更新日:2011.10.5.
第九章 「苦難に克つということ」 其の一
■ 「なくしたものを勘定するな 上」
南に面したサンデッキに車椅子を出し、風に吹かれていた。リビングでは龍二の友だちのお母さんと由子が話をしている。女同士の会話はとめどなく、楽しげな笑い声が聞こえてくる。
「オーイ、悪いけどコーヒー飲ませてくれ」
私が由子に声をかけると、由子が笑いながらやってきた。
「ごめんねー、ほったらかしにして」
由子はマグカップに差したストローの端を私にくわえさせ、ついでに煙草に火をつけてくれる。一本吸いおわるのを待って、またリビングに戻っていった。
「いいわね、由子さんとこはいつもご一緒で。うちなんて休みのたびにゴルフだなんだって家にはいないんだから。本当に仲がいいわねえ」
「そうかなぁ、でもうちは結婚したときからいつもこうしてやってきたから、そんなこと考えたこともないよ。逆に出張や講演で主人が外泊したら、ほっとして熟睡よ。夜勤から解放されるからね。ハハハ」
聞くともなく聞いていると、そんな会話が聞こえてくる。
由子が何気なくこんなことを言えるようになったのは、ここ数年のことだろう。難病を持つ私と結婚し一緒に暮らしていくことに、ある種の覚悟があったにせよ、現実に進行していく症状を目の当たりにするのは辛かったに違いない。
「今日できたことを明日も続けるようにしてください」
結婚してすぐに訪ねた病院で、医師は、私に言ったことと同じことを由子に告げた。
しかし、歯ブラシが持てなくなり、タオルで顔を拭けなくなり、箸をロ許に持っていくことも風呂に入ることもできなくなった。そして、ついに寝返りすらできなくなった。
(次回につづく)
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