更新日:2010.12.1.
第四章 「難病を幸運にする」 其の四
■ 「二人だけの結婚式」
由子は自分の両親にも私の病気を隠し通し、結婚を既成事実として認めさせてしまった。女はいざとなると男より肚(はら)が据わるのかもしれない。
1984年春、私たちは、二人きりで伊丹空港から香港へと飛んだ。香港を選んだのは、経済的にも日程的にも、ヨーロッパなど遠くまで出かける余裕がなかったという理由もあるが、柄にもなくジェニファー・ジョーンズ主演の映画『慕情』のロマンチックなシーンが印象に残っていたからである。
私たちは香港の街の中の何の変哲もない小さな教会を訪ね、式を挙げたいと申し出た。介添人は現地で雇った中国人ガイドだけ。私は日本から持っていった黒の背広で、由子のウエディングドレスは日本円にして一万円ほどの貸衣装だった。
簡単な式のあと、教会の中庭で記念写真を撮ってもらった。フラワーガールもライスシャワーもない二人だけのささやかな結婚式だったが、私たちにはそれで充分だった。
これからずっと一緒に生きていくんやなぁ― そんな感慨が胸に迫ったことを覚えている。しかし、家庭というものに具体的な夢があったわけではない。子どもを作ることなど、自分の体のことを考えればとてもできるはずもないと思っていた。
難病を背負い、借金に追いまくられた末に、やっと辿り着いた結婚だった。いくら仕事が順調にいきだしたとは言え、私の将来は、ちっとも明るくはない。間もなく車椅子の生活になり、やがてその車椅子も自力では漕げなくなり、いよいよ全身の機能が失われ、人より早い死を迎えるということ以外、何の保証もない。
そんな私との生活に由子がどのような夢を抱いているのかもわからなかった。
私の父は、貧乏から這い上がり、突然、高級外車を乗り回し、大阪市内に鯉の泳ぐ豪邸に住むという破天荒な人生を送った人だが、けっして世間が言う「家庭的な夫」でも「子煩悩な父」でもなかった。父が家庭や家族というものをどう考えていたのかは知らないが、たしかなことは、父が懸命に働いてくれたから、私たち一家は生きてこられたということだけだ。
「男の愛情は引き算で、女の愛情は足し算だ」と、言った人がいる。
男の愛情のピークは、女性に恋心を打ち明けたりプロポーズしたりするときで、その後、結婚するとしだいに愛は醒めていく。それを引き算にたとえている。
逆に女性のほうは、男性に恋心を打ち明けられても、惚れられている余裕もあってか「まあ、そこそこ」程度の愛情しか持てない。それが交際したりやがて結婚すると、徐々に愛情が深まっていく。つまり、女性は愛を加算していくというのだ。
なるほど、世の中にはそういうカップルが少なくない。私が元気な状態のままで結婚していたら、そんなことも起こったかもしれない。しかし、私たちは両方とも足し算である。
(次回につづく)
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