更新日:2010.9.8.
第二章 「モルモットにはならない」 其の七
■ 「同じ風景を二人で見つづける」
「進行性筋ジストロフィー」という難病の宣告を受けて、私は、その夜、由子にそのことを告げた。 由子には進行性筋ジストロフィーに関する知識もなく、そのときは事態を深刻に受け止めていなかった。
「へえー、そんな病気があるの?」
難病の告白に動じる気配も、絶望した様子も見せなかった。
あのとき、目の前で由子に泣かれていたらどうなったことだろう。 私は、不動産の仕事で難問を抱えながらも由子との結婚に希望を見い出そうとしていた。しかし、有効な治療法も薬もない難病に侵されては、それどころではない。そのうえ由子に泣かれていたら……。
そのときの由子の反応は、私にとってむしろ拍子抜けするほどあっけないものだった。 知識がなかったから、ではある。しかし、今思うと、知識があっても似たような反応だった気がする。
それ以降、私の病状は徐々に重くなって、今は首から上しか動かないのだが、そんな私の体の変化に対して、彼女が嘆いたり、悲しんだりするのを見たことがないからである。 今日まで、私は、由子のそんな気性に支えられてきた。
ときどき私が落ち込んでいても、由子は、まったく意に介さない。それはけっして私に無頓着なのではない。黙って私を見守ってくれているのである。 私たちにとって、この病気は逃れることのできない現実なのである。
結婚してしばらく経ってからのことだ。 私は、いつものようにストローで缶ビールを飲みながら、何気なしに台所に立っていた由子の背中に声をかけたことがある。
「由子、おまえはどうして、オレと結婚する気になったんや」
由子は、私の突然の言葉に洗い物をしていた手をちょっと止めたようだった。
「好きな人が筋ジストロフィーっていう難病にかかって、それが理由で結婚しないという人もいるかもしれないけど、でも、あのときそういう考え方をしてたら、私、一生後悔するような気がしたの。それからの自分の人生に自信が持てなくなるんじゃないかと思ったの。うまく言えないけど、そういうこと―」
由子はそう言って、何事もなかったようにまた私に背中を向けた。
思えば、結婚して十八年、私と由子は、普通の夫婦よりもずっと長い時間を共有してきている。 それは単に仲がよいというのではなくて、現実と戦っていく戦友として、日常の大半をともに過ごさざるをえなかったということである。
といっても、いつも向き合って生きてきたのではない。 同じ風景を肩を並べて見てきたのである。向き合ってお互いの顔を見つめながら生きてきたとしたら、きっと息が詰まることもあり、対立もしたはずである。
しかし、私たち夫婦にはそれがない。
私と由子は結婚する前から同じ風景を見てきた。沈んでいく夕日を一緒に眺めてきた。 そして、これからも見ていくことだろう。
同じものを同じ視線で見ている人間が隣にいる。 そのことの幸福を知った。
(次回につづく)
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