更新日:2011.3.16.
第五章 「父の手のひら」 其の八
■ 「父の背中 下」
父は、私が難病の宣告を受けたとき、何を思ったのだろうか。すでに事業に失敗し、すべてを失い、脱け殻のようになっていた父だった。私に何かをしてやりたくとも、その力がもう残っていなかったのだろうか。
私の思い出の中に鮮明に残るあの温泉旅行。私を連れて水上飛行機で白浜温泉に乗り込んだ父は、たとえ成り金と言われようとも豪快な人だった。そして、豪快で無骨な人ゆえに、その手から経済力を失ったとき、愛情の表現方法も失ってしまったのだろうか。
私は、父と何かをじっくり話した記憶がない。不慮の交通事故で亡くしてからは、ああしておけばよかった、こうもしてあげればよかったという後悔だけが残っている。破天荒に生きた人だけに、その寂しかった晩年を思うとなおさらである。
私は今、哲朗と龍二という二人の子どもの父となった。毎日、真っ黒になって家に帰ってくる子どもたちの顔を見るたびに心が休まる。もし、哲朗と龍二に万が一のことがあれば、私は自分の命を引き換えにしても惜しくはない。その父としての愛情に、条件など何一つない。
車椅子に乗っている私の姿を、哲朗と龍二はどのような思いで見ているのだろうか。
父子という関係は、どこの家庭でもそうだろうが、友人のようにじっくりと酒でも飲みながら人生を語り合うような仲ではないのかもしれない。
おそらく、父は私に対して愛情のかけらもなかったわけではないだろう。期待に添えない私のわがままにも、父は黙って目をつぶっていてくれた。
私が無条件に子どもたちを愛するように、父もまた私を愛していてくれたはずである。やさしい言葉の一つもかけられない不器用な愛もあることを、私は父が死んでから知ったような気がする。
死の一週間前に私を訪ね、別れ際にひらひらと手のひらを振り、そのあとに見せた寂しそうな背中を、私はまだ越えられずにいる。
(次回につづく)
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