更新日:2010.10.20.
第三章 「神さまの試験」 其の六
■ 「死のう……」
そのときまで、私は誰に会うにも笑顔を絶やさないようにしていた。 体の不自由さを腰の調子が悪いと説明し、病気のことを人に気づかれまいとしてきた。
病気のことを話せば、そのときだけは同情を買えるかもしれないが、難病を抱えた私に誰が金を貸してくれるというのか。銀行は融資を断わってくるだろうし、サラ金からは鬼のような取立てに追われるに違いなかった。
顔から笑いを失うことは、わずかに残っている可能性、チャンスさえも失うことを意味していた。 笑いは最後の武器、しかも一銭も金がかからない。
「いやぁ、最近、どうも腰の調子が悪くて……。でも、貧乏暇なしやからおちおち休むこともできないんですわ、ハハハ……」
取引先でいつもこんな常套句を並べ立て、最後は顔に精一杯の笑いを作ってきた。 そうしなければ生きてこれなかったのだ。
再び死に物狂いで階段を降り、外に出てみると、薄暗くなった街に雪が降っていた。 私の汗だくの体から白い湯気が立った。 車のドアにつけた釣糸の輪に手首を入れ、やっとの思いで開けて、朽木が倒れるようにシートに倒れ込んだ。そのビルから逃げるように車を発進させ、角を一つだけ曲がったところで停めた。
心の中で張り詰めていたものが、音を立てて切れた。 私は大声をあげて泣いていた。 仕事のことで泣いたことはなかった。病気のことでも泣いたことはなかった。 しかし、この日は両方が一遍にやってきて、私は初めて泣いていた。
アパートに帰り着いたとき、私にはもう何の気力も残っていなかった。それまで何とか自分を奮い立たせて生きてきたが、もう限界だ。三年もかかってしまっていた土地問題と借金地獄、そしてどんどん進行していく病気に挫けそうになっている自分がいた。自分がどうしようもなく惨めで卑小な人間に思えてならなか
った。
それまでにも何度か「死んだほうがマシや」と思ったことはあるけれど「死のう」と思ったのは、このときが初めてだった。
由子のことが頭には浮かんだが、もう電話もかけずに死のうと思った。
たった一つ気掛かりだったのは、これまで私を信頼して金を貸してくれた人たちのことである。 銀行からの借金は担保を取られているからいいとしても、多くの友人や由子の両親、兄弟たちは私を信じて善意から貸してくれた人たちばかりである。
私は台所のテーブルに座り、遺書めいたものを書きながら、死ぬ前に借金の整理だけでもしておかなければ、その人たちに申し訳ないと思った。手帳やメモを調べながら金額を書き出していった。 一行書くたびに、先行きのわからない私に、よくもこんなに多くの人が金を貸してくれたものだと、有り難さが心に染みた。
(次回につづく)
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