更新日:2011.4.13.
第六章 「哲朗への手紙」 其の四
■ 「車椅子に乗る決意 下」
「先生、腹でも何でも切ってください。母親と子どもを助けるためなら何をやっていただいてもけっこうです。先生、とにかくお願いします」
五年前に難病を宣告されたときでさえ、こんなに取り乱すことはなかったのに、このときばかりはオロオロして医者に頼み込んだ。父さんも子どもを持つことは生まれて初めての体験だ。お母さんと赤ちゃんが無事でいてくれることを、ただ祈るしかなかった。
分娩室の前の廊下で、父さんは君が無事に生まれてくるのを必死に祈っていた。
セミの鳴く声が遠くから聞こえてくる。じっとしていても汗が吹き出してきた。
どれくらいの時間が経ったろう。一時間ほどだろうか。分娩室の中から赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてきた。
やった、生まれた― 父さんは心の中で叫んだ。
あの大きな産声の待ち主の父親が父さんとは知らず、そばを通りかかった助産婦さんが「大きな産声の赤ちゃんやわぁ、この子は元気に育つでえ」と同僚と話しながら、目の前を通りすぎた。父さんは、嬉しくて嬉しくて、「この元気な泣き声の子、私の子です」と叫びたい衝動に駆られた。父さんは君の元気な泣き声が誇らしかった。
分娩室から看護婦さんが走り寄ってきて言った。
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ。お母さんも大丈夫」
やがて分娩室の扉が開き、ストレッチャーに乗せられたお母さんが姿を現わした。目尻に涙のあとのあるお母さんは麻酔のせいで朦朧(もうろう)としているようだったけれど、それでもお母さんは父さんの顔を見てニコッと微笑んだ。看護婦さんに抱かれた君は皺(しわ)だらけの真っ赤な顔をして、小さな手足を動かしていた。
父さんは膝の上で組んでいた腕の中に君の小さな体を置いてもらい、初めて君を抱いた。三〇〇〇グラムの君の体重を父さんの腕はしっかり記憶している。今から思い返せば、自分の力で君を抱いたのは、それが最初で最後だ。 一九八五年七月三十一日、それが君の誕生日だ。
(次回につづく)
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