更新日:2011.6.1.
第七章 「生命のサイコロ」 其の一
■ 「親の怠慢 上」
哲朗が五歳になるかならぬかで、二男の龍二が二歳のころだった。
「スプーン一本から家一軒まで」をキャッチ・フレーズに、大阪市浪速区にオープンした介護用品のデパート「ハンディ・コ−プ」がちょうど二年目に差しかかり、私の仕事は一つの大きな転機を迎えていた。
介護ショップは今や全国に三〇〇〇店もあるが、当時、私のショップは全国で初めてのものだった。幸い順調に業績を伸ばし、大手の企業から提携を求められるようになった。
私は三年間で介護ショップから手を引こうと考えていた。小売事業は、所詮、資本の勝負である。それなら事業提携を求めてくる大手企業に販売権を譲り、ノウハウをビジネスにしたほうがはるかに効率的だと考えたからである。
ハンディ・コープを有利な条件で大手企業に委ねるためには、海外企業との提携などを含め、できるだけ業務を拡大しておく必要があった。私と由子はそのための仕事に忙殺されていた。
その年は秋口から海外出張が重なった。アメリカヘ九日間飛び、帰国して日本中を駆け巡り、その二週間後にはヨーロッパに出かけるという具合だった。
二、三日の国内の出張は別だが、外国などに出かけるときは、私と由子はつねに一緒だった。由子も会社の経理を手伝うようになってから仕事が面白くなったようで、私たちは夫婦で仕事にのめり込んでいった。
(次回につづく)
|