更新日:2011.12.21
第五章 老いへの危機意識 其の三
■ 老いに対してどれだけの危機意識を持っているか
とかく危機管理能力が乏しいといわれる日本人ですが、みなさんは自分の老いに対する危機感をどの程度持っているのでしょうか。
アメリカでは、財産を使い切らないと、最後の保障はありません。財産を使いきるまでは、すべて自己負担です。「お墓には一銭も持っていくなよ、墓に金を持っていっても仕方ないだろう」という論理がまかり通るシビアな社会です。そしてすべてを使い切ったあと、はじめて最低限の社会保障を提供される・・・・・・それがまさにアメリカです。
そのアメリカを訪問中、ある現地のコーディネーターに、「アメリカの中流の方々は、自分の老いに対して、一体いくらぐらいのお金が必要だと考えているのでしょうか」と質問したことがあります。返ってきた答えは、「ふつうの中流のアメリカ人であれば、少なくとも60万ドル、多い人だったら120万ドルは必要だと思っているでしょうね」というものでした。60万ドルとは、1ドル100円で計算すると6000万円に相当します。自分の老いを支えるには、最低それだけは必要だというのです。ちょっとした人だったら、1億円を超えるお金がないと自分の老いは支えられないというのです。
「そのためにみんな一生懸命働いて蓄財をしている」
そういうことを彼女はキッパリといいきりました。同じ質問を日本人にしたら、はたして何人が、これほど明快に答えられるでしょうか。
日本、ちょっと甘ったれてると思いませんか。
老いはぼくたち自身の責任です。国家の責任ではありません。文明が発達し、社会が発達し、知識が増えたのですから、自分の老いというものは、もうある程度予測できると思います。その予測のなかで、ぼくらはもっと危機感を持つべきです。
中途半端な自己責任は、結局ぼくらの子どもや孫たちを泣かせることになります。
アメリカに学ぶべき点があるとすれば、彼らが持つ危機感のレベルの高さ、老いに対する毅然とした自己責任の覚悟なのではないかと思います。
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