネシャイデッヒまで滑り、一休みして麓(ふもと)まで戻るのが私のお決まりのコースだった。スキーが得意だった私にとっても一日一本滑るのがやっとの難コースだ。

クラインネシャイデッヒには数軒の古いホテルがあり、その中の小さなホテルのサンデッキ付きのテラスで一休みするのが好きだった。 珍しく晴れ渡ったある日のこと、スキーを終えて一人でコーヒーを飲んでいると、サンデッキの日あたりのいい場所に四、五組の老夫婦が佇(たたず)んでいるのを目にした。 彼らの何人かは車椅子利用者だ。こんなスキー場になぜ車椅子の老人たちがいるのか、私にとってそれは不思議な光景だった。

当時の私には、やがて発症する進行性筋ジストロフィーの予兆は全くなく、自分の健康はいつまでも続くものだと、健康である偶然を意識することさえなかった。 なのに、なぜかこの光景が強烈に焼きついた。

(次回に続く)







僕が取り戻したGood Time 僕がみた世界のGood Time 子供たちへ 壷中有天 新しい家族へ 闇に活路あり