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春山 満の僕の元気 〜春山 満 コラム集〜

春山 満の僕の元気 〜春山 満 コラム集〜 



  
第一章其の五




更新日:2010.7.21
第一章 「妻が泣いた日」 其の五


■ 「いちばん大切なもの」

 「おまたせ――」
その言葉と同時に掛け布団を剥ぎ取り、私のパジャマを脱がせにかかった。「手のかかる長男」と由子は言うが、このときばかりはそれどころではない。私は「デキの悪い巨大な着替え人形」になって、由子に身をまかせる。

 彼女は、ベッドの上で私を転がすようにして、手際よくパジャマを脱がせていく。私を抱きかかえて車椅子に乗せると、次は洗面だ。一つひとつの動作に、もう言葉は必要なくなっている。
開け放された窓から五月の風が流れ込み、私の頬を撫でていく。エレベーターで階下に降りていく。
「デッキにしよか」

 天気のよい日曜日には、私たちはサンデッキで遅い朝食を摂る。
リビングから傾斜地の庭に飛び出している広々としたサンデッキは、私のお気に入りの場所だ。 降り注ぐような五月の陽光を樫の木の葉がちょうどよくコントロールしてくれる。
ここで由子とコーヒーでも飲みながら、話をする時間が、私にはいちばん楽しい。

 「不思議なもんやね――」
風に吹かれながらコーヒーを飲んでいると、由子が言う。
「私ね、自分の体を通して人間の生きる力ってすごいもんだと思うようになった。あなたの病気のこともそう。今は哲朗や龍二とこうして四人家族で生きている。最初は寝不足でノイローゼになるかと思っていたけど、ほんま、人間の生きる力って不思議なもんやと感心するわ」

 私は、由子のその言葉を聞きながら、何も言わなかった。そういう妻がそばにいてくれるだけでよかった。
「だけど、春山さん、本当にいい奥さんですね。でも、万一、奥さんの体が不自由になったら、どうなさるんですか」  多くの人たちが私にこう質問するが、そのときは躊躇なく答える。

 「そのときは、女房に専任のヘルパーを二人つける。そして私にもヘルパーを二人つける。大事なことは、由子が一緒にいることだ。二人の専任ヘルパーで由子が快適に日常生活を送れるようにする。そのために働いているんだ。あのね、オレにとって大事なのは、オレを介護してくれる女房じゃないんだ。由子という存 在がいちばん大切なんだ」

 由子は何も答えずに、うまそうにコーヒーを飲んでいる。
そろそろ、龍二がサッカーの練習から帰ってくる時間だ。

  (次回につづく)





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