更新日:2010.10.6.
第三章 「神さまの試験」 其の四
■ 「借金地獄 上」
そんな体、そんな経済状況でも、私はよく由子の実家に出入りしていた。 実家は大阪市内で自転車店を営んでいた。父親は職人気質の人で、こつこつと働いて、四人の子どもを育ててきた。由子と結婚の約束をしてから、私はよく顔を出していた。穏やかで何事にも控えめな由子の家族は、派手好きな私が出入りするようになって最初はずいぶん戸惑ったらしい。
私は、由子ばかりでなく、由子の家族にもずいぶん迷惑をかけていた。 土地の管理には莫大な金がかかり、最終的に売買が成立すれば、一気に負債を返済できるのだが、裁判はなかなか進展せず、金利ばかりがかさんでいった。
高利の金融業者を歩き回り、万策尽きて三〇〇万円ほどあった由子の貯金も借りた。
そして、由子の両親、さらに由子の弟の好意にも甘えて彼の結婚資金にも手をつけた。 私の借金の工面のために、由子は毎月給料日になると、姉夫婦の家に出かけ借金のお伺いをたてる。姉夫婦は嫌な顔ひとつせず、毎月お金を用立ててくれた。 しかし、借りても借りても金はなくなっていく。泥沼にはまっているとわかっていても、それ以外に仕事を維持する方法がなかった。当時、私の借金はゆうに一億円を超えていた。
私を信用してお金を貸してくれた多くの人びとを裏切らないためには、この仕事を何としてでもやり遂げなければならない。とにかく、この仕事が成功すればまとまった金が入る。借金を返して「春山商事」は軌道に乗る。 由子との結婚も、この窮地を乗り越えなければ、とてもできる相談ではなかった。
一年で片づくはずの土地の問題が、ついに三年目を迎えていた。身体中の筋肉の衰えはますます進行を早めていく。
そんな体を引きずるようにして、運転できるように改造した車のハンドルを操って現場に立ち会い、金策に走り回り、その足でサラリーマン金融に駆け込んで利子だけを支払う。 何をするにも必死だった。精神的にも肉体的にも、ギリギリのところで動いていた。
そして、あれは二十九歳になったばかりのころだった。 整地を頼んでいた土木建設会社への支払いが滞ってしまい、何とか支払い期日を延ばしてもらえないかと、その会社を訪ねたときのことである。
その日は、春の声を聞いたというのに底冷えのする寒い日だった。街を行く人たちはオーバーの襟を立て背中を丸めて歩いているのに、私は季節はずれの夏物の薄手の背広をひっかけているだけ。もうこのとき、私には厚手のコートや背広ですら耐えがたいほどの重さに感じられた。わずか 一〇〇グラムの重さでさえ、萎えた体には、まるで石を背負っているようにさえ感じられるのである。
(次回につづく)
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