MBSラジオの新番組【春山 満 流 ・ 生き抜くヒント 失くしたものを数えるな!大丈夫や〜!!】のコラムがリニューアルし、本日より開始する。春山が今年2月で亡くなりラジオ放送も終了か・・・と思いきや、当然のごとく「ドラ息子 春山 哲朗」が春山イズムを継承していくようだ。
さて・・・思い返せば、哲朗君と初めて会ったのは4年ぐらい前だった。まあ親父にあれだけいじめられていたので、息子をいじめ返そうと思って意気込んでいたが、何とも気が合いすぎて・・・。今となっては、年齢関係なくいい友人になってしまった(笑)。こんな二人の共通しているところはもちろん、「車椅子社長 春山 満」の背中を見てきたということ。どんな困難も乗り越える生き様を見てきた私たちの使命は、春山 満の魂を一人でも多くの方々に伝えることだ。春山 満の教えをもう一度噛み締め、20代のドラ息子と40代の一番弟子がそれぞれの世代の視点で読み解き発信していく。
一番弟子とドラ息子で奏でる新コラム、是非楽しみにしていてほしい!
僕には夢がある。「父のメッセージで明るく、元気に、賢く、逞しく、そして力強い日本を創りたい!」。壮大な夢を掲げ2011年4月からスタートしたMBSラジオ『春山 満の若者よ、だまされるな!』。
当時、僕は感じていたことがある。僕らはまだ20代で、今は40代、50代以上の諸先輩方に引っ張っていってもらっているけれど、いずれ僕らの世代が日本を引っ張っていかなければいけない時がくる。僕らは世間一般から『ゆとり世代』とグルーピングされ、何かあれば「やっぱりお前らはゆとり世代だな!」と馬鹿にされる。僕はこの様に言われることがあまりピンとこない、と同時に若さゆえの怒りも少し覚えることがあった。「ゆとり世代を作ったのはお前らだろ!」僕は生意気にもこうやって言い返すことがしばしばあった(笑)。でもそこで気がついた事が一つある。僕らが今からでも力強く生き抜く知恵をつけ、行動に移すことができたら、僕らの世代や僕らより下の世代にも影響していくはずだ。僕は春山 満を父としてだけでなく、生き抜く一人のおっちゃんとして見た時に、この生き様がこれからの僕たちにとってヒントになると思ったのだ。
この想いを企画書として形にしMBSラジオの今道プロデューサーに持ち込んだところ「今までにない面白い番組になりそうだ」という回答をもらい2011年4月から晴れてスタートを切る事になった。正直、最初はハラハラドキドキが止まらなかった。それは、父の性格は誰よりも理解していたので、爆弾発言とNGワードで番組が中止にならないかと・・・(笑)。しかし、この番組は僕の心配をよそに、反響が反響を呼び2012年度の日本民間放送連盟賞 近畿地区 ラジオ教養部門 最優秀賞を受賞することとなり、2014年3月30日の157回目の放送まで番組は継続された。
2014年2月23日、僕は突然の父の死に直面し、この番組をどうするか正直迷った。ただ、父が亡くなったからといって全て消えて無くなるわけではない。「明るく、元気に、賢く、逞しく、そして力強い日本を創りたい!」この夢を叶えるためには、父の死ぐらいでめげてはいけない。父が残してくれたものはたくさんある。正に“失くしたものは数えるな!残っているものを120%活性化すれば絶対に生き残れる!”父の生き様から絞り出されたこのメッセージを胸に継続することを決意した。
そして、新たに2014年4月からスタートしたMBSラジオ新番組『春山 満 流・生き抜くヒント 失くしたものを数えるな!大丈夫や〜!!』。父がこれまで残してくれたメッセージをヒントにして、ドラ息子の立場で読み解いたり、時には一番弟子の宮内さんやリスナーをゲストに招き読み解く、これまでとは一味も二味も違う番組として進化させた。
失くしたものを数えず、嘆かず、今あるものをしっかりと見つめれば、足元にチャンスが転がっていることがある。一人の若者としてこの大きな目標に挑んでいく!
株式会社あすき 代表取締役 会長 1973年3月8日 東京都生まれ。 |
株式会社ハンディネットワーク インターナショナル 春山 満の長男として1985年に生まれる。
高校を卒業後、ハワイの大学へ留学。その後アメリカ ネバダ州のUniversity of Nevada, Las Vegasへ編入。
2007年10月、春山 満からビジネスを学ぶため、株式会社ハンディネットワーク インターナショナルへ入社。
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24歳より進行性筋ジストロフィーを発症。首から下の運動機能を全廃。1991年ハンディネットワーク インターナショナル設立。幅広いネットワークと体験を通した独自の視点と着眼で、オリジナル商品の開発や大手医療法人・企業等のコンサルティングなど幅広く活躍。2003年、米国ビジネスウィーク誌にて『アジアの星』25人に選出。 |