更新日:2010.11.10.
第四章 「難病を幸運にする」 其の一
■ 「病気を隠し通す 上」
由子とは高校時代からのつきあいである。私がヨーロッパに行っていた一年半ほどは途絶えていたが、帰国して間もなく彼女から電話がかかってきた。
「春山君、ヨーロッパのほうに行ってたんやてねえ、一度会おうか」
由子はこのとき染織の専門学校を卒業し、染織家としてスタートしたばかりだった。
私は倒産した父の会社の整理を手伝いながら、不動産業に手を染めた時期である。自分の道を歩きはじめていた由子は、当たり前のことだが、高校時代よりはるかに大人びて見えた。そんな彼女に比べ、私は、二十三歳にもなるのに将来の見通しもたたない若造にしかすぎなかった。しかし、そんな二人が結婚の約束をするまでに、それほどの時間はかからなかった。
私たちはよく旅行をした。荷物を担いでバスに乗り、東北地方を歩いた。貧乏旅行だったが、元気なころの私の思い出の中で、最も楽しく輝いていた時期だった。
間もなく難病が発症するとは知らないで―。
元気だけは人一倍だった私の体が、徐々に衰えていく。そして、難病の宣告を受けた二十六歳のとき、私は不動産の仕事でも難問を抱え、身動きがとれなくなっていた。
由子は「二十七歳で結婚しようという約束を延期してほしい」という私の申し出を、黙って受け入れてくれていたが、私が最も心苦しかったのは、彼女の家族に対してである。
「春山君、よく来たな。はよう上がって一杯やらんか」
自転車店を営んでいる由子の父は、ときおり顔を出す私をいつも快く迎えてくれていた。
由子の家の玄関には大きな和風のあがり框(がまち)があり、その奥の居間で由子の父が上機嫌で晩酌をやっている。私は、まず、そのあがり框にゆっくりと腰を下ろす。そして靴を脱いだあと、上半身を回転させるようにして足を引き上げ、膝をついてゆっくりと立ち上がる。それが、最も自然に見える“上がり方”だった。
(次回につづく)
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