更新日:2010.12.8.
第四章 「難病を幸運にする」 其の五
■ 「車椅子事件 上」
「ミッちゃんが難病になってよかったよ」
あるとき、由子が笑いながらこう言ったことがある。
「何でや、オレが浮気もせんようになったからか」
笑ってそう答えると、真顔になって続けた。
「だって、あなたが不動産の仕事をあのまま続けていたら、たぶん、一時期は週刊誌か何かで、 “バブルの帝王”とか“青年実業家”とか書かれて有頂天になっていたはずやわ。でも、そんなものは長続きするわけないから、今頃は首を括ってるか、塀の向こう側に落ちてるかのどっちかやったのとちがう?」
いつも由子は、私のことをじつに客観的に見ている。たしかに、結婚したころは日本中がバブル景気に突入するころでもあり、私が管理している土地の値段もあっという間に高騰していった。昭和六十二年に私が管理していた道頓堀の土地の値段は一坪約八〇〇万円だったが、その二年後には一八〇〇万円にもなっていたのである。
最初に手掛けた仕事で苦労したお陰で、示談の落とし方も裁判の裏も読めるようになっていた私だから、発病していなかったら、バブルの波に乗って突き進んでいったかもしれない。そして、由子の言うとおり、今頃は破産していたに違いない。私に関するかぎり、難病という“不幸”にも、いいところがあったのである。
由子は繰り返して、こうも言った。
「でも、本当に何が幸いするかわからないよね。難病になって、今のビジネス・チャンスを見つけたんだから」
まさにそのとおりだった。
私は現在、社員一九人を抱える「ハンディネットワーク インターナショナル」という会社を経営している。医療・ヘルスケアを中心とする事業だが、この分野に参入したきっかけの一つは、私の“車椅子事件”だった。
(次回につづく)
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