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春山 満の僕の元気 〜春山 満 コラム集〜

春山 満の僕の元気 〜春山 満 コラム集〜 



第二章其の二




更新日:2010.8.4
第二章 「モルモットにはならない」 其の二


■ 「覚悟を決めるしかない」

 私は、それでもまだ一縷(いちる)の望みを捨てきれずにいた。
「でも……、私は医学についてはまったくわかりませんが、これまで自分なりにリハビリのようなものをしてきました。それで何とか回復するんじゃないかと――」

 すでに、このときの私は歩くこともやっとの状態だったが、自分流のリハビリとして週に二、三度、温水プールで泳いでいた。 水の中だと浮力がつき、足を楽に動かすことができた。 しかし、背泳ぎはできても平泳ぎは無理だった。 背筋が弱っていて、息を継ぐときに水から顔を上げることができなかったからだ。 それでも適当な運動を続けていれば、完全に治ることはなくても、今の状態を維持できるのではないかと考えていた。
そのことを医師に話すと、彼は言った。

 「それは止めたほうがいい。そんなことをしたら、進行を早めるだけです。 春山さんがどうしても続けるというのならおやりなさい。 そして、一年後のADL−日常生活動作の数値を測ったときに、今の状態よりも向上していたら、私は医者を辞めます。 春山さん、どうです、一つ賭けてみますか」

 私は、担当医の断固たる物言いに不思議な感動さえ覚えていた。
治るか治らないかわからない病気なら、最後の最後まで望みを抱き、頑張って闘病生活を続けるだろう。 しかし、その挙げ句に病状は好転せず、寝たきりになる可能性もある。
もしそうなったら、それまで希望にすがって闘病を続けてきた時間を、最後になって悔いるかもしれない。

 ところが、私の病気は治らないのである。覚悟を決めるしかないのだ。
そのとき、医師生命を賭けてもいいと真顔で宣告した医師に、一時は奈落の底に突き落とされたような思いにさせられたが、今思えば、適切な宣告であった。

 そのころの私の歩き方と言えば、すでに体のあらゆる筋肉が弛緩しており、足首は返らず、棒のように突っ張っていた。 ふくらはぎに力が入らないから、一歩一歩踏み出す動作は腹を突き出した恰好になる。 踵(かかと)から地面につけなければならない。 さらに、背筋が弱っているから、ちょっとでも前にかがむと頭の重みで倒れそうになる。 かろうじてバランスを取りながら歩く姿は、まるでアヒルのようだった。

 当時、私は不動産業をしており、ちょっと強面の男を気取っていて、日頃からサングラスをかけていた。 傍(はた)からは、肩をいからせて歩いている安物のヤクザのように見えたかもしれない。
病院の長い廊下を歩き、玄関を出て駐車場に向かう私の首筋を、うすら寒い秋の風が撫でて通りすぎていった。

 このとき、私は二十六歳――。
まだ人生の始発駅を出発したばかりだった。
治る可能性のない難病の宣告を、自分の運命として受け入れるには、少しばかり若すぎた。
しかも、翌年には由子と結婚しようと約束していたというのに――。

(次回につづく)





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