更新日:2010.6.23
第一章 「妻が泣いた日」 其の一
■ 樫の木
一階で、哲朗と龍二の声がする。二男の龍二は朝早くからサッカーの練習があると言っていた。哲朗のほうは友だちと遊びに出かけるらしい。
今年の春、高校に進んだ哲朗は、長男らしく落ち着いてきたが、もう親にあれこれ言われるのを嫌うようになった。私と由子の手元から離れていく準備を無意識に始めたようで、
たのもしくもあり、寂しくもある。龍二のほうも中学生になったというのに、まだ何かにつけ由子の手を煩わしている。
日曜日の朝、私は二階の寝室で、そんな家族のやりとりを聞きながらまどろんでいた。
私がベッドの中から見ることのできる風景は、大きな一本の樫の木と空だけだ。高台にあるわが家からは大阪市郊外の住宅地や、その手前にのどかに広がっている田園、
生駒山上遊園地や万博エキスポランドの観覧車などが一望できる。
しかし、ベッドに寝たままでいるかぎり、私の目には、いつも窓枠に切り取られた樫の木の枝だけである。
夏は青々とその葉を広げていたが、今は冬の風にその葉を全て散らしてしまっている。その季節のうつろいを私はもう何年も見つづけてきた。
その日、私は、ふと子どものころに読んだ外国の短編小説を思い出していた。病にかかった少女の話だ。
少女は、病室の窓の外の壁のツタの葉を見ていた。風に吹かれて葉が落ちていくのを見ながら、少女はその最後の一枚が落ちたときに自分の命の灯も消えるのだと
信じていた。それを知った画家の老人が壁に一枚の葉を描いた。
おぼろげに覚えているその小説の結末がどうであったかは忘れてしまったが、心の隅に残っていたのは、人は希望によって生きるということだった。
日頃から仕事に追われてばかりで、そんなセンチメンタルな空想などすることのない私だが、あなたの心の支えは、と問われれば、それは妻の由子と、
哲朗と龍二という二人の息子の存在であると答える。
子どもたちが出かけてしまったあとの家の中に、日曜日の朝ののんびりとした時間が流れていた。
一人でベッドの中にいるとき、私はさまざまなことに思いを巡らす。考えたり、記憶を辿ったりすることだけは、私は何の制約も受けていない。ペンを執ったり、
本のページをめくることすら出来ないが、頭の中にだけは、私が自由に動き回れる世界が広がっている。
(次回につづく)
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