更新日:2011.1.19.
第四章 「難病を幸運にする」 其の十
■ 「善意の被害者」
ビクトリア・ピークに登った日の翌日、私たちが遅い朝食を摂っていると、ホテルのテレビが山一證券の廃業を報じていた。NHKの衛星放送が香港でも受信できるのである。私たちは、「エッ?」という思いで、しばらく画面を見つめていた。
山一の社員がインタビューを受けている。
― 経営者はいったい何をしていたんだ。私は子どももまだ小さくて、これから学費がかかる。家のローンも残っている。私の人生はこれからどうなるんでしょう。会社に責任を取ってもらいたい ―。
四〇代半ばか五〇くらいの男性社員が腹立たしそうな顔で答えていた。次々にインタビューを受けているほかの社員も大同小異、経営者の無能と自らの不運を嘆くばかりだ。
「おまえら、アホか!」
私は笑いながら画面に叫んでいた。そして居合わせた社員たちに聞こえるように言葉を続けた。
「会社が借金しろと言ったのか。会社が借金してマイホーム買え、ローン地獄に入れと言ったのか。おまえたちが選んだ人生じゃないか。おまえたちが選んだ山一じゃないか。おまえたち、ブラジルの山奥から連れてこられて、無理やり働かされているのか。おまえたちが選んだ会社が潰れた以上、おまえたちが責任を取らんか。誰か一人でもいいから、私たちはどうなってもいい、それよりもお客さまに申しわけないとか、取引先に申しわけないとか、私たちはいいから、みなさんへの迷惑は最小限にすると言え!甘ったれるな」
私たち夫婦は、そんな甘えたところからスタートしてはいない。首から上しか動かない私は、今の仕事に失敗したら、やり直しがきかない。私は肉体労働でその日の食い扶持(くいぶち)を稼ぐこともできない。由子は車椅子に乗ったままの私の世話で、他所に働きに出ることはできない。私たちは、その時点で一般社会への参加が不可能になる。私たちに、失敗は許されなかった。
会社が廃業しようが、倒産しようが、山一の社員には失業保険が出るだろう。職を探して歩き回ることだってできるだろう。社会に参加できるというありがたさを忘れて「オレの人生をどうしてくれるんだ」などとは言ってもらいたくない。
もちろん、山一の社員全員がそんな甘ったればかりではないはずだ。中には、そうでない人もいることだろう。
しかしNHKの画面に現われたのは、「善意の被害者」であり、「かわいそうな山一の社員」ばかりだった。なぜそんなことになったのかといえば、取材する側とされる側が、暗黙の了解で「善意の被害者」を演出しているからである。そしてテレビの前に「他人の不幸」を快感に感じる視聴者がいるからである。
重ねて書かせていただきたい。私たちは、そんな甘えたところからスタートしてはいない。
(次回につづく)
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