更新日:2011.7.27.
第七章 「生命のサイコロ」 其の九
■ 「生命のサイコロ」
このとき小児病棟で哲朗と同じ病気に苦しむ多くの子どもたちを見た。幸い、哲朗は良性だったが、一つ間違えば悪性で命を落とすこともあったのだ。それは、まるで生命のサイコロを振って吉か凶かを占うようなものではないか。吉も凶も単なる偶然にすぎない。たまたま吉と出、たまたま凶と出るだけのことだ。しかし、この偶然こそが、私たちが何気なく送っている「健康な生活」の正体なのかもしれない。
私たちは、日頃、健康であることが当たり前になってしまっている。しかし、それは単なる偶然にすぎない。その偶然の運のよさにこそ、人間は感謝しなければいけないのだろう。
あとで知ったことだったが、哲朗が髄膜炎にかかった年は、その発生率が異常に高い年だった。しかし、髄膜炎や日本脳炎に対する人びとの意識はきわめて低かった。人びとが文化的な生活を営みだした今、蚊が病原菌の媒介をするという日本脳炎の知識など、ほとんど忘れられてしまっている。
だから発病したとしても、哲朗と同じように、風邪と診断され、それを信じた親も多かったはずだ。哲朗は三軒目の病院で髄膜炎の疑いがあると診断され、適切な処置を受けることができたが、これは運がよかったとしか言いようがない。運が悪ければ、風邪薬や鎮痛剤を飲みつづけ、死への道をひた走っただろう。
かりに髄膜炎であることが判明したにしても、ここでさらに運・不運が分かれる。髄膜炎はいろいろな菌が脊髄に侵入して引き起こされるのだが、その菌の種類によって症状や進行速度が異なる。哲朗は幸いにして、良性の病原菌で、それが脳を侵す前に食い止めることができた。良性か悪性かの確率は五分五分と医師は言っていた。運が悪ければ命を落としたり、重度の後遺症が残ったことは確実である。
(次回につづく)
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