更新日:2012.7.11
何もしない自由と喜び 其の二
■ 原点となった風景
見るからに高価な毛皮のコートを着込んだ車椅子の老婦人と老紳士たちは、なごやかに会話を交わしながら双眼鏡を覗(のぞ)いている。目前に聳えるアイガーの北壁に登山家たちが挑戦する様子を眺めているのだという。
ただそれだけの風景なのに、なぜか強烈に心を打たれた。
老人たちの向こうでは、真っ白なゲレンデを若いスキーヤーたちが次々と滑り降りていく。人生の晩年を迎えた人々が、私の常識では考えられない場所で「光と風」を楽しんでいる。それがとても不思議で、いつまでも見入ってしまった。
今、難病の進行によって全身の機能を失ってしまった私には、あの時の老人たちの心の内がわかるような気がする。たとえスキーや登山ができなくても、ただその光景を眺めているだけで、若く盛んなときには見出せなかった幸せと喜びに包まれていたのだろう。
何もしない自由。
何もしない喜び。
そして、何もしない贅沢(ぜいたく)の味わい。
これこそが、時間に追われっぱなしで生き抜いてきた、これからの日本人に一番求められている新しい価値観ではないのか。二十八年前、クラインネシャイデッヒで目にした光景を改めて思い出しながら、私の医療介護ビジネスの原点はここにあったと思い返す。
(次回に続く)
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