第19章 「死にたいやつは死んでいけ、俺はこれから朝飯だ(あるエッセイより)」
終戦記念日とは敗戦・・そして日本にとって屈辱の日である。今回も私の師匠『春山 満』の強烈なメッセージから始まり、いつものようにいろいろ考えさせられる事がある。
人生に敗戦を例えるなら、私はこれまでにいくつかのターニングポイント(敗戦)があったと思っている。人に騙された事、失恋をした事や本当に悔しい思いをしながら会社を辞めた事などである。この悔しいという気持ちを胸に刻み、自分を紛らわすかのようにとにかく働いた事を今でも覚えている。
最近よく私のところに知人から相談がある。特に多い相談が会社を辞めたいという事である。私はいつも同じ事を繰り返して言う「早く辞めろ」と。こんなバカバカしい悩みはない。なぜなら、辞めたいという気持ちであれば今の会社を辞めて次の働き口を探せば良いのだから。選ばなければ働き口はいくらでもある。不景気だのなんだかんだ言っても世界からみれば日本はとても豊かな国。何でもいいから一生懸命やれば良い。私からすれば「辞めたい」なんて相談に来るような人は「一生懸命」やる覚悟もない。
敗戦後日本人は皆文句も言わず働いた。それぞれが責任を果たして。そして経済成長し世界有数の経済大国になった。それもこれもただただ「一生懸命」働いた結果でなのである。私たちは「一生懸命」という言葉をもう一度考えなければいけない。一生懸命とは「命がけで事に当たること」これが意味であるが、私たちは本当に理解して使っているだろうか?軽く簡単に命をかけると言っていないだろうか?
大人だけでなく若い人も直ぐに「一生懸命頑張ります」と言う。出来なかったら死ぬのか?仕事絡みの、私より目上の人まで「一生懸命取引させて」と言っていることもある(笑)。この言葉の重みを世代に関わらず若い人も大人も気が付かなければいけない。今のままでは「一生懸命」という素晴らしい日本の言葉を間違って理解し、段々皆が中途半端な自己啓発に走り、意味をもたない「成功」という幻想を見てしまう。自らはもちろんのこと、若い世代に対しても勢いを与えられる大人がいないように感じる。戦後はきっと本当の意味で「一生懸命」大人が日本を引っ張っていった。そう考えると勢いのある"おっちゃん"が必要なのだと思うと同時に、私は強烈なおっちゃんを知っている!そう、それが師匠『春山 満』なのである。こんな強烈な"おっちゃん"は、もう現れないと私は思う。だから私は何度もこのおっちゃんの言われた事を繰り返して行い、そしていつか「一生懸命」が一番似合う勢いがある"おっちゃん"になりたいと憧れている。
宮内 修 プロフィール
アイシーズ株式会社 代表取締役 1973年3月に父 宮内 義彦(現オリックス株式会社 取締役兼代表執行役員・グループCEO)の次男として生まれる。 |
春山 満 プロフィール
株式会社ハンディネットワーク インターナショナル 24歳より進行性筋ジストロフィーを発症。現在首から下の運動機能を全廃。1991年ハンディネットワーク インターナショナル設立。幅広いネットワークと体験を通した独自の視点と着眼で、オリジナル商品の開発や大手医療法人・企業等のコンサルティングなど幅広く活躍。2003年、米国ビジネスウィーク誌にて『アジアの星』25人に選出。 |
ドラ息子企画 編集者 春山 哲朗
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