更新日:2011.2.16.
第五章 「父の手のひら」 其の四
■ 「波乱の人生 上」
子どものころからヤンチャで近所のガキ大将だった私は、母にはよく叱られたが、なぜか父に叱られた記憶がない。後年、母は「おまえがいちばん父さんに可愛がられていたようだ」と話していた。
だが、大学受験をきっかけに私は父に反発しだした。五歳年上の兄は、すでにそのとき公立大学の医学部に通っており、父は、私にも医学部に進学することを強く望んだ。貧乏のどん底から這い上がった父は、子どもたちを大学に通わせることが将来を保証することだと考えていた。医者か弁護士になれと、父は顔を合
わせるたびに、私に言った。
けっして成績の悪いほうではなかった私は、兄への対抗心もあって、京都大学医学部を受験したが、やはり相手は手強かった。
二年続けて受験に失敗したとき、私の中に、もう父の言いなりに医者を目指したくはないという反発が芽生えた。しかし、ではどうするのかという、これといった目標も見つからなかった。
私は不安と焦りで家にいたたまれなくなり、二二歳のとき自由気ままな暮らしを求めてヨーロッパヘと家出同然に旅立ってしまった。
パリやスペイン、スイスなどでの根無し草のような生活が一年経ったころ、ロンドンの下宿先に大阪の実家から一通の手紙が届いた。父の会社の倒産を知らせるものだった。すぐに帰国せよという一言が添えられていた。父の経営する不動産と貿易の会社は、私が高校を卒業した一九七三年には、すでに陰りが見えていたらしいが、オイル・ショックで決定的なダメージを受けたのである。
私は、手紙を受け取って間もなく帰国することにした。もう少しヨーロッパで気ままに暮らし、自分の将来を考えてみたいという思いもあったが、これといった目的があったわけでもない。一家の危機を省みず、イギリスに留まっている理由も見つからなかった。
(次回につづく)
|