第60章 「国家が何をしてくれるかじゃなく、
自分が国家に何を出来るか・・それを大事にしよう!」
現在私は京都にてこのコラムを書いている。ある会社のイベントで祇園祭に招待されたのだ。この会社は年に二回、取引先及び全社員を集め、ある行事が行われる。この行事がそこらへんのモノとは訳が違う。今回であれば、まず現地に到着すると、浴衣に全員着替えさせられ、着付けを担当するのは社員達である。障がい者の社員も積極的にお客様に対し声かけをしながら着付けをする。これだけではなく、豪華ディナーのあと、舞妓が踊り、祭りを見学。そして戻ると出店が出ている。これももちろん社員の仕事で忙しくてもイベント要員のアルバイトなどは一人も使わない。たこやきやお好み焼きを焼いてお客様に対しておもてなしをしてくれる。決してマニュアル化されたおもてなしではない。私はそこの社員の自然な表情が妙に頭に残っている。年に数回全社員が集まり、結束が生まれる。そして、多くの社員が本気でおもてなしをするので、自然とお客様への対応を覚え自然な笑顔になる。私はそんなふうに感じた。この会社の行事は7年ほど続いているようだが、経営が苦しかった時があったことを知っている。その時、きっと社長を筆頭に皆が痛みに耐え、荒波を乗り越えたに違いない。だからこのように派手さがありながら温もりのある行事が成り立つのである。
今回のラジオで春山は強烈に政治について語っている。ただ政治家を厳しく批判しているだけではない。これからの日本を変えるには痛みに耐える必要があり、その為の世代間の対話が必要だと話している。会社は社長が駄目でも、下の力でなんとかなることもある。それは私の会社が実証している。弊社アイシーズ株式会社が存続できているのは部下が痛みに耐え、私を支えてくれたからだ。国も会社に置き換えたら、今こそ国民である我々部下が支えなければならないのかもしれない。一人一人が考え、痛みに耐える覚悟があれば、この国もまた変わるのだろう。私は京都のある会社の姿を見て痛みに耐えた後の目に見える「会社が儲けている」という姿と、目に見えない「社員の強さと温もり」を感じながら、この国の明日の姿をもっと考えてみたいと感じた。
宮内 修 プロフィール
アイシーズ株式会社 代表取締役 1973年3月に父 宮内 義彦(現オリックス株式会社 取締役兼代表執行役員・グループCEO)の次男として生まれる。 |
春山 満 プロフィール
株式会社ハンディネットワーク インターナショナル 24歳より進行性筋ジストロフィーを発症。現在首から下の運動機能を全廃。1991年ハンディネットワーク インターナショナル設立。幅広いネットワークと体験を通した独自の視点と着眼で、オリジナル商品の開発や大手医療法人・企業等のコンサルティングなど幅広く活躍。2003年、米国ビジネスウィーク誌にて『アジアの星』25人に選出。 |
ドラ息子企画 編集者 春山 哲朗
編集者 略歴 |