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春山 満の僕の元気 〜春山 満 コラム集〜

春山 満の僕の元気 〜春山 満 コラム集〜 



  
第一章其の三




更新日:2010.7.7
第一章 「妻が泣いた日」 其の三


■ 「妻の睡眠時間」

  由子は、よく冗談めかしてこう言う。
「うちには手のかかる子どもが三人もいて、その中でも長男がいちばん手がかかるんですよ」
三人の子どもの長男とは、もちろん私のことである。

 無理もない。日曜日ですら、彼女はゆっくりとベッドの中にいることがない。
平日は六時半に起き、学校に出かける子どもたちの世話をする。それから私を抱き起こし、車椅子に移してトイレに連れて行く。洗面をさせ、そしてエレベーターで階下へ降ろし着替えをさせ、コーヒーを飲ませる。
自分の身仕度にかかるのはそれからで、化粧もそこそこに、あわただしく私と一緒に会社に出かける。子どもの世話と会社の仕事、そして「いちばん手がかかる長男」の世話に追い立てられるようにして毎日を送っている。

 だから、由子の睡眠時間は極端に少ない。私がベッドに入るのは遅いときは夜十一時すぎで、由子はそのあとに片づけものなどをするから、横になるのはたいてい一時すぎになる。翌朝の起床は6時半だ。しかも、その少ない睡眠の間に、私に寝返りを打たせるために何度も起きなければならない。

 私の症状は年々進行し、一〇年前からは自分の力では寝返りも打てなくなった。寝返りができなくなると困るのは床ずれができることである。
健康な人は、睡眠中に何度も寝返りを打つが、それは体重のかかる部分が鬱血し、その不快感から脱するために無意識に体を動かすのである。ところが、私の場合は、寝返りを打てないので、不快感を通り越して痛みを感じる。

 そのたびに私は横に寝ている由子を起こし、体を動かしてもらわなければならない。疲れて泥のように寝入っているときでさえ、一晩に三回か四回は由子を起こす。普段は五回から六回は由子に声をかける。彼女の睡眠時間は一日に五時間ほどだから、ほぼ一時間に一度は私に起こされることになる。
症状が軽いころには、「くの字」に体を折り曲げて寝ていて、その姿勢が苦しくなると何とか自分の力で真っ直ぐにできた。しかし、それもできなくなったのは、二男の龍二が生まれて間もなくのことだった。長男の哲朗はまだ四歳になる かならぬかで、龍二は一〇ヵ月。由子にとってはいちばん手がかかるときでもあった。

 しかも彼女は、私か始めた福祉・介護用品の大型小売店「ハンデイ・コープ」の手伝いをしており、保育所に二人の子どもを預けてから、自分で車を運転して道頓堀にあった会社まで通ってきていた。
「高遠道路が渋滞していて、つい居眠りしそうになったわ」
そう言いながら会社に駆け込んでくるときもあった。

 「危ないなあ。あんまり無茶するなよ!」
寝不足の原因が私にあるにもかかわらず、理不尽に叱ることもあった。それでも由子は愚痴一つこぼさなかった。極度の寝不足から一時は精神的にかなりまいっていた時期もあったようだが、そのことで私や子どもに当たり散らすことは一度もなかった。徐々に手足の運動機能が衰え、車椅子に乗らなくてはならなくなった私が、そのことを受容していく姿を見ているうちに、由子もまた、そんな夫といる自分自身を受け入れていったのであろう。

(次回につづく)





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