更新日:2011.1.12.
第四章 「難病を幸運にする」 其の九
■ 「ようやく、ここまで来たな―」
三年前の十一月、私たち「ハンディネットワーク インターナショナル」は、社員旅行で香港に出かけた。その前の年は、ハワイヘ行ったのだが、「今年は香港や。返還後の香港を見に行こう」と私が提案した。社員の多くはほかを希望していたらしく、香港だと言うと「エーッ」と反対の声があがった。
「行きたくないやつは行かんでええよ。全額会社が持つ海外への社員旅行なんて、今どきやってる会社なんてないよ。みんなが行かないんなら、その分、会社は助かる」
社長の独断で決められるのが零細企業のよさで、「エーッ」と言いながらも一五人全員参加となった。
挙式と新婚旅行に出かけて以来、香港は一三年ぶりである。あの年はちょうどイギリス政府が香港の返還を決めた年だった。その年、その地で結婚式を挙げた私たち夫婦にとって、香港返還は、単なる海外トピックスではなかった。だから「返還後の香港を見に行こう」というのは嘘ではないが、口実である。
一三年前、一万円でウェディング・ドレスを借りて式を挙げた香港。私たち二人は小さな希望とその何倍もの不安を抱えて神父さんの前に立っていた。その小さな希望を必死に追いかけ、不安を乗り越えて、ようやくここまで来た。
私と由子は、社員が買い物に走り回っているとき、あの教会を探しに行った。たしか、この辺だったというあたりを、二人で目を皿にして見廻したのだが、とうとう教会の建物は見つからなかった。
ビクトリアピーク ―― あの『慕情』の丘に上がると、スコールが止んで、眼下に立ち込めていたガスが晴れた。社員たちがワイワイ騒ぎながら記念写真を撮っているとき、私と由子は並んで香港の街を見下ろしていた。
「ようやく、ここまで来たな―」
私がポツリと言うと、横で由子が黙って頷いた。一三年前、二人でここに立ったとき、由子は私の体をいつも支えていなければならなかった。そして結婚後は車椅子を押し、私を抱き上げ、抱き下ろすという生活が続いてきた。
だが、今は違う。私たちは一五人の社員を連れて香港にやってきた。私の車椅子は若い社員が交代で押してくれる。由子は私につきっきりになることもなく、ハンドバッグ一つを持って買い物をし、食事を楽しんでいる。
「やっとここまで辿り着いたな、一三年間、結構面白かったな―。これからもやるぞ」
「そうやね―」
由子は一言だけ返した。そして眼下の海と街を見下ろしていた目を遠くの空に向けた。
(次回につづく)
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