更新日:2010.11.3.
第三章 「神さまの試験」 其の八
■ 「神さまに試された夜 下」
あのときが、最初で最後の自殺のチャンスだった。包丁、ガス、飛降り。いずれにしろ自殺というのは、けっこう複雑な動作の連続である。 今の私に与えられている選択肢は、せいぜい車椅子からひっくり返ることくらいになってしまった。
その日から三ヶ月後のことである。 あれほどもめていた立退き問題が、一気に和解の方向に進展し、たちまちすべてが解決した。 更地になった五五〇坪は、大手デベロッパーが開発することになり、私の手元に金が回ってきた。私は取引銀行の応接室に陣取り、土木業者やサラ金の集金担当者を次々に呼んだ。債務額を確認し、それらのすべてに現金を手渡した。この金だけは、振込みではなく、直接、現金で支払いたかったからである。
もちろん、由子の両親や姉夫婦、私の友人たちのところへは、私が持参した。 それまでの借金を全額返し、なお私の手元には、今後の人生を建て直すのに充分な金が残っていた。それまでと変わった何かをしたわけではないのに、まるでウソのようにすべてが解決したのである。
後年、あの雪の日の夜と、その三ヶ月後の急転直下の解決を思い返すと、奇妙な思いにとらわれる。あそこで神さまに試されたような気がする。
自殺の寸前まで追い込まれたが、そこで「死ぬのはいつでもよい」と肚を括ったとき、神さまは「合格」にしてくれたに違いない。不思議なことに、それ以後は、すべてが自分の望む方向へと動いていくようになった。アウトになって死んでしまうか、壁を越えてチャンスを掴むか。あの日の夜はそういう「神さまの試験」だった。
私は今、書斎の机に向かいながら、目の前の壁にあるカレンダーに目をやっている。このごろは日めくりの暦などめったにお目にかかることはないけれど、あのころ、私のアパートの部屋には、近所の八百屋か魚屋でもらってきた日めくりがかかっていた。
部屋に帰ると萎えた指でその日の一枚を千切り捨てるのが楽しみだった。一枚を千切り捨てると、そこから始まる新しい一日があった。 命の締切りを告げられた私にとって、それは今日から明日に架かる吊り橋を無事に渡りおえた瞬間でもあった。
今、何気なく見ているカレンダーには、哲朗や龍二のサッカーの試合の予定や誕生日などが書き込まれている。私は、それらの一日一日を愛しく思う。 そして同時に、私の人生は日めくりの暦なのだと思う。
もう一度生きようと決めたあの日の朝、私は日めくりの一枚を動かない指先で、たしかに千切り捨てていた。
(次回につづく)
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