更新日:2011.1.5.
第四章 「難病を幸運にする」 其の八
■ 「福祉をビジネスにする」
よく考えてみると、ここには二つの大きな怠慢がまかり通っている。消費者と福祉サービス提供者が互いに自分たちの仕事を怠っているのだ。
一つは消費者の怠慢である。消費者である障害者は、給付制度の権利を享受してはいるが、不満があっても声をあげない。何も言わずに高価な道具を平気で使い捨てている。これでは、消費者の声がサービス提供者に届かない。もう一つは、福祉サービス提供者の怠慢だ。彼らは消費者が何も言わないのをいいことに、消費者の声を聞くという努力を怠り、ニーズに合っていない製品を作り、ただ垂れ流しをしている。この状態を税金が支えている。
この不健全なシステムを生み出したのは、障害者に社会参加のチャンスを与えようとせず、物や金銭で解決しようとしてきた“アメ玉福祉”の考え方である。
医療、福祉の分野は非常に注目されているのに、満足なサービスが提供されていない。私は、この車椅子の一件から、もしかしたらこの業界には大きなビジネス・チャンスがあるのではないかと考えたのである。
そして、一三年前、私は大阪市浪速区に「ハンディ・コープ」をオープンさせた。これは全国でも初めての福祉のデパートで、体の不自由な人とお年寄り、そしてその家族のために「スプーンー本から家一軒まで」を売るビジネスだった。それが、医療、福祉関係の商品開発を主業務にしている現在の「ハンディネットワーク インターナショナル」につながった。
こうした仕事を始めた当初は、福祉がビジネスになるなどとは誰も信じてくれなかった。みな、福祉は「清く・暗く・貧しい」ものだと思っていて、そこで儲けようなどとは、あってはならないことだと思っていた。
しかし、私に言わせればまったく逆である。儲けようという人間が出現しないかぎり、福祉機器やサービスは、向上していかない。儲けたいと思うから、商品やサービスを向上させる努力をするのであって、人間というのは、儲けてはならない分野で努力できるほど、善意のかたまりではない。だから私は「清く暗く貧しい福祉よ、さようなら。明るく爽やかでトレンディな産業を目指して」というスローガンを掲げてきた。
私は自分の経験から、障害を待った人やお年寄りと、その人たちを介護する人たちがともに快適に暮らすことのできる社会が実現できれば―と考えてきた。
そのためには、高品質な商品やサービスが必要である。それらを消費する者は、当然、その代価を支払うべきだし、提供する者は、代価を受け取る権利がある。だから、福祉はビジネスにならなければいけない。
その考えの原点は、何も大げさなものではない。 それは、私と私の家族の幸せを守るという、きわめて個人的な発想からだった。私の妻は、私を介護するために結婚したのではなく、子どもだって車椅子に乗る父親を選んで生まれてきたのではない。
妻や子どもたちが車椅子に乗った私の犠牲にならないためには、高品質な商品やサービスが必要である。そのためにお金がかかるのは当然だ。
そして、私は、自らの幸せと家族の幸せを守れない人間に、人を幸せにする仕事など到底できるはずはないと考えている。
(次回につづく)
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