更新日:2011.8.17.
第八章 「龍二への手紙」 其のニ
■ 「想像妊娠」
お母さんの計算では、君が生まれるのは春だった。春に生まれれば、翌年の四月には保育所に預かってもらい、また仕事ができると考えたらしい。
ある日、お母さんは「赤ちゃんができた」と、嬉しそうに父さんに言った。みるみるお母さんの体重は増え、お腹がパンパンに張ってきた。ところが、病院で診てもらうと不思議なことに、お母さんのお腹の中には赤ちゃんがいない。
お母さんは、赤ちゃんがほしくてほしくてたまらなかったから、想像妊娠してしまったのだ。想像妊娠とは、夢を見ているうちにそのことが本当にあったことだと勘違いしてしまうようなものだ。夢に見るほどまでに、お母さんは君の誕生を心待ちにしていたんだよ。
想像妊娠だとわかってから、当然、お母さんのお腹はすっかりしぼんでしまったが、それからしばらくしてまたお母さんのお腹が膨らみはじめた。今度は本当に赤ちゃんができた。
それが龍二、君だ。でも、君が生まれたのは春ではなく、庭の柿の実が赤く色づきはじめた十一月の一日のことだった。
「龍二」と名づけたのは父さんだ。お兄ちゃんの「哲朗」という名前もずいぶん考えて父さんがつけた。君の名前も、“龍”のように天に昇る大きな男になってほしいという願いから「龍二」とつけた。
君は、お兄ちゃんと同じように元気に生まれてきた。グズグズと泣かず、大きな声でカアッと泣くのは、お兄ちゃんと同じ。お母さんをあまり困らせない点でもお兄ちゃんと同じだ。神さまは知っていたのかもしれないね。お母さんは父さんの世話で忙しいから、君たちは少し手がかからないようにしなさいと。
父さんは、この自分の手で君を抱いたことが一度もない。正確に言うと、父さんがわが子をこの手で抱いたのは、たった一度きりだ。お兄ちゃんが生まれたとき、あの分娩室の前で。
しかし、その後、お兄ちゃんを抱くこともできなくなった。病気がどんどん進行して、父さんの体からあらゆる筋力が奪われていったからだ。君が誕生したときには、父さんの体はずいぶんと悪くなっていた。手も足も動かず、箸すら自分の力では持てなくなっていた。
君が生まれたとき、父さんは車椅子に座ったまま、指と指を組んで腕で輪を作ってもらい、膝の上に君を置いてもらった。あのとき、初めて君に触れた。
(次回につづく)
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