更新日:2011.6.29.
第七章 「生命のサイコロ」 其の五
■ 「サインを見落とした 上」
哲朗は隣の処置室にいたが、私の声を聞きつけて飛び出してきた。
「お父さん、テッちゃん、もう治ったから家に帰ろ。頭痛くないから。帰ろ、おうちに連れてって!」
哲朗は私と由子の表情から何かを察したらしく、車椅子にすがって必死に嘘をついた。
「テッちゃん、お父さんもお母さんもここにいるから心配せんでいい。ちょっと先生に診てもらうだけや」
私の取り繕った言葉に騙されたように、哲朗は看護婦に手を引かれ、処置室に戻っていった。しばらくして、哲朗の声が聞こえてきた。それは悲鳴とも叫びとも形容しようのない声だった。私は、耳をふさぐこともできない。由子は、膝の上に組んだ私の手に自分の手を重ね、ずっと泣きつづけていた。胸が張り裂けそうだった。
哲朗の背中は、骨をより浮き立たせるため、海老のように折られているに違いなかった。とくに痛みで暴れ回る子どもの場合は、脊髄を傷つけないために手足を縛り、押さえつけて注射を打つ。その痛みと恐怖に、哲朗がさらされている。
哲朗の悲鳴が止んでしばらくすると「エーン、エーン」という泣き声に変わった。注射の痛みから解放された安堵感からか、放心したような泣き声だった。
「春山さん、今、検査に回していますが、おそらく髄膜炎だと思います。悪性なら覚悟してもらわなければなりません。五分五分と考えておいてください」
医師は、そう説明した。哲朗の命は五分五分……。
(次回につづく)
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