更新日:2011.12.7.
第九章 「苦難に克つということ」 其の六
■ 「夢の中 下」
私はと言えば、夢の中に出てくる自分は、いつも自分の二本の足で歩いている。車椅子に乗るようになって一七年も経つというのに、夢の中に車椅子の自分が出てくるようになったのは、六年ほど前からのことである。それまでは歩いているどころか、真っ青な海を延々と泳いでいたり、走り回っている夢ばかりだった。今はそれが半々になっている。
事故などで足を切断しなければならなくなった人は、切断されて足がなくなってしまったのに、しばらくは足先がかゆくなったりする感覚に襲われるという。失ってしまったものに対する未練なのだろうか。
失ったものを嘆くより、残された機能を一二〇パーセント生かすことが大事なのだと、私は自分に言い聞かせてきたつもりだが、それでも夢の中では自分の足で歩いている。
私はよくこう聞かれることがある。
「春山さんが、もし難病にならなかったとしたら、どんな人生を送られていたのでしょうね」
この質問を受けるたびに、由子の言葉を思い出す。バブル期に不動産業で大儲けして、その挙げ句、不良債権を大量に抱えて首を括っているか、はたまた塀の向こう側に落ちているかのどちらかだったと。
しかし、人生に「もしも」という仮説ほど陳腐なものはない。大切なのは、難病になりながらも残っている機能をフル活用して、生き抜いているという事実であり、その私には、かけがえのない家族がいるという事実なのだ。
私と由子は、婚約したころ、旅先で、ときどき兄妹に見間違えられたものだ。いい年をした兄と妹が一緒に旅行をするなど聞いたこともないが、それほど私たちは似ていたらしい。
それは顔形が似ているというより、二人が持つ雰囲気が相手にそう思わせたのだろう。同じ環境で育ったわけではないのに、私たちは考え方や感じ方で妙にうまが合う。だから私たちは夫婦喧嘩をしたことがない。
「喧嘩をしない夫婦なんて、本当は仲がよくないんじゃないの」と言う人もいる。
しかし、私たちは互いに相手を疎ましく思ったり、心底憎んだという経験がない。
最近は、顔まで似てきたと言われるので、由子は「あなたに似てるなんて冗談やない、やめてよ」と苦笑いしてる。
(次回につづく)
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