更新日:2011.5.18.
第六章 「哲朗への手紙」 其の八
■ 「人間は無限に近い可能性を持っている 上」
君との思い出の中で、少し悲しい出来事もある。
それは、小学校に入る少し前のころ、キャッチ・ボールに興味を持ちはじめたときのことだ。すでにバットとボール、グローブを買ってやっていたが、どうも君は野球だけは上達が遅かった。そして、ある日、こう言いだした。
「お父さん、ボールを真っ直ぐ投げられへん。キャッチ・ボール教えて」
父さんは、君をマンションの壁の前に立たせ、壁に向かってボールを投げさせてみた。でも、君の投げる球はワンバウンドしたり、右に行ったり左に行ったり。父さんが君の手を取って教えてあげられれば、すぐに真っ直ぐに投げられるようになるのだが……。
「お母さんとやってみ」
「お母さんはアカン、ボクより下手やねん、お父さん、教えて!」
「そしたら、お父さんの言うとおりに投げてみ」
手をこうして、膝をこうしてと、例によって口だけコーチを始めた。しかし、君は、なかなかうまくいかず、だんだんと、苛立ちはじめた。
「もうイヤや。何でお父さんはキャッチ・ボール教えてくれへんの。ケンちゃんのお父さんは、ボクの手を取って、こうするんや、ああするんやと全部教えてくれたよ。何でお父さんだけでけへんの」
父さんは、そう言って泣き出した君の顔が忘れられない。赤ちゃんのときに君に泣かれたときも心が痛かったが、あのときも父さんは少し悲しかった。
父さんは、自分の体が不自由になったとき、その運命を受け入れた。受け入れて一生懸命に生きていこうと決心した。父さんとお母さんは難病を運命だと思って受け入れ、君たちを生んで育ててきた。でも、君たちは車椅子に乗った父親を選んだわけではない。
(次回につづく)
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